Archives for posts tagged ‘彫刻’

東京木場の「マーク・マンダースの不在」展

先日、東京都現代美術館で開催中の「マーク・マンダースの不在」展に行ってきました。「ライゾマティクス_マルティプレックス」展を見た後、他の展示会場で大掛かりな立体作品を展示する個展が開催されていて、その素材の持つ存在感と不 […]

東京の展覧会を巡った一日

今日は工房での作業は止めて、家内と東京にある美術館に出かけました。コロナ渦の影響で最近ではネットによる予約が一般的になっていて、入館時間も決められています。今日は2つの美術館、3つの展覧会を巡りましたが、一日中工房に行か […]

体力維持のために…

私は自宅の近くにスポーツ施設があるため、そこで水泳をしていました。20年以上も前は仕事帰りに夜間コースに通い、そこで知り合った仲間たちとマスターズ登録をして、年齢別の競技大会にも出ていました。その頃はタイムを競いながら長 […]

創作一本の4月制作目標

基本的に毎日制作が可能な4月からの制作目標を、例年の慣習に従って立てていきたいと思います。毎日制作できるとなれば陶彫部品を集合させる新作は完成できるのではないかと思っています。今年7月に開催するギャラリーせいほうでの個展 […]

週末 陶彫制作を続行

4月に入って初めての日曜日ですが、今日のところは通常通りの制作時間で陶彫制作を続行しました。先月末で二足の草鞋生活を解消した私は、もう少し余裕を持って制作が出来るのですが、習慣というか、現状保持が気分的に楽なのか、今日は […]

彫刻家として…

4月になりました。昨日は管理職退職辞令交付式に参加して、私の公務員人生にピリオドを打ちました。今まで職種を隠してきましたが、同じ職種の方々がこのNOTE(ブログ)をご覧になっていることもあり、今になって漸く職種を明かすこ […]

「中空の彫刻」再読開始

昨日まで集中して「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)を読んでいました。本書は私が現職のうちに、職場の私の部屋でなければ読み解くことができないと思っていたのでした。職場の私の部 […]

二足の草鞋生活最後の日

3月最後の日曜日になりました。来月から週末のたびに創作活動をしなくて済むため、今日が二足の草鞋生活最後の日となりました。私は20歳の時に彫刻の魔力に取り憑かれて以来、生活費を稼ぐのは別の手段をとり、週末だけ彫刻を作る生活 […]

最小の立体で最大の空間を…

最小の立体で最大の空間を感じさせる彫刻作品とはどんなものでしょうか。ジャコメッティの針金のように細くなった人物塑造か、池田宗弘の量感を削り取った風景彫刻か、それともブランクーシの簡潔に磨き上げられた抽象的な立体か、イサム […]

20’RECORD1月~3月をHPアップ

2020年に制作したRECORDのうち1月から3月までのRECORDをホームページにアップしました。昨年10月に9月分までのRECORD撮影が終わっています。私の月毎に添えるコトバが進んでいないため、4月分から9月分のR […]

19’RECORD10月~12月をHPアップ

2019年に制作した最後のRECORD3ヶ月分をホームページにアップしました。2019年は「~の風景」というタイトルでRECORDを制作していました。10月は「分離の風景」、11月は「拡散の風景」、12月は「円環の風景」 […]

週末 再び陶彫制作へ戻る

先月の週末はほとんど厚板材を加工して土台作りに充てていましたが、今月の週末はもう一度陶彫制作をやっていこうと思っています。新作の陶彫部品がまだ足りないことが分かって、昨日は美術館に出かける前に、工房に行って土練りとタタラ […]

「炻器と木彫」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「3炻器と木彫」のまとめを行います。副題に「民衆芸術に息づいていた素材の復活と『素材 […]

週末 1月最後の週末に…

やっと週末になりました。明日が1月最後の日になるため、週末としてはこれが最後の週末です。新作の制作状況としては、今月は厚板材を電動ノコギリやジグゾーを駆使して切断し、箱状に加工する作業に追われ、ほとんどの週末は木材加工に […]

