彫刻家父子の往復書簡を思い出す

現在、通勤時間に読んでいる「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)に、彫刻家保田龍門・春彦による父子の往復書簡の章が出てきて、嘗て羨望の眼差しで読んだ「往復書簡」を思い出しました。私は武蔵野美術大学出版局に問い合わせをして、同書をここから郵送してもらったのでしたが、自分の職場に置いておいて、仕事の合間を縫って読んでいたのでした。これはどのような書簡なのか、本書から引用すると、「一人の若き青年が、明治以来、何世紀にもわたって引きずってきた『西洋コンプレックス』の呪縛に対して、いかにその呪縛に苦しみ、そして悩み、跳ね返そうと努力したかを具体的な体験を介して、この書簡は語っている。同時にそれは、いわゆる『洋行者』とよばれてきた日本人の父子二代にわたる貴重で珍しい記録にもなっている。」とありました。保田春彦先生に直接指導を受けたことがなかった私は、大学で先生にすれ違う度に身が引き締まる空気を感じ取っていました。私は雲の上の人という感覚を保田先生に感じていましたが、この書簡では私自身が滞欧生活で体験した悩みと同じような悩みを、保田先生が持っていたことに半ば驚きつつ、また父の保田龍門によって精神的な支援があったことは羨ましい一言に尽きるなぁと思っています。本書ではこんな箇所もありました。「わたし(著者)はいわゆる世間的な通用を価値の秤とする考えに傾かない保田さんが、妥協を許すかゆるさないかの生活の現実に直面して、思案に暮れ、同時にそれは作家としての自分の立ち位置を確認する作業ともなっていたのではないかと思った。」作家(彫刻家)として生涯を全うしたいと考える上で、食べていかなければならない現実に触れ、思索を含めた芸術活動を進めるためにはどうしたらよいのか、どこで折り合いを付けるのか、この道を選んだ人は全員が直面する課題です。私も已むを得ない状況の中、横浜市の公務員になり、二足の草鞋生活がスタートしました。彫刻家保田龍門・春彦による往復書簡は、そんな世知辛い問題も垣間見せる一方で、崇高な文学作品のようにも思えます。現在は父子とも他界し、貴重な書簡だけが残されていますが、さまざまな美術館に所蔵されている保田先生の作品を見ながら、書簡の内容を思い出すと、作家が作品にかけた思いに浸れて感慨一入になります。繰り返し述べさせていただきますが、彫刻家父子の往復書簡に対し、私には羨望しかないことを断っておきます。

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