「シュルレアリスト精神分析」読後感
2017年 1月 4日 水曜日
「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)を読み終えました。ボッシュ、ダリ、マグリット、エッシャーの4人の画家に加え、SF作家の荒巻義雄の小説における精神分析の解釈があって、大変楽しめる内容になっていました。最終章の「明晰夢」の中で、気に留めた文を引用いたします。「常識的には、眠っている者は意識レベルが低下して、明晰ではない状態にある。そこで、夢の出来事に巻き込まれて批判力がなくなっているので、夢を完全に現実だと思ってしまう。ところが夢をみている人が夢であることを意識すると、夢は突如として新しい特質を帯び、曖昧模糊としたところが消え、この上もなくリアルなものになる。その現実性は、まことに現実以上に現実である。人間が絶えず夢をみているという仏教の教えからすると、明晰夢の世界は、まさしくウロボロスのように、自分で自分を食べて最終的に消滅するところである。すなわち東洋の覚醒した聖者にとって、現実も夢も何の違いもなく立ち現れるが、すべては空なのである。」その後、本書は全体の結論に読者を導いていきます。芸術家たちの作品に触れて、以下のような文がありました。「パラノイアック・クリティックが可能になるには、ある作品を熱愛し崇拝する激しい情熱に燃えるという基本的な条件が必要である。その作品に恍惚としてみとれていると、夢心地になり、明晰夢が現れて、みえないものがみえてくるのである。芸術に対する愛、美に対する愛は、何事でも可能にする。彼方なる存在であった芸術宇宙は、パラノイアック・クリティックによって地上とつながるのである。」