「彫刻と陶磁器」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「2彫刻と陶磁器」のまとめを行います。この章では彫刻家による陶磁器装飾への協力について述べられていて、主な作家としてカリエ=ベルーズ、ダルー、オーベの3人が取り上げられていました。「第二帝政下において、シャンゼリゼ通りにあるパイヴァの館などパリ市内の有数の私邸からオペラ座内部まで、さまざまな室内装飾を手がけて名声を得たカリエ=ベルーズは、壺や燭台、置き時計などの『実用品における美』にも意識的に取り組んでいた彫刻家であった。~略~この彫刻家はまたロダンの師としても歴史に名を留めている。」次にオーベについて「彼こそ、ゴーギャンが作陶を始めるにあたり、陶器装飾について直接に多大な影響を与えた彫刻家であった。」と書かれていました。逆に陶工から芸術家に接近した陶芸家エルネスト・シャプレがいて、炻器に目を向けたことが記されていました。「シャプレは1878年の万国博覧会で日本の炻器に目覚めたあと、西洋の古炻器に目を向けた。装飾概念が日本的であるとすれば、水差やジョッキ型の器は西洋的である。」最後にゴーギャンです。「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」この一文には私も思うところがあって、別稿を起こそうかと思っています。まさに私の陶彫の出発点がここにあって、日本の走泥社の主張したオブジェ焼きとともに、ゴーギャンが自ら創案した「陶製彫刻」または「彫刻するための陶器」に起源を発するものであることを改めて認識しました。ゴーギャンが日本の炻器の影響を受けていたことを物語る一文もありました。「彼は『たとえいびつではあっても幾何学の法則に従う』と言い、炻器は固有の『幾何学』にしたがうべきであることを説くのである。ここには、これを古来尊んできた日本の美学の影響があったであろう。」

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