365点の連作 額装考案

2月1日より始めたポストカード大の平面作品が今日で193枚になりました。現在は1ヶ月ごとに分けて紙袋に入れてあるのですが、作品が全部揃ったら展示することにします。だいぶ前にまとめて展示することを決めてから、作品ひとつずつに小さな印を押して日付をつけています。さて、今はどういう展示にしようか思案中です。作品によってはレリーフ状のものや箔が貼ってあるものやコラージュがあって、普通の額装では難しいと思っています。しかも小品といえども365点。来年1月末の横浜市民ギャラリーのグループ展間近では額装を考えている余裕はないと判断し、早急に額装を試してみることにしました。考えたのはパネルに1ヵ月毎に作品を留め、その上からアクリル板を固定する方法。パネルとアクリル板の間に隙間を作れば、多少のレリーフでも大丈夫ではないかと考えました。早速パネル作成用の板を買ってきたのですが、1ヶ月30枚程度になる作品は思いのほか場所をとり、もう少し大きくないと1か月分を留めきれないことがわかりました。それが12点必要になると思うと、額を作るだけでもかなりの仕事です。実作品を作ると同時に、額も早めに作らねばならないと感じました。     Yutaka Aihara.com

森村泰昌「美の教室 静聴せよ」

表題の展覧会が横浜美術館で開催されているので見てきました。このところ展覧会ばかり出かけています。空調の無い作業場は暑いので制作は小休止。こんな時は涼しい美術館に限ります。とはいえこの展覧会は企画といい、発表内容といい、熱気を感じる大変楽しいものでした。展示場所を学校に見立てて、森村泰昌先生が1時間目から6時間目まで美術の鑑賞の授業を行う設定になっていました。音声ガイドから流れる講義内容も作品の一部で、部屋ごとにフェルメールだったり、ゴッホだったり、レンブラントだったり。作家自身が被写体となって演じる名画は、単なる真似事ではなく表現を問う哲学にまで発展していました。解りやすい音声とともに特異な表現方法をゆっくり味わうことが出来て、これはもう企画の勝利ともいえる展覧会でした。Yutaka Aihara.com

「伊東豊雄 建築/新しいリアル」展

神奈川県葉山にある県立近代美術館に行って来ました。海水浴客で賑わう湘南海岸に比べ、葉山は若干人が少なめでした。美術館では「伊東豊雄 建築/新しいリアル」と題された個展が開催され、特異な建築家の全貌を見ることができました。建築は水平垂直の構造が通念となっていますが、それを乗り越えて、より自然に近いカタチで構造を支える実験的な取り組みが見て取れました。美術をやっている自分からすれば、建築の構造がこんなに美しく楽しいモノだとは夢にも思わず、伊東ワールドにのめり込んでしまいました。確かに外見だけが変わった建築はありましたが、構造そのものがまるで生き物のように伸びていく建築を初めて見ました。以前、東京原宿を歩いていたら突然現れた抽象彫刻のような建物「TOD`S表参道ビル」の美しさに惚れ惚れしたのを思い出しました。このビルにしても「せんだいメデイアテーク」にしても裏では構造上の計算や実験が数々行われていたことを今回の展覧会で知ることが出来ました。                      Yutaka Aihara.com

益子・笠間 旧交を温める

夏の日差しの中、田畑が米やジャガイモやトウモロコシで緑のパッチワークを作っていました。山々も深い緑の遠景を作っていました。久しぶりに栃木県益子や茨城県笠間を訪れ、そこで陶芸をやっている友人たちに会ってきました。益子では「もえぎ本店」や「スターネット」を見て、陶芸の里でありながら、他の工芸品もモダンな店舗に配置し、トータルデザインとして演出する最近の傾向を感じました。笠間では陶芸美術館に行き「アジアの熱気 東南アジア陶磁器の魅力」を題した展覧会を見てきました。滅多に見られないクメール等の陶磁器に接してきました。夕方から当地に住む友人たちと食事をしながら楽しい話に興じ、充実した時間を過ごしました。自然と制作に対する姿勢が話題となり、普段は個々でやっていることでも、お互い共通する戸惑いや悩みがあるのを知って、それらを分かち合う良い機会になりました。

