ジャコメッティに思うこと
2017年 8月 24日 木曜日
先日、東京六本木の国立新美術館で開催されている「ジャコメッティ展」に行ってきて、その様子をNOTE(ブログ)に書きましたが、彫刻家・画家ジャコメッティの作品を観ると、私には語り尽くせないような思いが込み上げてきます。彫刻を学び始めた最初の頃は、ジャコメッティを理解できず、ヘンリー・ムアの豊かな量感に憧れていました。ジャコメッティを理解する契機になったのは、哲学者矢内原伊作の著書を読んだからでした。そこにはジャコメッティのモデルを務めた唯一の日本人だった矢内原伊作の詳細な報告があり、ジャコメッティの壮絶な創作活動が浮き彫りにされていて、私は多くの刺激を受けたのでした。図録にピカソと比較した一文が掲載されていて、これにも興味が湧きました。「ジャコメッティの生涯と風貌は20世紀の芸術界で時として反ピカソ的なものとして捉えられてきた。スペイン人のピカソは自己疑念に陥ることなどなかったし、作品の創造力は溢れ出ることベルトコンベアーの如くであった。スイス生まれのジャコメッティは反対に自己疑念に大いに苦しみ、前日に造ったものを破壊し、自分にとって永続性がないと見るや作品を打ち砕いた。ピカソの創造的なクレド(信条表明)が『私は探さない、私は見つける』であるのに対し、ジャコメッティの得意分野は創造的な破綻ということができるだろう。」またジャコメッティの創造行為に関する箇所にはこんな文もありました。「個々の作品は現実を顧慮した上で絶え間なく行われる認識行為の構成要素である。そしてその現実は、理解することはできずとも描写することはできる。~略~ジャコメッティの戦後の彫刻は特に『絵画的な視点』の表現として評価されるが、それはこのスイス人芸術家が彫刻を触覚的・彫塑的に把握せず、むしろより絵画的・視覚的に把握していたからである。その一方で彼は絵画作品においてはほとんど彫刻的と呼べるようなやり方で事物を層状に描写し、彫刻作品と同様、揺れ動いて定まらない状態を表現するに至っている。」(ピカソ美術館館長マルクス・ミュラー著)