死とは何かを考える

最近のニュースで29歳の米国人女性が、末期がんで余命半年とされ、医師が処方した薬を飲んで安楽死をしたことを知りました。彼女はネットで予告をして今月1日に命を絶ったようです。不治の病で苦しむとどんな精神状態になるのか、それは当人でなければわかりません。自分の全てが失われるとはどういうことか自分にも実感はありません。死の淵から甦った人の体験はあっても死の国からの帰還者はいないので、こればかりは誰もわからない世界です。ただ人には必ず死が訪れるので、死と向き合う機会はやってきます。自分の死をどう迎えるかは哲学書に様々な考察があります。人間だけが死に対し精神・物質両面からの準備を行うので、不慮の事故以外に突如死が訪れることはありません。人以外の動植物の死は全て突然死です。人は過去を記録し、未来を展望する知性や理性があり、死へ向かう準備としての哲学や宗教を持つために自らの死に方を考えることが出来る種族です。だからこそあらゆる思想に縋り、学問や芸術の深化があるのかもしれません。最近になって自分のやっている芸術も死生観とともに在ると考えるようになりました。終焉があるからこそ良く生きようとする意志が頭のどこかに刻ざまれているのではないかと思うことが暫しあります。刻一刻と死へ向かいつつあることを普段は忘れている自分がいるのですから…。

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