山形県へ① お世話になった人の墓参り

お盆休みが始まるため、山形新幹線の指定席確保が困難で、朝から予定していた山形県行きが午後になりました。山形県上山市にはもう30年以上も交流のある画家サイトユフジさんが住んでいます。ユフジさんとは20代の頃、私が滞在していたウィーンで知り合いました。ユフジさんは蟻や蜜蜂を大量に画面に描き込む精密画家として内外で活躍していました。テンペラ画やその他の混合技法を使った精密画はウィーンを代表する幻想画家たちが得意としたもので、街のギャラリーにはそうした絵画が溢れていました。ユフジさんがウィーンを滞在先に選んだ理由がわかりました。当時、ユフジさんの奥様が大使館に勤めていて、私にはサイト夫妻の生活は安定した優雅なものに見えました。私は5年間の滞欧生活でしたが、サイト夫妻は10数年ウィーンにいました。サイト夫妻がウィーンを引き上げてきた年に、私は横浜で彼らに会いました。お子さんが学齢期に達したことが帰国の理由になったようです。ウィーンでは幾度となく料理を振舞ってくれたり、アドバイスを頂いた奥様のみえ子さんが3年前に亡くなり、私はどうしてもお墓参りがしたかったのでした。今回それが叶いました。午後2時半にかみのやま温泉駅に到着、ユフジさんが出迎えてくれました。墓地は山形市内のほぼ中央にありました。スゥーデン大理石に「花の碑」というコトバを刻んだ瀟洒な墓石に花を手向けてきました。夕食はユフジさんのアトリエ兼住居にお邪魔しました。「男の料理ですが…」と言っていたけれど、なかなかどうして愛情の篭った手料理を振舞ってくれました。ユフジさんのアトリエ兼住居は小高い丘の上に建っていて、まさにアトリエ中心の間取りになっていました。ユフジさんの絵のモチーフになりそうな雑貨や資料が、適度に使い易い配置で空間を占めていました。生前のみえ子さんはアジア系雑貨を扱う店をやっていたようで、そんな話で尽きない夜になりました。アトリエの在り方から創作姿勢まで、ユフジさんは恩師の池田宗弘先生によく似ていると感じました。大学の教壇に立っていられたことも、奥様を先に亡くされたのも同じです。しかも私たち夫婦は奥様がいなくなって漸くアトリエを訪ねているのです。これも同じです。ユフジさんと池田先生に接点はありませんが、私はユフジさんを兄、池田先生を父と考えることにしました。仕事から帰ってきたお子さんに車でホテルまで送ってもらいました。ホテル到着は深夜で日付が変わる間際でした。

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