「火と水による演能」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の4「火と水による演能」についてのまとめを行います。この章は「茶の湯」についての考察です。「茶の湯」について私は書籍による概略しか知りません。家内は裏千家に通じていた叔母によって、幾度か茶会に呼ばれたことがあるのですが、私にはそんな機会がなく、知識に頼って「茶の湯」のイメージを持っているだけです。千利休によって独特な文化形成をした「茶の湯」は、そもそもどんな起源があったのか、改めて本書から紐解いてみようと思います。「修験道は山にこもり、即身成仏して生まれ清まることを念ずる山獄宗教である。酒は蔵にこもり醸成して新たに人びとを恍惚に誘う霊水となり、神と人をつなぎ神事と芸能をわたす橋となる。そしてその本質は火と水である。茶も酒に似て、古く日本に伝えられて以来、聖と俗、貴人と町衆をつなぐ役目を果たしてきた。異国から伝えられた貴族間の喫茶の風習や禅院での施茶や茶礼にかわり、中途にはバサラ大名たちの闘茶の無礼講を展開したが、ついには賓主の交わりという精神性と喫茶団らんの娯楽性をあわせもつ草庵の茶を案出した。~略~遊芸として成立した草庵の茶の湯=わび茶は、こうして市中にうつされた山居にこもって主客が相対して、古来の神祀りの儀礼をなぞりながら茶を点て、茶を喫する芸能である。」茶の湯も神霊や祖霊を祀ったところに起因している芸能であることを知りました。次に太陽と月の関係から茶の湯を述べた文章に目が留まりました。「月は太陽の伴侶であるが、太陽が昼や夏を支配するのに対して月は夜の女王であった。月の叡智は、思弁的・抽象的精神という父権的性格を有していないが、そこには柔らかで眩しくない光があって、運命と共に生きる現実性がある。幻想ではなく、現実を愛し、死をこえて新たな転生と生命誕生へと導く力をもっている。~略~そして火と水によって演じられる太陽と月との聖なる結婚を待ち、再生の奇蹟の完成を祝うことに古代祭祀の時間が、また空間があったとすれば、それは茶の湯の時空を最もよく解説してくれるように思われるのである。」最後に茶の湯の芸術性に触れた文章でこの章をまとめます。「いわば日常茶飯の道具をとりあわせて茶を飲むことにすぎない茶の湯が高度な芸術性を獲得しうるためには、かえって茶室が最も簡素な庶民の住宅をかたどることがふさわしかったように、道具もそれ自身が自律性をもった芸術品であるよりは、あくまで素朴な品々をとりあわせること、そしてそれらを何かに見たてることが必要であった。」

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