イサム・ノグチ 社会的彫刻と壁画運動

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第16章「社会的目的をもつアート」と第17章「メキシコ」のまとめを行います。1933年に連邦政府によるアートプロジェクトの最初のひとつである芸術計画公共事業(PWAP)は始動したけれども、ノグチの作品は認められず、名簿から外される辛い仕打ちを受けました。そんな中で社会的な意味をもつ話題作「死」が作られました。「ノグチが『ニューヨーク・タイムズ』に語ったところによれば『人間に対する人間の非人間性』に対する抗議だった《死》の輝く身体は、炎の熱を避けようとするかのように脚を曲げ、死の苦しみに身をよじっている。ドラマにさらに切迫性をあたえるために、ノグチは像を本物のロープで金属の絞首台から吊るし、それによって鑑賞者をもこの犯罪の加担者とする。」また舞踏家マーサ・グレアムの舞台装置を手がけ、新たな空間を創出しています。「グレアムと仕事をすることでノグチは空間を彫刻し、装置をダンサーの動きの一部にできた。『マーサの場合、魔法のようなその小道具の使い方は驚異的だった。マーサは小道具を自分自身の身体の延長として使った』。『彫刻だったのはロープではない。ロープが創造した空間、それが彫刻だ』」。次の章ではメキシコに旅立ったノグチが、プロパガンダ的な壁画運動に参加したことが書かれていました。「ノグチは1935年最後の2ヵ月間に壁画レリーフの仕事をし、1936年はじめに完成させた。8ヶ月間のメキシコ滞在は最近のニューヨークでの怒りと欲求不満を鎮めてくれた。」また壁画運動の旗手ディエゴ・リベラの妻フリーダ・カーロとの情事もあったようです。「カーロは当時28歳、その美しさの絶頂にあり、ふたりはすぐに情事を始めた。官能的な唇とつながった二本の眉の下の突き刺すような視線、カーロはありきたりの美女よりもはるかに強くノグチを魅了した。」メキシコでは刺激的な日々を過ごしていたようです。

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