イサム・ノグチ 師から距離をとる

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第10章「大樹の陰から外へ」と第11章「頭像・胸像制作者」のまとめを行います。パリでブランクーシの工房で働き、その影響下にあったノグチは、やがて自分自身の目指す方向を定めていきました。「『ぼくはある種の形態学的特性を切望していた。この時期、細胞の構造に対する深い興味を増大させていき、古生物学、植物学、動物学の書物を集めた』。この初期の段階ですでにノグチは幾何的形態と有機的形態のあいだの対照に惹かれていた。この二項対立は一生のあいだ継続する。」やがて「『二次元の板の一枚を折り曲げたり、あるいは別の一枚と並置することによって、三次元と認めうるものが可能になる。これは彫刻を苦しめているすべての中間段階、石膏とブロンズを迂回する手段として、ぼくに衝撃を与えた。』」とありました。これは我が国の抽象彫刻の先駆者堀内正和の造形導入と似ていて、新しい彫刻への扉には共通したものがあると感じました。奨学金を打ち切られ、アメリカに戻ったノグチは経済的重圧もあり、またブランクーシから距離をとりたいと考えていたこともあって、方向転換を図ったのでした。「自分は抽象の預言者に『とくにふさわしい』と宣言したばかりなのに、今度は抽象を放棄し、パリ滞在以前から熟達していた技法ー肖像彫刻ーに向かう。~略~肖像のほとんど、とくに初期の作品は、モデルの実存にはいりこむノグチの力量を示す。『結局のところ、人間とは興味深いものだ』とノグチは言った。」次にノグチの交友についての記述がありました。「バックミンスター・フラーはノグチより八歳年上で、ラムリーやブランクーシのあとを継いで青年ノグチの師となった。~略~どちらの男も想像力に価値をおき、どちらも科学に魅了された。ノグチはフラーを『ぼくらの時代の詩人』と呼んだ。フラーはノグチを『科学者兼アーティスト』と呼んだ。~略~もうひとり、この当時のノグチの人生に重要な役割を果たし、肖像彫刻のモデルとなったのはモダンダンサー・振付家のマーサ・グレアムである。」こんな出会いからノグチの次へのステップが始まるのでした。

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