陶彫の出発点を考える

「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」これは現在読んでいる「中空の彫刻」(廣田治子 […]

「彫刻と陶磁器」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「2彫刻と陶磁器」のまとめを行います。この章では彫刻家による陶磁器装飾への協力につい […]

「背景ー装飾芸術の復興」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「1背景」のまとめを行います。副題に「装飾芸術の復興」とあり、19世紀の特徴として、 […]

「絵画、彫刻の自律性の追究」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第1章「画家と彫刻家」の「3 絵画、彫刻の自律性の追究」についてのまとめを行います。ここで3人の芸術家が登場いたし […]

週末 土台作り続行

先週末は美術館に行ったり、美大の卒業制作展に出かけてしまったので、制作工程が遅れ気味になってしまいました。週末になって制作ばかりしていると精神的に辛くなるので、先週末のような刺激も必要と思ったため、制作工程に遅れが生じる […]

「概観」・「絵画と彫刻」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第1章「画家と彫刻家」の「1概観」と「2絵画と彫刻」についてのまとめを行います。本書は読み始めから興味関心が尽きず […]

週末 美大の卒業制作展へ

今日も昨日に続いて展覧会に行きました。今日は工房に出入りしている美大受験生と一緒に東京都八王子市にある多摩美術大学の卒業制作展に車で出かけました。首都圏にある美術系大学の卒業制作展は3月に集中していますが、多摩美術大学は […]

「中空の彫刻」を読み始める

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)を読み始めました。本書は副題に「ポール・ゴーギャンの立体作品に関する研究」とあって、19世紀末に画家として生きたゴーギャンの立体作品にスポットを当てた研究論文です。テーマからして私の趣 […]

師匠との関係について

長野県に住む彫刻家池田宗弘先生から雑誌「秘伝」が送られてきました。「秘伝」は武道に関する雑誌でしたが、私は武道に縁がなく、その精神性は分かったつもりでも理解できるところまでいっていません。池田先生は、大学時代に私に彫刻を […]

難解な書籍を読み取る力

読書が好きな私が初めて手に負えない難解な書籍と出会ったのは、中学生の頃に読んだカフカの「変身」でした。それまで創元推理文庫やハヤカワ・ミステリーを読み漁っていた自分は、カフカの不思議な世界観に居心地の悪さを感じながら、意 […]

「イサム・ノグチと丹下健三」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「イサム・ノグチは何をしようとしたのか」と「イサム・ノグチと丹下健三」についてのまとめを行います。イサム・ノグチについてはこのところ関連書籍を読み漁 […]

「ガウディとフンデルトワッサー」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「二つの未完の教会に隠されたガウディのメッセージ」と「フンデルトワッサーの人を引きつける力」のまとめを行います。著者によるガウディとフンデルトワッサ […]

三連休 20点目の陶彫成形&加飾

三連休の中日です。今日も好天に恵まれて工房周辺の木々が美しく紅葉しています。新作の陶彫制作は20点目に入りました。既に焼成が終わっている陶彫部品も10点あります。午前中は新しい陶彫部品の成形を行い、午後は成形が終わって多 […]

「Ⅵ インタヴュー」のまとめ&読後感

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅵ インタヴュー」のまとめを行います。この章をもって本書は完結になります。日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチは、その生涯においてさまざまな創作 […]

「Ⅴ 師とのコラボレーターについて」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅴ 師とのコラボレーターについて」のまとめを行います。この章では日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチが青年時代に師事したり、または影響を与えられ […]

汐留の「分離派建築会100年」展

先日、東京汐留にあるパナソニック汐留美術館で開催中の「分離派建築会100年」展に行ってきました。「分離派」という題名が気になって、本展ではどんな建築のどんなデザインが見られるのか楽しみでした。分離派の主旨としては西欧に興 […]

「マグマを宿した彫刻家」雑感

昨晩、NHK番組「日曜美術館」で取上げられた故辻晋堂の陶彫について書いてみようと思います。表題にある「マグマを宿した彫刻家」とは、大学時代に辻晋堂に師事した彫刻家外尾悦郎氏が言っていた台詞でした。眼に見えないけれど内面に […]