ボッシュの図像的解釈

現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)に中世の画家ヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」の図像的解釈が掲載されていたので、まとめてみたいと思います。まず図像的解釈とは何か、本文を引用すると「ボッシュの時代の文化歴史的背景、すなわち宗教的文献、錬金術や占星術などの資料、そして民俗学的及び言語学的方法などを使って行われている。」解釈です。本書では4人の学者による図像的解釈を載せています。まず、ウィルヘルム・フレンガーは「(キリスト教の)異端派の教えにしたがって、アダム以前の、性欲が純粋な歓喜であり至福であった時代に戻るための宗教画としてこの作品を制作した。」と発表しましたが、これに対し多くの反論があったようです。寧ろボッシュは敬虔なカトリック信者ではなかったのか、神の命令を忘れた愚かさを教訓的に描いたのではなかったのかというものです。次にローズマリー・シューダーの解釈です。「ボッシュは聖書の天地創造を描いたのではなく、また、人間のセックスやのぞきを非難するために描いたのではない。彼は、当時のユートピアを想像して絵画として表現した。」というものです。次は神原正明の解釈です。「神原は『快楽の園』は『世界の多様性を描いている』曼荼羅であり、聖と俗の入り混じった夢の世界を演出している、と結論している。」最後にリンダ・ハリスの解釈です。「ボッシュはローマのカトリック教徒ではなく、異端のキリスト教徒であった。ボッシュの描いた象徴はカタリ派の神話や隠喩に通じている。~略~カタリ派とは、11世紀初頭頃から西欧に拡がったキリスト教の異端思想である。~略~もともと人間は天使として光り輝く天にあったが、悪魔の姦計によって地上に拉致された。~略~人間は真の神に属す霊魂と悪魔の所産である肉体との『混合』である。~略~カタリ派の観点からすると、『快楽の園』は誕生と死の車輪によって、魂がより高いレベルへと上昇する占星術の黄道十二宮を示している壮大な作品である。」というものです。さて、前述したようなさまざまな図像的解釈を読んでいても、ボッシュの人間像は一向に浮かび上がってこないため、図像的解釈の方法としての限界を本書は指摘しています。ただし、多くの謎を孕んだ「快楽の園」に魅力を感じるからこそ、ボッシュの研究が後を絶たない由縁だろうと思います。

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