自分の中の音楽環境

過去のブログを読むと、音楽について書いている時期があります。自分の生育歴は音楽環境に乏しく、それでも両親は私と妹をピアノ教室に通わせていました。私は忽ち頓挫してしまい、それきり楽器演奏をやる機会を失いました。妹はピアノをずっと続けて音大にも入って、現在はピアノ教師をしています。私が音楽環境を手に入れたのは、家内に巡り合ったこと、家内の叔父が二期会で活躍していたテノールの声楽家であったこと、ウィーンの美術学校に通ったことで、同地の国立歌劇場通いを始めたこと等があります。当時は国立歌劇場の立見席から数々のオペラを鑑賞し、一端のクラシック評論家よろしく指揮者や歌手の出来栄えを、あれこれ話していたことが思い出されます。あの頃は自分の何たるかを知らない若気の至りで、今思うと羞恥に耐えませんが、周囲に芸術環境が揃っていたことだけは、とても有難いことでした。今は音楽環境がまた乏しくなっています。時間に追われる暮らしで、仕方がないこともありますが、たまにはウィーンの芸術環境をもう一度味わいたいと願うこの頃です。

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