陶彫の出発点を考える

「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」これは現在読んでいる「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の中に収められていた一文で、画家ゴーギャンが表現の多様性を求め、陶で彫刻を作り始める契機となったことが書かれています。ゴーギャンは「陶製彫刻」と呼んでいたようですが、日本でも京都に拠点があった走泥社で陶芸家の前衛表現として「オブジェ焼き」と命名された作品が生み出されていたことを資料を通じて知りました。私は塑造による人体彫刻を学生時代に習作しており、その後自らの表現をどう獲得するかを悩んでいた時期がありました。欧州ウィーンの美術学校に籍を置いていたにも関わらず、そこでの空気に馴染めず、散策をしていた街角で日本の陶磁器を見て、私はハッとしたことを思い出しました。日本の炻器の簡潔な美が、それまで西洋の装飾性に辟易していた自分の目を覚まさせたのかもしれません。懐かしく新鮮な思いは、私に美術学校での制作を抽象に向かわせました。当時は陶を扱うことが出来なかったので、石膏で自らの思いを吐露しました。海外生活を引き上げる際に2か月間、西洋文化発祥の地に行ってみたくてギリシャ、トルコにむけて旅をしました。外人労働者が帰省する安価なバスに乗って、エーゲ海沿岸の遺跡を見て周るうちに、陶による集合彫刻として都市景観を造ってみたい衝動に駆られました。トルコ内地のカッパドキア奇岩群も印象に残りました。それらを陶で表すにはどうしたらよいのか、横浜の自宅から近い陶芸の里は栃木県益子と茨木県笠間であることを知り、折しも友人が笠間に移住して陶芸を始めたことを契機に、一気に陶彫への道が開かれました。それでも陶の技法習得はなかなか困難で、私は彫刻のイメージを頭に秘めたまま10年も技法習得に努めてしまいました。当然焦りはありました。私が求めた混合陶土では立体として高さを保つことが当初は難しかったので、レリーフに近いものを壁に貼り付け、屏風仕立ての「発掘~鳥瞰~」が完成しました。これが私の陶彫の出発点ですが、ゴーギャンの彫刻の刷新を知るにつけ、当時は前衛だったために、こうした表現も否定もされたであろうことが分かります。書籍を読んで、私なりに思うところがあって、こんなNOTE(ブログ)を書かせていただきました。

関連する投稿

  • 大地から突き出た造形 陶彫部品を組み合わせて集合彫刻にしていく私の作品は、30代の半ばから始まりました。20代のうちは単体で彫刻を作っていました。習作期はほとんど人体塑造ばかりで、それによって立体構造の捉えを学んでいたの […]
  • 陶彫のはじまり 私は20代終わりで海外生活を切り上げて、日本に帰ってきました。海外でイメージを醸成した立体的な世界観を、30代初めになって陶のブロックを組み合わせることで表現できると考えていて、実際にそれが具現化さ […]
  • 窯入れが始まると… 窯入れが始まると、出勤前の早朝に工房へ行き、窯内の温度を確認し、また仕事帰りにも工房に立ち寄っています。自動的にコントロールされる電気窯なのに、自分は温度が気にかかって仕方ないのです。自分の手の届か […]
  • 彫刻の概念について 彫刻の概念は、明治時代以降に西洋から齎されたもので、欧米型の教育システムで育った私は、義務教育で図工・美術科を学び始めた時から、西洋風の立体概念が学習の対象でした。高校、大学時代を通して西洋彫刻に憧 […]
  • 若かりし頃の貧乏旅行 「保田龍門・保田春彦 […]

Comments are closed.