「延方相撲」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の5「延方相撲」についてのまとめを行います。副題に「鎮魂儀礼の原型」とあるように相撲もまた祭祀に纏わる芸能の一つです。相撲はよくテレビ観戦をしているので、私にとって身近なスポーツです。幼い頃から親しんできた相撲ですが、これは国際的な競技とは言えず、外人力士が増えてもそこには独特な様式があって、海外の人から見れば異国情緒に富んだスポーツだろうと思います。「相撲」というコトバの起源について触れた箇所がありました。「相撲には相舞、あるいは素舞に帰せられる舞の要素を含んでいて、肉弾相うつ格闘技としての相撲は、むしろ後世において発達したとみられている。」とある通り、当初は水神に供養するための舞が起源と言われています。また「延方相撲」の意味として「上代において鹿嶋の神・タケミカヅチと諏訪の神・タケミナカタとの間で土地をめぐって行われたこの儀式は、近世における延方で再現されたのである。『勝ち相撲』は土地争いの決着を喜んで農民たちが感謝のしるしとして鎮守の杜頭に奉納したのが始まりであったと伝えているが、その鎮守の杜とは鹿嶋吉田神社である。」という文章がありました。相撲における儀式は祭祀に基づくものであったと改めて確認した次第です。「祭りは祭祀と祭礼、つまり神祀りとなおらいの二つの時空間をもっていて、その陰陽の世界の転換によって祭りが進行する。延方相撲祭でいえば、大別して地取祭は陰の世界であり、例祭当日は陽の世界である。従ってこの祭の本義は地取祭にあることはいうまでもないが、なおらいの時空間を欠くことはできない。~略~相撲とは神の芸能である。神の意向を人間に知らせる芸能である。神とは空なる存在であり、同時に人間が想像の裡に描いた宇宙の創造者であり、また天地自然を貫く普遍的な道理そのものといってよい。上代の人びとは宇宙の中に天地を象り、陰陽二気の存在を思った。鹿嶋の神と諏訪の神は、それぞれに火(陽)と水(陰)の象徴である。彼らが出雲の岬に会したとき、相撲をとることによって国土生成の秘密をひもといてみせたのである。」

関連する投稿

  • 「中空の彫刻」読後感 「中空の彫刻」(廣田治子著 […]
  • 「《逸楽の家》」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「3 […]
  • 「結語」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「結語」の「1 木彫と陶器」「2 親密な環境における彫刻」「3 […]
  • 「状況-思考の神秘的内部を表すこと」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「1 […]
  • 「文化的総合」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「2 […]

Comments are closed.