「形式的命題論と形式数学」第26~第27節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第2章として「形式的命題論と形式数学」があり、今日はその第26節から第27節までのまとめを行います。まず、形式的命題論と形式数学との統一に関して述べられた箇所で気を留めた文章を引用いたします。「人々は論理的な形成物を、この場合には実在物とは言えないにもかからわず、実在の事物と同じように扱っている。それゆえ論理学的な形成物は主観性と客観性のはざまで、曖昧に浮遊するのである。」またこんな一文もありました。「数学と論理学との関連が初めて明らかになったのは、形式数学の形成物の類似物として、しかも同じ客観的ーイデア的な見方で、形式論理学の形成物が主題化されたときであった。数学においてはこの抽象的な見方が強固な伝統になって、以前からもっぱら数学的理論化の理論的な目標を規定していたのである。」これは論理学的な形成物を代数学的に理論化する可能性を探る考察であり、さらに次の一文へと続いていました。「すなわち〈主・客両面をもつ各教科の言わば固有の意味についてのラジカルな原理的詳察〉こそが、伝統の呪縛を打破して諸教科の問題設定の統一性を内的に理解しうるためには、以前にも今後にとっても同様に必要であってー数学者たちのように理論的な技術による統一で満足したり、大多数の哲学者たちのように、原理的な洞察によって理解するのではなく、推測によって〔主・客を〕分離することで満足することではない。」そこにB・ボルツァーノの洞察が登場しますが、著者は達成度の点で今一歩評価をしていません。最後にこんな一文がありました。「形式論理学には、イデア的な諸意義の分野に還元される推論式論だけでなく、基数論、序数論、量数論および当然さらに形式的な量論一般、組合せと順列の理論なども含まれることになる。」

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