IW若林奮ノート

自分がまだ大学の彫刻科に籍を置いていた頃、デザイン科共通彫塑研究室に若林奮先生がいました。直接教わることはなかったのですが、個展等があれば足を運び、また文章が記載されていれば必ず目を通していました。作品や考え方を理解したい彫刻家の一人でした。若林先生は自然現象全てにわたって独特な捉え方をされていて、作品として表れるモノも何かを提案し、また語りかけてくるような要素を持っていました。表題の本は2年前に読んだ本で、今回再び手に取ったのは横須賀美術館にある「Valleys」に触発されてのことです。「IW若林奮ノート」は前半部分がラスコーとその周辺の洞窟壁画に関するもので、実際に見てこられた様子を独特な切り口で伝えています。後半部分は様々な現象や風景に関するエッセイで、その関わり方を思弁しています。創作する作品にはそうしたモノに対する考え方が大きく反映していることを若林先生は示してくれているのだと自分は認識しています。

若林奮「Valleys(2nd stage)」

横須賀美術館の前庭に盛り土があって、そこに巨大な彫刻作品が設置してあります。ただ作品は地上から伸びているのではなく、盛り土を切り裂いて存在しているので遠くからは見えません。「Valleys」と題された作品は題名どおり谷間を表現していて、盛り土をV字形に裂いて、その両斜面が鉄の壁になっています。大地を裂いたら鉄の壁が表れ出てきたという感じです。高さ3メートル、距離50メートルほどの谷間を歩くと、圧迫感があります。ところどころ鉄がうねっていたり、鋭角に突き出ていたりして表情が見てとれます。人の視点であるとか、モノの高さや角度、距離を改めて認識できるような立体作品です。谷から上を見ると広がる角度のためか空が開放的に見えます。足もとには窮屈な空間があります。そうした空間認識の在り様を鉄の谷間を作ることで表現しているのかもしれません。立体造形に取り囲まれて鑑賞あるいは体験する作品とも言えます。           Yutaka Aihara.com

谷内六郎の郷愁世界

昨日行った横須賀美術館には谷内六郎館があって、「週間新潮」の表紙になった絵をまとめて見ることができます。この日は自分の教え子で仕事の同僚になった人が一緒でした。彼女は谷内六郎の世界が大変気に入って、「カワイイ」を連発していました。20代の彼女は同世代の人たちより語彙が豊富で、普段「カワイイ」を使わない人です。でも谷内六郎の世界は思わずカワイイと言ってしまう要素があります。谷内六郎は素朴派の一人で、シュールリアリズムの画家と言っても差し支えないと思います。日本のひと昔前の風景に子どもがいて、その子の視点やイメージで、たとえば電線にとまっている鳥の群れが音符になったり、雨粒やかまどの中に風景があったりします。自分もこんなことを子どもの頃に思い描いたことがあったと思わず郷愁に浸り、そのカワイイ発想を楽しんでしまいます。老若男女全ての人に解りやすくシュールレアリズムの世界を提供していると言っても過言ではありません。

アルフレッド・ウオリス展

今年春にオープンした横須賀美術館に行ってきました。美術館の目の前は海水浴場になっていて、企画展と常設展を見た後、海岸に行って渚を歩き、海の家で昼食をとり(美術館のカフェは予約でいっぱいでした)また美術館に戻って谷内六郎館を見たり、屋上に上がったりして過ごしました。さて、企画展はイギリスの素朴画家アルフレッド・ウオリスの全貌を見せる内容でした。ウオリスは漁師や船具店をやっていた人で、70歳を過ぎてから絵を描き始めた異色の画家です。身近にあった厚紙や木の破片に塗料を使って、船や港の様子を描いていました。専門の勉強をしていないので遠近法などを知らず、それでも独特な構図や生き生きとしたタッチがあって魅力的でした。70歳から亡くなるまでの十数年によくぞ描いたりと思うくらい実体験に基づいた世界を描いていたのが印象的でした。               Yutaka Aihara.com

「点・線・面」より点について

造形作品を作る上で、最も基本となる要素は点です。そこからカタチは始まるからです。カンデインスキーの著書「点・線・面」の冒頭に「幾何学上の点は、眼に見えぬ存在である。したがってそれは、非物質的な存在と定義せざるをえぬ。物質的に考えれば、点はゼロにひとしい。だがこのゼロには、人間的な各種の性質が潜んでいる。」とあります。そうしたところから点のもつあらゆる要素を論じ、「点は内面的にもっとも簡潔な形態である」また「点は時間的にもっとも簡潔な形態である」と結論づけています。点以上に簡潔なものはないと言うわけです。バウハウスで教壇に立っていたカンデインスキーが、造形美術をまずここから始めていたことは、今でも新鮮な驚きを感じます。もっとも始原的で基礎的な「点」からの展開が楽しみです。

