「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」読後感
2019年 1月 30日 水曜日
「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)がやっと読み終わりました。まだ完全に理解出来ていない箇所もありますが、こうした書籍に対する語彙力が身につけられれば、近い将来再読もあり得るかなぁと思っています。本書によって私は甚だ雑駁ですが現象学と言う学問の性質が分かったように思います。難解な書籍でしたが、現象学に対する興味関心は益々増してきています。いずれフッサールの著作にも挑もうと思っています。と言うのも本書は最初フッサールの平易な入門書か解説書くらいに思っていて、気楽な気持ちで読み始めたところ、論理の手強さに面食らってしまったのでした。まずは曲がりなりにもフッサールの著作を読んでから本書に進むのが筋道でした。本書では「おわりに 現象学の読解」に書いてあるようにフッサールの引用が恣意的に見えることがあると述べられています。フッサールの主張に正反対の立場を取っていることが見受けられるからです。これにはご本家を知らない私は戸惑いを隠せませんでした。「現象学とは、できあがった教説や体系ではないし、その主題も限定されていない。本書で素描したように、歴史や文化といったものについての現象学も可能だ。現象学に決定的な開始点はない、と以前に述べたが、それは言いかえれば、出発点はどこでもある、ということだ。どこを出発点にしようと、内属性の視点から、分析対象の存在を説明原理とすることなく経験を分析し、自然発生的に生成し自ら形を変えてゆく諸構造のーまるで小動物のようなー手触りを掬い取り、言語化し、それによって日常的思考枠組みや伝統的思考法を超えてゆくこと、それが現象学である。」と述べられています。あとがきでは「現象学は、経験から独立して存在するとされる実在などを前提することなく、経験に『内属』した視点から、知覚や時間、他我などについての経験構造を分析し、それによって実在その他の意味を解明する。」ものであると結論づけています。