永遠で根源的な力

「自然や人生から直接に汲み出された純正な作品のみが、自然や人生そのものと同様に、永遠に若く、つねに根源的な力をそなえているのである。なぜなら純正な作品は時代に属しているのではなく、人類に属しているのである。また、それだからこそこれらの作品は、自分自身の時代に迎合することをいさぎよしとせず、時代からは熱っぽい受け取られ方はされないけれど、時代が道を踏み外していることをそのつど間接的に、そして消極的に明らかにしているので、後になって人は不承不承に、その真価を認めざるを得なくなるのである。それでいて、これら純正な作品は古臭くなるということもなく、はるか後の世になってもいぜんとして新鮮で、いくたびもくりかえし人の心に新しく訴えかけるものをもっている。そうなった暁には、もう無視されたり、誤認されたりする危険にはそれ以上さらされないだろう。」という文面に注目しました。「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第三巻の芸術を論じた箇所です。この芸術論はやがて到来する20世紀の革新的な美術にも通用するものと思いました。ショーペンハウワーが生きた19世紀には、まだピカソもカンディンスキーもクレーも存在せず、シュルレアリスムも抽象もなかった時代でした。それならば現代に生きる自分はどうなのか、前述にある通り自然や人生から直接に汲み出された純正な作品を、自分が作れているのかどうか、現在工房で作っている作品が、永遠で根源的な力が持てるものでありたいと願うばかりです。

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