「点・線・面」より総論について

カンデインスキーの「点・線・面」は当時の芸術論としては画期的だったと思います。絵画的要素(立体も然り)をその最も基本とする抽象要素にして、人が作品を鑑賞する際に感じる内面性や精神性を、あたかも数学の法則のように解釈して論じたものは他に類を見ません。芸術を語るものであることは理解できますが、その論法は何か絵画や彫刻とは別のものを論じているように感じます。その中でも感覚的な部分に触れたり、曖昧なところを曖昧として扱ったりするところは、やはり芸術論の域を出ていないようです。しかしながら、こうした取り組みはキュビズムやシュールリアリズム、果ては現在に至っている芸術を見ていくと、やはり思考すべき道筋だったのかもしれません。今一度、現代美術が現代美術になった原点を考えるのは必要なことだと認識しています。

カンデインスキー「点・線・面」

今夏再読しようと思っている本にカンデインスキーの著した「点・線・面」があります。再読とはいっても30年前に購入したものの数頁読んで放り投げてしまったものなので、今回新しく読むといった方がよいと思います。当時20歳になったばかりの自分は大学の彫刻科に籍をおき、昼間は粘土で具象彫刻を作り、夜は「ドイツ表現主義」の作家から影響された木版画を作る毎日でした。「ドイツ表現主義」から「バウハウス」に関心が移る中でカンデインスキーを知り、「点・線・面」を読み始めましたが、具象彫刻を作ることにほとんどの時間を費やしていた自分は、「点・線・面」の論理を受け入れられず、本論に入る前に書棚にしまい込んでしまったのでした。自分に「抽象衝動」が起こるのには、もう少し時間が必要でした。あれから30年。黄ばんだ表紙の埃を払って、遅ればせながら「点・線・面」を読むことにしました。前時代では新しかった考え方が現在ではどうなのか、興味が湧くところです。

制作三昧の8月に思うこと

8月になりました。自分の時間が多く取れる1ヶ月です。今月は小さな陶彫によるランプシェードを作る計画があり、久しぶりに粘土に取りかかろうかと思っています。ずっとやっている365点の連作(ポストカード大の平面作品)の中で、陶彫ランプシェードのイメージデザインを試みています。小品といえども、スケール感のあるものを考えています。併行して木彫作品もやっていく予定です。作業場は木彫の柱が並んでいます。数本は荒彫りが終わっていますが、まだ全体の4分の1といったところでしょうか。昨年と同じ流れですが、365点の連作や陶彫ランプシェードが加わる分、今年の方が仕事量も幅も増えている状態です。今月をいかに有効に過ごすか、1年間の中で最も大切な1ヶ月を迎えることになりました。

情報機器の研修会

職場で情報機器の研修会があり、同僚とともに参加してきました。仕事に必要なものであり、様々な処理が可能な情報機器ですが、だんだん技術や方法についていけなくなりました。土を練ったり、木を彫ったりすることは何の苦もなくこなせるのに、パソコンの前ではそうはいかず、半日もやればグッタリしてしまいます。自分はアナログな人間なんだと自覚しつつ仕事で必要とあれば否応なくパソコンをやらなければなりません。このHPにしても日々書いているブログにしてもパソコンに向かう自分がいるのですが、仕事となるとどうしてこうも気が進まないのか理解できません。アナログとデジタルのバランスを取りながら、時に彫刻家、時に公務員としてやっていくしかないのかと思った一日でした。                   Yutaka Aihara.com

無党派層の選択

20歳で選挙権を得てから、海外生活5年間を除いて、ずっと選挙に出かけています。当時の両親は自民党支持、自分は気の向くまま適当な人に一票を投じていました。いわゆる自分はずっと無党派層。昨日の選挙も基本姿勢は同じですが、年金のことやら大臣の問題行動等あって、気ままな無党派層ではいられなくなり、日本で暮らす一市民としての行く末を考えた投票になりました。成人したばかりの頃は、政治に興味が無く親に言われて仕方なく選挙に出かけていましたが、海外生活で様々な国を知って、政治・経済の動向を気にするようになりました。日本を住みよい国にしたいと願うのは、海外との比較によるものです。モラルがしっかり根付いている文化的に円熟した国家にしたいと願いつつ、昨日は一票を投じてきました。

