「土谷武論」 閑寂のかたち

野外展示された彫刻家土谷武の颯爽と空間を切る作品を、折に触れて見てきました。鉄と石を組み合わせ、大きく空間を捉えた作品は、ハッと眼に焼きつく印象を私に与えました。生前の作家を40年も前に一度だけ自分が学んでいた大学でお見受けしました。その時は保田春彦先生に呼ばれてきた感じで、土谷先生は手持ち無沙汰に佇んでおられました。「シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田 遺作・遺稿」(世代工房刊)に保田先生の奥様への追悼文を土谷先生が書かれているのを発見して、保田先生とは公私にわたってお付き合いがあるんだなぁと思っていました。1998年の東京国立近代美術館であった「回顧展」で土谷先生の作品が大きく変貌を遂げていて驚きました。重い鉄を薄く伸ばし皺くちゃにして、まるで紙のようにフワッと置いているのを見て、これはどうやって作るんだろうと不思議に思っていました。その意図するところや制作状況を「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)に記されていたので、引用いたします。意図するところは「土谷は閑寂というような、たとえ誰かがよほどの感性を密かに自負していたとしても、聞こうとして聞けず、触れようとしても、見ようとしても、探そうとしても、空に空を切るように手応えとてない、だだっ広い宙空の、しかし現にある八百万の無のかたちを正視して、そのかたちを目に見える彫刻に響かせて我々の前に提出してくれる。」というもので、成程こういうことかと思いました。制作に関しては作者の言葉が掲載されていましたので、そのまま載せます。「私は鉄のトンネルの外側からバーナーで炙り、手伝ってくれる若い彫刻家たちがトンネルの内と外に分かれ、真赤になった鉄をハンマーで叩く側と当て金をもって支える側になる。もちろん耳栓をしてヘルメットをかぶり、作業用眼鏡、革手袋、作業服、安全靴で身を固め、内と外は適宜に交替し、休息も十分とりながらとはいえ、延々といつ終わるとも知れない仕事が続く。時には我慢の限界を超えることもあったかと思うが若い仲間たちはよくついてきてくれた。我々は力を尽くして得心のゆくまで、つまり、虫の領域の出現するまで真赤に炙って叩きに叩くのである。」凄まじい制作振りが伺える文章でした。

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