難解な書籍を読み取る力

読書が好きな私が初めて手に負えない難解な書籍と出会ったのは、中学生の頃に読んだカフカの「変身」でした。それまで創元推理文庫やハヤカワ・ミステリーを読み漁っていた自分は、カフカの不思議な世界観に居心地の悪さを感じながら、意味を読み解こうと夢中で読んでいたのでした。推理小説やミステリーとは異なる世界観になかなか慣れることができず、途中で放棄したくなったこともありました。その頃、宿題になっていた読書感想文に「変身」を題材にした自分では大変な労作を仕上げたのですが、教師には私自身による感想とは信じてもらえず、悔しい思いをしました。教師曰く、これは親の力?いやいや造園業を営んでいた実家に、まともな書籍などありませんでした。私が書店に立ち寄った際に、タイトルに惹かれて「変身」を購入したのでした。その時から難解と思われる書籍を度々手にするようになりました。中学生の私が、日本文学で愛読していたのは宮沢賢治で、宮沢文学も背景には宗教性のあるやや難解な部分が含まれていることを後になって知りました。哲学書を読み始めたのは大学生の頃でしたが、恥ずかしながら途中で放棄したものが多く、今も自宅の書棚に何冊か残っています。因みに亡き叔父がカント哲学者でしたが、カントには未だに手が出せません。社会人になった今も全部が咀嚼が出来ないけれど、ちょっと私が面白そうだと感じている哲学者はニーチェとショーペンハウアーで、論考の一部が今も頭に残っています。ショーペンハウアーの厭世観的思想による死生観は、私の感性に触れました。そこで父や母が亡くなった時はその死生観を思い出しながら両親を見送ったことが思い出されます。彫刻を作り続ける私にとって存在の創造物である彫刻においては、存在そのものの意味を知る必要性を感じ、ハイデガーの「存在と時間」を読みました。またハイデガーの存在論の源となるフッサールの現象学にも触れることになりました。現在、苦読しているフッサールの「形式論理学と超越論的論理学」はこんな流れで読んでいるのです。私自身、もっと難解な書籍を読み取る力をつけたいと望んでいて、それは自我に対する挑戦に他ならないと思っています。美術や建築に関する書籍は、私の思考を羽ばたかせてくれます。哲学や現象学は、私の思考を深く掘り下げ、私の心の底に知識の溜まり場とも言うべき貯蔵庫を与えてくれます。そうした教養の風景を散策している自分は、浮世から離れてしまうことを承知の上で、楽しく遊んでいる錯覚にも陥るのです。

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