「火の神・山の神」読後感

「火の神・山の神 九州の土俗面考【1】」(高見乾司著 海鳥社)を読み終えました。九州の土俗面考【1】とあるので、引き続き【2】を読んでいきたいと思います。本書は、湯布院にあった空想の森美術館の館長による土俗面を中心に据えた紀行文で、九州を中心に神楽等に使用される仮面の実態を、現地に出かけて調査に臨んだ行動記録になっています。著者はさまざま場面に遭遇し、そこで仮面の起源について思考し、また郷土史家の協力を仰いで一冊にまとめています。目に留まった箇所を抜粋します。「私たちの美術館に展示してある二百点を上回る仮面の謎を追って、九州の歴史と風土を探る作業を開始したら、たちまち中世という仮面史の限界を飛び越え、稲作文化の弥生時代をも飛び越えて、私は縄文文化の虜となってしまったのだ。」「日本の仮面史には空白期があるということは、すでに何度も述べた。すなわち、縄文時代の土偶の消滅から平安末期の仮面の出現までに、大雑把にみて千数百年の断絶があるのだ。この空白期を埋める手掛かりになるのが南九州に数多く残存する『土俗面』だと考えて、多くの事例を見る作業を私は続けているのだが、南九州が縄文文化の発祥の地であるという認識の上に立つと、ずいぶん、仮面の分析もしやすくなる。仏教彫刻の影響を受けた中世以降の仮面、能、狂言などの芸能面、宮廷文化を反映した伎楽面などを中央指向の仮面とし、『土俗面』を各地方独特の仮面とするならば、これらの個性豊かな土俗面こそ、その土地の歴史を背負った貴重な資料だということができるからである。」「『鬼』は古代製鉄民族、来訪神という性格を基本に、山の神、山民、修験者、猿田彦、さらに追われる鬼や制圧される鬼などの要素が互いに領域を重ねながら幾世紀にもわたって祭りや伝承の主役の座を占め続けてきたのである。鬼面の謎解きに挑むことは、日本の古代史の闇の部分に踏み込むことでもある。」 

関連する投稿

Comments are closed.