映画「万引き家族」雑感
2018年 8月 14日 火曜日
昨晩、常連にしている横浜のミニシアターに映画「万引き家族」を観に行ってきました。映画の帰りは家内と映画の話題が尽きず、この映画がそれだけ面白かった証なのだと思いました。足の踏み場もない雑多な家具什器に囲まれた狭い平屋に、祖母、父母、母の妹、長男という家族が住んでいました。まず映画で描かれるのは街のスーパーマーケットで鮮やかな手口で万引きをする父子の連携、その帰路に父が気を留めた幼い女の子の虐待を受けているらしい現場、その子を連れ帰り、何と家族に加えてしまうのでした。そこで明かされていくのは、この家族は全員が血縁関係はないということ。社会や家族から疎外されたり、捨てられたりした者が集まった偽の家族だったのでした。素性とは関係なく気儘に言い合いをしたり、慰めあううちに、女の子の心は次第に解かれ、明るくなっていきました。血縁は家族を繋ぐ絶対条件なのか、「万引き家族」は人間臭い温かさや気楽な関係によって、家族のあり方を見つめ続けた映画でした。この家族は祖母の年金を頼りにしていました。言うなれば年金の盗人集団です。父は日雇いでしたが、足を骨折。母は工場勤務でしたが、クビになりました。母の妹を名乗る若い子は風俗で働き、長男は小学校へ行かず、万引きで生計を助ける日常がありました。ある日、一家で海に出かけ、遊ぶ場面が描かれました。そこで波と戯れていた家族を見て、他人同士は「期待しないからいい」という祖母の何気ない台詞が印象的でした。その祖母が亡くなり、家の軒下に埋葬して隠蔽を図る家族。長男が女の子を連れて駄菓子屋で万引きを始めると、妹にそんなことはさせるなと老店主に諭され、次第に万引きに懐疑的になっていくのでした。そこから歯車が狂い始めてきます。長男は万引きで逃走する時に足を折り、店員に捕まって入院。児童相談所の職員から聞き取りで、父母の素性が明らかになってきます。盗みや死体遺棄など欺瞞の上の成り立っていた日常。警察や行政の型に嵌った問いかけで、映画の鑑賞者である私たちはこの家族に対する微熱のある思い入れが醒めてくるのを感じます。犯罪はやってはいけないけれど、人と人との関係はどうあるべきか、女の子がいなくなって慌てた両親のインタビューが放映されて、女の子は両親の許に帰りますが、そこでは親に相手にされず、女の子は孤独に戻っていくのでした。この映画はベテラン俳優の力量が発揮されたところと、子ども達の自然な演技が見事に発揮されたところが相俟って、高い完成度を誇っていると感じました。国際的な賞に輝いたのも頷ける映画だったと思っています。