「レオニー・ギルモア」読後感

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を読み終えました。世界的に有名になった彫刻家イサム・ノグチの母であり、詩人野口米次郎の妻であったレオニー・ギルモアとはどんな人物だったのか、イサム・ノグチの伝記から読み取れるレオニー・ギルモアは、常に脇役であり、運命に翻弄されるままの女性という印象を私は持っていましたが、どうもそれだけでは語れないところがあるように思えました。運命を受け入れても自立した人生観を持ち、自発的行動力が伴っていることに、私は驚きました。また、イサム・ノグチの彫刻作品に対し、息子に信頼を寄せつつ、的確な批評をしていることも特筆できます。「訳者後書き」にこんな文章がありました。「実際、レオニーの受けてきた教育を知り、彼女が人生の節目、節目に自ら決断し、行動し、人生を自らの手で作りあげてきたことを知るにつれ、わたしたちはレオニー・ギルモアが、単に献身的で犠牲的な女性であったという考えは全面的に改めなくてはならないことに気がつく。~略~また、母としてのレオニーが、イサムを芸術家にするために、いかに強い目的意識をもってあたったかを知るにつれ、彼女の意志の強さに驚かざるを得ないのである。レオニーと野口米次郎との関係はある意味、悲劇的な結末を迎えたといえるが、案外そこに悲壮感がないことも興味深い。シングルマザーとして子どもを育てるレオニーの生活は、経済的には切迫していたものの、彼女はいつも前向きで、希望と活力に溢れている。」(羽田美也子・田村七重・中地幸 著)イサム・ノグチの芸術家としての出発に欠かせない母の存在、レオニー・ギルモアを知れば知るほど、彼女の生き様を通して芸術家の母としての揺るがない意志力に、私には頷けるものがあると感じました。

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