ルサンチマンに囚われていたニーチェ
2014年 3月 27日 木曜日
自分の読書癖を反省すると、何の予備知識もなく無謀にもいきなり難解なホンモノに挑んでしまうことがあって、それで挫折することが多くありました。「ツァラトゥストラ」(西研著 NHK出版)という解説書には、ニーチェ理解に必要な知識が分かり易く書かれていて、ニーチェを身近に感じることが出来ます。そのひとつが「ルサンチマン」というコトバの解説です。「たとえば私たちは『なぜこんな親のもとに生まれたのか』と親をうらむこともありますし、『なぜ俺はあのときあんなことをしたのか、バカだった』と自分をうらむこともあります。そして『もし~だったらなあ』という『たら・れば』もー復讐心とはやや感覚は違いますがーやはり一種のルサンチマンといってもいいでしょう。これらのルサンチマンの根っこにあるのは、自分の苦しみをどうすることもできない無力感です。そして絶対認めたくないけれども、どうすることもできないという怒りと歯ぎしり。そこで、この無力からする怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心の動きが起こる。これがルサンチマンです。」ニーチェも人生遍歴からして、このルサンチマンに囚われていたと本書で述べられています。ニーチェが唱えた神の存在否定も同じ根拠によっています。キリスト教が誕生した当時は、ローマ支配下で苦しんでいたユダヤ人たちが「神」を用いることで「観念」として、ローマ人に対し強者になろうとした経緯があり、そこにルサンチマン(うらみ、ねたみ)があったとニーチェは考えていました。そうしたニーチェに対する解説を得て、自分はニーチェに近づけたと思ってます。