イサム・ノグチ 肖像から空間へ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第14章「孤独な旅人、社交界の花形」と第15章「空間の彫刻に向かって」のまとめを行います。日本からアメリカに戻ったノグチは、世界的な恐慌を迎えて景気が悪くなる中で、前から取り組んできて家計を助ける唯一の手段である肖像彫刻をやっていました。注文は減っていたけれども、社交界との交流があって、ノグチは何とか著名人の肖像を作り続けていたのでした。そうした中で半抽象的なフォルムへ転回する試みが見られ、美術関係者からこんなコメントが寄せられていました。「リーヴィは、日米の血を引くことが『ノグチの作品を特徴づけるある種の両義的態度』に貢献しているのかと問いかけた。『ノグチはつねに抽象と具象、事実と意味の関連づけのあいだでうまく平衡をとろうとする一方で、はっきりいえば東洋的目的と西洋的目的の厳格な解釈を遂行する』」。次の章はノグチの求める世界がさらにモニュメンタルになっていく過程を描いていて、私には興味があるところです。「写実にあらずして人間的に意味のある彫刻、抽象的であると同時に社会的意義のある彫刻…アイデアは絶望の中で、夜、星を探しているときに生まれてきた」というノグチの言葉の通り、早くもこの時代に巨大なアースワークを模索していて、こんな文章もありました。「このモニュメントを『西部大草原のまんなか』あるいはオクラホマのどこかに建設したらどうかと提案した。『だが、ぼくはちょっと時代の先をいきすぎていた』たしかにそのとおりだった。40年後、アースワークは彫刻の分野における新たな展開としてもっともエキサイティングなものとなる。」そんな一方でノグチには母レオニーの死去という運命が降りかかります。「12月17日、ニューヨークに到着し、母親が肺炎を発症し、12月12日に人手不足で患者過剰のベルヴュー病院に入院したことを知った。2週間後、レオニーは59歳で息を引きとる。母を失うことはノグチにとって胸を張り裂かれる出来事だった。ひとつには母親の愛情をよりどころにしていたこともあって、自分が母をないがしろにしてきた、ある意味で捨て去ったのだと感じたにちがいない。」先日まで読んでいた母の伝記とは違うニュアンスが読み取れて、私には興味深く感じました。

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