「父が消えた」読後感

「父が消えた」(尾辻克彦著 河出書房新社)を読み終えました。著者の尾辻克彦(赤瀬川原平)という人は、視るということ、視点を微妙に変えることに相当長けた人だと思いました。文章描写が赤瀬川流の劇画描写に似ています。もちろん同一人物だから当たり前ですが、ちょっとした気配や人間の心理を、平易なコトバにして何でもないようにして書いた世界に自分はつい引き込まれてしまいます。「赤瀬川原平の芸術原論展」で見た劇画原稿「お座敷」は、四畳半くらいの部屋に古風な女性がいて、そこに兵士が現れて、いろいろ絡むうちに、その縁の下に不思議な生物が棲息していて、その妙な取り合わせが不思議な物語を紡ぐものでした。その情景にあった昭和の古色蒼然とした写実に、荒唐無稽な生命体が蠢く物語を、その感覚のまま文章に代えただけなのが、作家尾辻克彦の著作なのです。自分自身が鄙びた過去に連れ戻されるような錯覚の中で、突如シュールな発想に転換されるところが、湿っぽい日本の下町風情を纏いつつ、実はこれは価値転換を図った芸術なのではないかと自分は考えています。ここで描かれる下町風情に哀しみが滲みます。何とも言いようのない空虚も感じます。文体はゆるキャラですが、こうした着眼点はカミソリのような切れをもつ才覚を示すものではないかと思うのです。ともかく読書を楽しみながら、ちょっと異次元な自分になれる不思議な書籍だと思いました。

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