東京駅の「月映」展

「月映 つくはえ」は1914年(大正3年)9月から翌年の11月まで刊行された自刻木版画と詩による作品集です。この詩誌を作ったのは田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎の3人の画学生でした。全7号まで発刊されましたが、田中の夭折によって終わり、今年が刊行100年に当たるようです。それを記念して東京駅ステーションギャラリーで「月映」展が開催されているので、自分は先月の展覧会初日に見てきました。自分が「月映」を知ったのは彫刻を学び始めた学生時代です。当時彫刻と併行して木版画をやっていた自分は、ドイツ表現主義の荒いタッチの木版画に影響を受けていました。ささくれだった彫刻刀の彫り跡が自分の内面世界を表しているように感じて、自分も試してみましたが、どれもうまくいかず、当時の版木は全て廃棄してしまっています。造園業を営んでいた父が伐採した枝と一緒に、当時の自分の版木を畑で燃やした記憶があります。そんな頃に、表現派を思わせる「月映」の版画が目に留まりました。なかでも田中恭吉の作品に惹かれ、病で床に伏せていた日常の中で、生命の灯が絶え絶えとなっていく状況を知るにつけ、深い精神性に根ざした表現が頭に刻まれました。常に死と隣り合わせだった若い版画家の心理は、何とも言いようのない寂寥感に襲われていたのでしょうか。「月映」が発刊された当時の木版画に対する世間的な評価は決して良くなかったようで、図録には新聞記者であった川上涼花が「月映」に手厳しい批評を寄せているのが掲載されています。「僕は、木版そのものに就て今まで余り大した注意を払った事はない。その材料固有の特長と謂ふものは人間本来の姿にはテンデ交渉がない場合が多い、かたくなに凝って奇麗に、小さくなるばかりである事から畢竟は或る人の或る意味に於て木版は想定の脱却線を出ないもの即ちその上で侵略的作戦を回らす事があるとしてもそれは実に心の迷ひで無意味なものと位思ってゐる。」この記事を恩地孝四郎が田中恭吉に送ると「新聞のキリヌキを読んでいるうちに、うなづいたり微笑したり、苦笑したり、めをつぶってみたり、いろんなことをした…」という反応が書かれています。刊行当時の生々しい状況が伝わって、現在の自分には返って「月映」が身近になったと同時に、浮世絵の伝統があるが故に木版画の芸術性に疑問を投げかける風潮が、自刻自刷の新しい木版画の道を阻んでいたのかもしれません。

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