夏読書の楽しみ

通常勤務を要するものの労働時間が自由になった夏季休業中の楽しみは、第一に作品制作、第二に読書です。学生時代に買って既に絶版になった本の再読、加えて今夏新たに買った本が数冊。全部美術に関係するものばかりですが、普段読めない(読む時間は確保できても気分が向かない)もので、昼間作業をしながら、夜読書する楽しみは格別です。今夏のテーマは「ドイツ表現主義の再確認」にしました。気分的にはドイツ表現主義を夏に読むにはミスマッチという感じですが、今しか時間が取れないとあっては仕方ありません。陽光が少なく思索的にならざるを得ないドイツの風土。高温で湿気が多い横浜で読むのにはイメージする力を要しますが、かつて住んだことがあるヨーロッパの風土を思い出し、読書を堪能したいと思います。

「日展100年」展

東京の国立新美術館で「日展100年」という展覧会が開催されています。日本で一番長い歴史をもつ公募団体で、いわゆる官展系です。大学生の頃に上野の美術館に日展を見に行き、期待したわりにはあまり心に響く作品がなく、むしろ在野団体の方が面白かった記憶があります。「日展100年」展は初期の文展から始まった日本の美術史を網羅して見ることが出来る貴重な展示内容だと思いました。文展時代の作品は精彩を放ち、とりわけ日本画の秀作が並んで壮観でした。西洋画も日本独特の手法をかち取ろうとした試行錯誤が見えました。時代が現在に近づくほど作品が退屈になるのはどういうわけだろうと思いました。自分が学生時代に感じたものと同じでした。旧態依然というものが美術には馴染めない要素なのだと改めて思い知りました。

インカ マヤ アステカ展

学校が夏休みになったようで、東京の上野公園には平日にもかかわらず、子どもたちの姿が目立ちました。国立科学博物館で開催されている「インカ マヤ アステカ展」にも老若男女いて、発掘品や映像に見入っていました。自分も理屈抜きで楽しんできました。ヒスイを使った仮面、独特な文様レリーフ、顔のある陶芸品、ミイラなど思わず我を忘れて見入って、中南米の世界遺産の虜になってしまいました。「マチュピチュ」のジオラマや映像を見て、いずれこの空中都市に行ってみたいと思いました。自分の陶彫作品にも通じる世界です。実際に自分の目で見て、空間を体感してきたいと願っています。                               Yutaka Aihara.com

「青騎士」よりドローネー評

R・ドローネーはフランスの画家で、カンデインスキーと同じく抽象絵画の開拓者の一人です。「青騎士」にも参加し、同誌にブッセによる評論が載せられています。「外的な自然の模倣的再現を避け、それを自然の潜在的な法則のみを再現する要素によって置き換える試みが、着手された形成過程を論理的に継続するものとしてあらわれる」と書かれています。自然をただ再現して描かず、そこに法則を見つけて描くというわけです。ドローネーの「エッフェル塔」はとくに有名な作品で、見えたものを再構成したような画風です。「都市」をテーマにした作品にも理念の視覚化が見られます。これはキュビズムの影響を受けた「オルフィズム」といわれる画家のグループに入っています。自分も現代社会において、「都市」の視覚化(触覚化)を考える作家の端くれとして、ドローネーが理念を探し求め続けたこと、その過程に注目しています。                          Yutaka Aihara.com

「青騎士」を読んで

年刊誌「青騎士」は1912年ミュンヘンで出版された、という訳者の前書きから始まって、この貴重な本に様々な芸術家が評論を寄せています。1912年といえば20世紀初頭。ほとんど1世紀前に書かれたものです。第一次世界大戦で中断し、その後ついに出版されませんでした。「青騎士」出版編集を担当したカンデインスキーのパートナーはフランツ・マルクでした。画家としての才能ばかりではなく文才があったのは、カンデインスキーと同じ資質をもった人だったようです。マルクは第一次世界大戦で36歳で戦死。またマルクの親友で優れた水彩画を残し、また詩人としての才能に恵まれたアウグスト・マッケも27歳で戦死。こんな状況の中で「青騎士」が出版され「青騎士展」があったことを思うと、この時代に彼らがやり遂げようとしたことが生々しく伝わってきます。「青騎士」の新しい思想は、今でこそあたりまえとなったことも多く、また当時を考えると彼らの初心の意気込みや新鮮さもあって、読みごたえのある内容になっていました。

