人生は苦悩に満ちている

「苦痛は避けがたく、一つの苦痛を追い払えば次のが現われ、前の苦痛が退けば新しいのが引き寄せられてくるというようなことを考え合わせれば、われわれは次のような仮説へ、すなわちそれぞれの個人において彼の本質をなす苦痛の量は彼の本性を通じて初めからちゃんと確定的に定まっているのであり、たとえ苦悩の形式がいろいろに変わっても、苦悩の量そのものはなんの過不足もなく一定しているのではなかろうかという、逆説的であるがしかし辻褄がまったく合っていないとも言い切れない仮説へと導かれるであろう。もしそうだとすれば人間の苦悩と幸福とは断じて外から規定されるものではなく、ほかでもない、今述べたばかりの量によってのみ、すなわちかの素質によってのみ規定されるものなのであり、いうまでもなく身体の調子いかんによって違った時期ごとにその量に若干の増減があり得るかもしれないが、しかし全体としてはその量は不変のままにとどまることになるであろう。」以上の引用は「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第四巻で、いよいよショーペンハウワーの厭世主義との言うべき世界に入り込んできました。ショーペンハウワーの哲学的考察の如何はともあれ、こうした考え方をまず自分は受容しようと思います。受け入れてみて初めて厭世主義の何たるかが解ると思うからです。そこから導き出される幸福とは何かは、案外現実味を帯びていて、手放しで人類の幸福や平和を謳っているものに比べれば、自分の性に合っているかもしれないと思っているところです。

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