映画「エゴン・シーレ 死と乙女」雑感
2017年 3月 6日 月曜日
先日、橫浜のミニシアターで「エゴン・シーレ 死と乙女」を観てきました。図録の中にあった「愛の不毛の中で、誰ひとり幸せにならなかった。ただ数々の傑作だけが残った。」(中野京子)というフレーズが目に留まり、感想としてまさにその通りだと思いました。エゴン・シーレその人を扱った映画は、フェーゼリー監督による1981年版があります。それが封切られた時に、私はシーレに関わりの深いウィーンの国立美術アカデミーの学生でした。シーレと独裁者ヒトラーは同時代人で、ヒトラーはアカデミーの入学試験に落ちていたのでした。シーレは教授陣に失望して中退したようですが、恥ずかしながら私は語学力不足による情けない中退でした。今回の映画ではシーレを取り巻くモデルを勤めた女性たちに主題がおかれているように思えます。クリムトから譲り受けたモデルのヴァリは、軽蔑される職業にありながら、愛の献身と覚悟があって見事な女性として演じられていました。図録の一文を引用します。「彼の恐るべきエゴイズムは、妻は妻として、愛人は愛人としていつまでもそばにいてくれるべきものだった。絵の中のシーレが、取り返しのつかぬことをしてしまったという眼なのはそれゆえだし、女を傷つけて女より傷ついているのもそれゆえだ。」(中野京子著)シーレの映画は愛欲の闇の部分を描く陰湿な物語になりがちですが、「エゴン・シーレ 死と乙女」ではシーレが踊り子モアと陽光の下で戯れたり、ヴァリと雪で遊ぶ場面があって青春を謳歌していました。心地よいバランスが全編にあって、それ故の死の恐怖が一層引き立っていたように思えます。次稿でシーレの絵画世界との出会いや思索を述べてみたいと思います。
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Tags: ウィーン, 映画, 画家
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