「演繹的諸体系の理論と多様体論」第33~第36節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第3章として「演繹的諸体系の理論と多様体論」があり、今日はその第33節から第36節までのまとめを行います。「演繹的諸体系の理論と多様体論」はこの第36節をもって終了になります。相変わらず難解な文脈を繰り返し読んで、これが主訴になりそうだと思える箇所に私はラインをつけています。それだけを書き出しても意味が通らないと思いますが、自分なりの重要箇所をチェックしたいので、そうさせていただきました。まず形式数学におけるゲームについて書かれた箇所に注目しました。「人がゲームの各シンボルを、実際の思惟の諸対象や各個物や各集合や各多様体を示す記号と見なし、そしてゲームの諸規則に、それらの多様体にとっての法則の諸形式という意味を与える場合に初めて、実際の多様体論になるのである。」続いて「すなわち普遍的な多様体論は独自の自由な仕方で公理の諸形式や、総じて一般に、前提されて妥当する諸命題の諸形式によって、そのつどの多様体の形式を定義し、そのうえさらに判断の形式論の中に体系的に登場する諸命題の基本的諸形式と、それらの形式に内包されている論理学的な諸範疇の、それらすべてを自由に処理し、しかもそのことが何を意味するかを最終的に自覚していなければならない。」とありました。最後に問題提起があった箇所を書き出します。「一般にどの学問も〈偶然に寄せ集められた諸真理の多様体でなく、むしろ互いに結合され、しかも必ず統一された同一分野に関係する諸真理の多様体〉である。一つの学問の無限に継続する諸命題の全体が〈論理的ー定言的な諸概念によって、有限数の純粋な公理形式に基づいてアプリオリに構築されるのはいつであろう?一つの理論形式を確定する一群の公理形式が確定していて、分野の形式が一つの《数学的》もしくは一つの《確定》多様体であるのはいつであろう?〉もしこの条件が満たされていれば、その形式は一つの《演繹的》すなわち《理論的に説明する》学問の体系形式である。」今回はここまでにします。

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