言語と図像の関係

「言語と図像とは、位相を異にしながら、牽引し合う。余白に書かれたように見えながら、言語影像としての自発的な対位法をもつ。」(「瀧口修造全集5」みすず書房)自分がコトバを選ぶ時に感じることのひとつに、自分の彫刻作品の説明ではないコトバで、彫刻のイメージを共有しうるコトバとはどういうものかという自問自答があります。時に作品の自己解説を試みることがありますが、これはコトバが図像の従属的な関係を作ることになります。そうではないコトバとは何か、瀧口流に言う「牽引し合う」関係とは何か、「自発的な対位法」とは何か、コトバも図像と同じ座標にたって、図像の発想が始まる原点に立ち返って、コトバを紡ぎ出すという作業をやってみたいと思っているのです。イメージの共有化が図れれば、コトバが作品に寄り添う必要はないし、作品を意識する必要もないと思っています。ただし、「位相を異にする」という関係は、視る行為と読む行為、または直感的と知覚的と言い換えられる相対する行為があって、両領域から発せられるイメージで自分という世界の輪郭が辿れれば、伝達手段の多様性によって、さまざまな鑑賞者に自分を伝えられるのではないかと考えているのです。

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