自己研鑽としての読書

私は常に書籍を鞄に携帯しています。通勤途中で読むものは、比較的容易な内容のものにして、どこを開いても気軽に入っていける書籍がいいと思っています。書籍を選ぶ際に、私は癒しの時間として気軽に読める書籍と、自己研鑽として扱う書籍の2種類のものがあると思っています。現在、イサム・ノグチ関連の書籍を読んでいますが、これは国際的彫刻家が自己表現を広げていく上で、どんな空間解釈を獲得するに至ったのか、私にとっては自己研鑽に匹敵する要素もありますが、伝記の中に頻繁に出てくるエピソードには癒される面もあり、2種類の両方が存在している書籍ではないかと思っています。もうひとつは職場に置いていて、時間を決めて読んでいる論理学に関する書籍で、これには癒しの効果はありません。自分の思考を深化させるものと私は認識して、この重厚な哲学的論考に挑んでいるのです。まさに自己研鑽としての読書です。これはさらさら読めるものではなく、単元ごと、または頁ごとに行きつ戻りつしながら、論考の意図するものを把握しようとしています。こうした書籍を読破すると、私の中で部分的に印象に残るところがあり、時よりその論考が頭をもたげてくるのです。今まで読んだもので、それは人間関係の心理的な綾であったり、死生観であったり、モノの存在に纏わる基本的な考え方であったりしています。そもそも事実学ではないところが、芸術を生涯の友にしている自分にとっては必要と考えていて、自己表現を深めるべきものだろうと思っています。

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