「イサム・ノグチと丹下健三」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「イサム・ノグチは何をしようとしたのか」と「イサム・ノグチと丹下健三」についてのまとめを行います。イサム・ノグチについてはこのところ関連書籍を読み漁っていたので、私には既知のことばかりでした。著者は建築家なので発想に建築的な視点があり、そこが面白いと感じました。「ノグチは、彫刻的才能を、物体から物体の下の大地へと広げはじめるが、しかし実現はむづかしい。物と大地では大きさもちがえば社会的影響もちがう。建築を作るのと町を作るくらいちがう。~略~(ノグチは)自分の還るべき大地を生み出したかったのだ。日米のあいだに祖国をあらかじめ喪失して生れ、父性の欠落の中で育ったノグチの還るべき大地。」をノグチは生涯を賭けて求めていたことになります。ノグチが建築家丹下健三とのコラボレーションとして考案した「広島の原爆慰霊碑案」は実現はしませんでした。「アメリカ人の作品では死者の霊は浮かばれないという根本的反対が起こり、ノグチの精魂が注がれた傑作は実現にいたらなかった。おそらくもし実現していたら、20世紀彫刻の名作の一つとなったことは疑いないが、しかし、原爆ドームを隠して自作を前面に立てるノグチの案はやはり実現しなくてよかった、と私は考えている。」今までノグチ側の伝記を読んでいた私は、日本が名作を選択しなかったことの残念ばかりを考えていましたが、日本側の意見としての原爆慰霊碑案も考えるに至り、彫刻的名作を残すより、これで良かったのではないかと思うようになりました。これは芸術的崇高さは社会的状況を超えていくと信じていた私に迷いが生じた瞬間でもありました。章の最後に2人の古墳時代の影響について書かれた箇所を引用いたします。「丹下は、古墳時代の造形を埴輪や銅鐸の段階でとどめ、建築デザインに即して言うなら古墳時代の造形の生命を打ち放しコンクリートに注ぐところまでにとどめ、以後はしだいに金属とガラスと石によるツルツルピカピカの箱形の建築へ向った。一方、ノグチは、未来型の社会を目ざして舵を切る丹下を尻目に、古墳時代の造形を埴輪や銅鐸といった器物の段階にとどまらず、器物を納める古墳の墳丘まで掘り下げ、大地の造形へと深化していく。」

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