イサム・ノグチの幼少期について

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、第2章と第3章のまとめを行います。第2章「ディア・ベイビー」はイサム誕生のことが書かれていました。「イサム・ノグチは1904年11月17日、ロサンジェルス群立病院で生まれた。これは慈善病院で、レオニーにはそれ以上の余裕がなかった。~略~『ロサンジェルス・ヘラルド』紙が『ヨネ・ノグチの赤ちゃん、病院の誇り、作家の白人妻、夫に息子を贈る』の見出しで記事を掲載した。~略~ノグチは自分の誕生についてこう考えをめぐらせている。『ぼくは偶発的な事故であり、不慮の出来事であり、迷惑だったのではないかと疑っている』」。両親の事情を知るにつけ、イサムの誕生は喜ばれてはいないことを本人も知っていたのでした。次にレオニーが日本行きを決めた理由が当時の社会動向にあったことが書かれていました。「レオニーが日本行きを決意したきっかけは、日本人移民に対するカルフォルニアの考え方が変わったことだろう。日露戦争中、アメリカ人は親日的だった。しかし戦後、日本が中国大陸でとった拡張主義はアメリカ側から非難を浴びており、とくにカルフォルニアにおいてはそれが顕著だった。~略~息子に荒々しい誇りを抱き、人種差別の棘から守ろうとする母親にとって、こういった変化はたしかに落胆を誘った。」第3章「東京」にイサムが2歳の時に母子は船で日本に渡ったことが書かれていました。出迎えた野口米次郎がイサムという名を付けたようですが、日本での母子の立場も微妙で、とりわけ文化の違いに戸惑っている様子が伺えました。こんな文章が目に留まりました。「レオニーとヨネ(米次郎)はイサムの文化的混乱を悪化させたかもしれない。『あなたは日本のベイビー?』とレオニーが尋ねると、イサムは父親のほうを向き、イエスと言った。ヨネがアメリカ人のままでいたいかと尋ねると、母親のほうを向き、イエスと言った。」イサムの創作への契機はどんなところにあったのか、イサムは自伝にこんなことを書いています。「『最初のうれしい思い出は、新設の実験的な幼稚園にいくことだった。園には動物園があり、園児たちは手を使ってものをつくることを教えられた。ぼくの最初の彫刻はそこでつくられた。粘土を波の形にし、青い釉薬を使った。』イサムの波の彫刻は『幼稚園でかなり話題になり、母はそのことを決して忘れず、ぼくがいつの日かアーティストになることを期待しつづけた。』」この幼稚園は今も現存する森村学園です。世界的彫刻家の初めの一歩はこんなところにあったのかと思いました。

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