白隠の生涯と絵画について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「近世禅僧の絵画」のうち、白隠についてのまとめを行います。私が白隠を知ったのはいつごろだったのか、そんなに昔のことではないように思っています。白隠の達磨像を見て、今風の漫画のように描かれていて、しかも伸び伸びとした自由闊達な運筆に、不思議な迫力とともにかなり奇異な感じを持ったことで印象に残っているのです。文中に「彼の画や書の力作には、隣に並んだ一流の画家や書家の技巧を吹きとばしてしまうような恐るべき破壊力が秘められている。『白隠の絵には私とても美を感じません。エタイの知れぬ力丈を感じます』とは、白隠の蒐集家として有名な故山本発次郎氏の言葉である。」とありました。まさにその通りで、白隠の作品は一見して記憶に刻まれてしまう特異な作風があると思っています。白隠の生涯を紐解くと、貞享2年(1685)12月25日に駿河国原(沼津市原)に生まれています。「11歳のとき、母に伴われ日蓮宗の僧が地獄の苦しみをつぶさに語る説法を聞いて大きな衝撃を受け、母と風呂に入ったとき薪の火を見て焦熱地獄を思い出し泣き叫んだという、異常に感受性の鋭敏な子であったらしい。以来、地獄に対し恐怖心抜けやらず、それから逃れるには出家以外にないと思いつめ、両親に願い出て15歳のとき出家し、時の松蔭寺の住職単嶺のもとで禅を学び慧鶴と名づけられた。」その後、正受老人の薫陶を受けて「白隠が得た教訓は、一度や二度の悟りの体験で自己満足せず徹底を求め不断の修行をつみ、禅定力、いいかえれば信念の精神力を不動のものにすることの必要性であった。」白隠は84歳で生涯を閉じていますが、弟子によって年譜が2つに分けられています。「白隠のくわしい年譜をつくったその後継者の東嶺はこれまでの白隠の42年間を『因行格』すなわち彼が自己の向上を求めて修行を重ねた時期とし、以後の42年を『果行格』すなわち彼が利他行ーそれまでの修行の結果として得たものを人に伝えひろめることーのために全力を投入した時期としている。」とありました。「隻手の声」は一般人が悟りを開く公案として有名になりました。白隠の絵画として有名なものは達磨を描いた祖師像ですが、戯画も多くあって、なかなか愉快な世界を形成しています。「白隠の禅画の中で数の上では最も大きな割合を占め、かつ親しまれているのが、市井の風俗や擬人化された動物などを画題とした戯画である。ただの戯画でなく、画にかこつけて禅の思想を民衆に対しておもしろおかしく説いた寓意戯画であり、布袋のような禅機図上の人物もこれに加わって画題を賑わす。」とあり、老いてますます盛んになるエネルギッシュな画風は最晩年まで続きます。「龍沢寺の自画像は恐らく白隠の絶筆に近い作品であろう。最晩年の特徴であるプロポーションのくずれがここにも目立ち、手は異常に大きい。指には爪が長くのびていて、維摩像のそれを思わせる。もはやこの世の人とは思えない風体なのだが、ひきつけられるのはその前方に注がれた『雲一点もない青空のような空虚の瞳』(草森紳一)である。」

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