チェルノブイリ原発事故を思う
2012年 3月 12日 月曜日
昨日アップしたNOTE(ブログ)にチェルノブイリ原発事故に触れた箇所がありました。昨年の福島原発の事故と相俟ってチェルノブイリのことが自分の頭を一気に駆け巡ってしまい、昨日のNOTE(ブログ)は長い文章になってしまいました。今日改めて昨日の文章を2つに分けて、自分の中に居座り続けている不安や憔悴のことを書こうと思います。自分が30年前に滞欧生活を引き上げた後で、チェルノブイリ原発事故が発生しました。自分は1980年から85年の暮れまでヨーロッパにいたので、1986年4月のチェルノブイリ原発事故には遭遇していません。正直に言えば、自分はチェルノブイリ原発事故前に帰国できて安堵していました。不安や憔悴の起因として考えられるのは、その後何年も経過しているにも関わらず、あの時の環境汚染が将来に及ぼす漠然とした影響です。自分だけではどうにもならないものですが、昨年フクシマで発生した原発事故に対する恐れが30年前の記憶を呼び起こしてしまいました。今度ばかりは対岸の火事とは言えず、汚染された環境とどう付き合っていくのか日々自問しています。チェルノブイリ原発事故の検証は進んでいると思いますが、そこから見えてくるものは何でしょうか。フクシマは今後どうなっていくのでしょうか。不安や憔悴が自分の中に居座り続けているならば、作品をイメージする深層心理にその影が落ちないとは言えません。造形美術は時として現代に警鐘を鳴らすことがあります。意図せずとも時代を反映するのが個々の表現活動だからです。
関連する投稿
- 次なる作品のイメージへ… 現在作っている新作が佳境を迎え、肉体的にも精神的にも苦しい状況の中で、私には次なる作品のイメージが降って湧いてくる癖があるようです。現行の新作は土台に砂マチエールを施し、また同時に土台を追加して制作 […]
- 新作屏風「発掘~混在~」について 私のデビュー作は、陶彫レリーフによる三双屏風「発掘~鳥瞰~」です。陶土を混ぜ合わせて焼き締めた陶彫を、6点の画面に配置しました。また、砂によるマチエールを作って陶彫の部品との融合を図りました。上空か […]
- 人体塑造からの転位 Ⅱ 先日のブログ「人体塑造からの転位」の続きです。現在自分の彫刻作品は、ロシア人画家カンディンスキーが提唱した非対象という意味で言えば非対象でも抽象でもありません。形態の基本となる要素を抽出している点で […]
- 12/28~1/6休庁期間について 昨日が官庁御用納めの日でした。明けて1月6日が官庁御用始めになるので、今日から9日間は休庁期間になります。この期間だけはゆっくり休めるので、公務員で良かったと思います。9日間のうちに大晦日があり元旦 […]
- 週末 陶彫制作に没頭 今日は週末なので朝から工房にいました。ただし、この1週間は仕事から帰ると工房に出かけ、2時間程度制作をやっていました。日によっては1時間が限界という時もありました。その制作の流れのまま週末を迎え、今 […]
Tags: イメージ, 作品, 日常生活, 留学
The entry 'チェルノブイリ原発事故を思う' was posted
on 3月 12th, 2012
and last modified on 3月 13th, 2012 and is filed under note.
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.
Both comments and pings are currently closed.