「Ⅳ 日本について」のまとめ
2020年 10月 28日 水曜日
「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅳ 日本について」のまとめを行います。日系アメリカ人の彫刻家であるノグチは日本との関係も深く、海外の視点で日本を論じていることが多々あります。「たとえばぼくらアメリカ人の活力と想像力、ぼくらの効率性とやる気に対する羨望。このすべてを日本人は身につけたがっていた。強くなり、よく食べ、この活力をもちたがっていた。ぼくはそれとなく言ってみた。モダンであるとはぼくらをコピーすることではなく、強さと発想とを自分自身のルーツに求め、自分自身であることを意味するのだと。」またノグチ自身についてもこんなことを語っています。「ぼくの発展の特徴はなにかと尋ねられるとすれば、それは子ども時代以来ほとんど忘れかけていた身近な自然の再発見だと思う。自然をこんな形で知ることはだれの子ども時代にもあるだろう。それでも大人として自然をふたたび知るため、自分の手を自然の泥のなかで疲れさせるためには、人は陶芸家あるいは彫刻家でなければならず、それも日本においてでなければならない。」ノグチの代表的な作品に《あかり》があります。その出会いを語った箇所がありました。「岐阜のランタンが生き残ったのはなぜか。少なくともひとつには、今日ほとんどのランタンに付与されている装飾的使用がある。しかしそのほかにも伝統と気質という理由があり、それゆえに岐阜提灯(ランタン)は尊重されているのである。このことはその品質と関係がある。すなわち薄い紙、竹ひごのほっそりした螺旋が他にならぶものなき光と優美さとに貢献する。岐阜提灯は儚いものーたとえば桜の花、たとえば生ーに対する日本人独特の嗜好に訴えかける。」これを現代彫刻として捉え、作品化したのはノグチが初めてであったわけですが、ヴェネチア・ビエンナーレでは欧米からこれをプロダクト・デザインとして解釈されてしまい、ノグチにとって不本意な結果になってしまったこともありました。しかし、ノグチは日本の伝統について斬新な発想を持ち込んだことは事実です。