回遊(遊歩)式庭園について

「ノグチと佐野藤右衛門の最大の闘いは低木をめぐるものだった。佐野は伝統的な『見え隠れ』の考え方に従った。遊歩式庭園の一部は隠され、それから来園者が移動すると姿をあらわす。佐野は庭園の石のいくつかが隠れるような形で低木を配置した。『ぼくの彫刻になにをするんだ』とノグチは視界をさえぎる低木の一本を蹴飛ばしながら怒鳴った。」この一文は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)より、ユネスコ庭園を造った時の彫刻家イサム・ノグチと日本からやってきた造園家佐野藤右衛門の葛藤を描いています。彫刻と造園、この2つの分野には鑑賞に対する相違があると私も感じています。私の亡父は造園業を営んでいて、数々の庭園を造っていました。私の学生時代は亡父の手伝いに費やされ、造園の考え方を叩きこまれましたが、学校で学んでいた彫刻との圧倒的な違いは、その見え方にありました。彫刻は、西洋の考え方を体現する立体造形で、形態そのものを明快に見せる芸術です。日本庭園には、その代表として回遊(遊歩)式庭園があり、それは歩きながら見え方が変わる風情を楽しむもので、樹木に隠れた池や石などを視点を変えながら味わうのです。それは彫刻と言うより絵画的な要素も含む空間演出ではないかと思うところですが、そこでは全体の構築性はそれほど重要ではなく、寧ろ俄かに差し込む光や影といった刹那を楽しむ要素もあるのです。回遊(遊歩)式庭園は、室町時代の禅寺により造園され、江戸時代には大名に好まれたようで、日本各地に点在しています。私が訪れた回遊(遊歩)式庭園は、兼六園(金沢)、栗林公園(香川)、足立美術館(島根)の他、京都には桂離宮、金閣寺(鹿苑寺)、慈照寺、天龍寺、西芳寺、二条城などがあって、どれも回遊する楽しさを満喫しました。パリのユネスコ庭園にも行きましたが、残念なことがひとつありました。日本庭園は定期的に手入れをしないとその美しさを保てないのです。見え隠れする造形は、それを維持するために放置できない宿命があり、それが証拠に足立美術館の庭園には日常的に職人が入っています。完成された美は、いつまでも完成されない施工によって完璧な美が保たれているのです。

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