私の中のエゴン・シーレ

私がエゴン・シーレという画家の存在を知ったのは、「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)という書籍からでした。同書の初版が昭和52年なので、私は刊行後すぐ購入しました。同書にあった「予感的存在者としての…エゴン・シーレ」の章を幾度も読み返し、図版を眺めてみては、渡欧してオリジナルの絵画に会えるのを楽しみにしていました。1980年から5年間、私はウィーンに滞在してシーレ縁の国立美術アカデミーに入学しました。時代はウィーン幻想派の画家たちが教授職に就いていて、精神分析的な絵画が主流になっていました。ウィーンでは19世紀末のユーゲント・スティールと呼ばれる様式が、建築や美術を席巻し、その影響から発展した装飾的な作風が街中に残っていて、独特な美を形成していました。クリムトやシーレはオーストリア美術史の中で不動の地位を築いていました。さて、シーレはどんな人物だったのか、28歳の若すぎる急逝であっても、残された作品は数多く、その戦慄な絵画世界は私を一気に虜にしてしまいました。慣れない海外生活で精神不安定な日常を送っていた私が、シーレに惹かれたのは自然だったのかもしれません。シーレのことが知りたいと思ってもウィーンの書店で扱っている原書では読むのに時間がかかり、これは日本で改めて調べ直せねばならないと決めて帰国しました。「エゴン・シーレ 二重の自画像」(坂崎乙郎著)や「永遠なる子供 エゴン・シーレ」(黒井千次著)を読んで、自分の留学時の記憶と重ねて、シーレの実像に迫っていきました。心のバランスを崩すとシーレの世界がよくわかる、シーレの絵画には異常性が認められるのかもしれないと私は感じています。シーレが生きた時代は、芸術と猥褻の関係が漸く論じ始められていた時代であり、シーレの求めた世界は時期尚早だったのかもしれません。退廃芸術としてナチス政権によって廃棄させられた作品もあったでしょう。ともあれ私の5年間の滞欧生活は、クリムトとシーレによって刺激的で実り多いものになったと今でも思っています。

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