横浜の「駒井哲郎展」
2018年 12月 10日 月曜日
昨日、横浜のみなとみらい地区にある横浜美術館で開催している「駒井哲郎展」に行ってきました。副題を「煌めく紙上の宇宙」としていて、銅版画のパイオニア的存在だった故駒井哲郎の大掛かりな回顧展になっていました。展示は駒井作品に限らず、彼が感化された画家クレーやルドン、敬愛した岡鹿之助や長谷川潔、恩地孝四郎に加え、瀧口修造の実験工房、詩画集で交流した多くの詩人たちのコトバもあって、戦後の現代美術を概観する内容にもなっていました。わが国では、浮世絵の木版画技法は古くから国際的な水準にあるものの、欧州で栄えた銅版画は歴史が浅く、明治・大正時代になって漸く銅版画技法が齎されたのでした。そんな日本の曙期にあった銅版画に生涯をかけて情熱を注いだのが駒井哲郎でした。展示作品は詩情を湛えたものがある一方で、実験的なものがあり、また他分野のコラボレーションもあって、銅版画の可能性を広げるため果敢に挑んだ作家の側面が見えるものでした。とりわけ詩画集にかける駒井の思いが語られている一文が図録にあります。「『実現しなければならない一冊の書物は象徴的な迄に私の心にせまってくる。…私が書物という言葉で象徴したのは、つまり綜合芸術への憧れなのだ』との発言に注目したい。前述の通り駒井は、西田(武雄)のもとで既に長谷川(潔)の版画集から強い感化を受け、また『本の美術家』恩地(孝四郎)への憧憬もかなり早くから抱いていた。またこの発言に先立ち既に『マルドロオルの歌』を手掛け、詩画集の制作を推奨する瀧口(修造)からの影響も少なからず受けていた。しかし先の発言がちょうど『レスピューグ』の公演直前になされたことを考慮すると、実験工房での活動が、駒井に『総合芸術』への志向をもたらした契機として機能した可能性が十分に考えられる。」(片多祐子著)駒井哲郎が銅版画を通じて、さまざまな創作分野を横断していた経緯が、今回の展示を見てもよく分かりました。展覧会の後半には粟津則雄を初め多くの詩人たちとの詩画集が展示されていて、コトバと版画との豊かなイメージが展開されていました。私にはちょっと羨ましい世界だなぁと思いました。