歯にまつわる(歯無し)話

今年も空調設備のない作業場で、長い柱を彫り始めています。このところもっぱら木彫に親しんでいます。荒彫り用に丸鑿を使っていますが、鋸が芳しくありません。見ると鋸に歯こぼれがあるのに気づきました。自分は鋸の目立てをやったことがなく、ヤスリもありません。昔、亡父のもとに来ていた植木職人が昼食の休憩時間に鋸の目立てをやっていたのを見ていたことがあります。ひとつひとつ丹念に歯にヤスリをかけていました。自分はなす術も無く、今日はここまでかと思ったところで、左上の奥歯がポロンと取れてしまいました。もともと差し歯だったので、そのまま歯医者に直行し、また元通りに、と思いきや土台が割れていて抜歯しかないと言われてしまいました。鋸といい奥歯といい、歯無しにまつわる話でシンドい一日を終えました。もうこんな話は勘弁願いたいを思っています。           Yutaka Aihara.com

青騎士・デア ブラウエ ライター

ドイツ表現主義に興味を持ってから、当時住んでいたウィーンで資料集めをしていた時期がありました。「EXPRESSIONISMUS(エキスプレッショニスムス)」と表題にあった書物をいろいろ購入したものの原書で読む労苦に耐えられず、結局は日本に持ち帰り、我が家の書棚の埃にまみれたままになってしまっています。「青騎士」の画集も原書で持っています。ミュンヘンのプレステルから出版されたものです。関わった画家は画集から察しがつきますが、実際「青騎士」とはどんな運動だったのか、わからないままになっていました。最近、白水社から「青騎士」の翻訳が出て、早速購入して読み始めています。興味を持ってから実に30年が経っています。カンデインスキーやマルクの作品をもう一度見直して、翻訳とともに自分の過去における関心を辿りなおす作業です。今夏はこれを課題にしていこうかとも思っています。

「ドイツ表現主義の誕生」から

20数年前にドイツやオーストリアで生活し、表現主義の枠に括られる多くの画家や音楽家の遺産をこの目で見ておきながら、表現主義の何たるかを知らず、キルヒナーやノルデの絵画世界がもつ漠然としたイメージだけで表現主義が解っている気がしていました。実際はダダやシュールリアリズムのような「宣言」があったわけではないので、表現主義を限定するのは難しく、後期印象派のあたりから表現主義と呼ばれるようになったと思っています。早崎守俊著「ドイツ表現主義の誕生」を読んで、あらためて表現主義の初期の動きがわかりました。ヴォリンガー著「抽象と感情移入」を引用し、このゴシック芸術解明を書いたものが、表現主義というコトバのさきがけをなったと「ドイツ表現主義の誕生」では述べられています。さらにヴォリンガーが原始的な美に遡って論じていることも表現主義に通じることを示しています。恥ずかしいことに自分は20代で中途半端な知識しか持たずに渡欧し、実際の作品に接し、帰国してから文献を漁って、ようやく表現主義の何たるかに辿りついたようです。

ドイツ表現主義への第一歩

20数年前に初めてヨーロッパに渡り、最初に降り立った都市が旧西ドイツのミュンヘンでした。東京〜パリ間をフライトし、パリを見ずにそこからすぐミュンヘンまで飛んでしまいました。日本の大学に通っていた当時からドイツ表現派に思いを寄せていたので、パリのルーブル美術館より先にミュンヘンのレンバッハギャラリーやハウス デア クンストに行ってみたかったのです。ドイツ表現派に関わる情報は、日本で得られるものが大変少なく、それでも芸術集団「デア ブリュッケ(橋)」や「デア ブラウエ ライター(青騎士)」を調べて、ミュンヘンの美術館で実際の絵画を見たのでした。僅かの知識で見た作品の数々はプリミテイブな力を感じたものの、それ以上に心を揺さぶられることはありませんでした。その後ヨーロッパ滞在中にゴシックやバロック等の古典から印象派に至る全ての作品をこの眼で見てから、もう一度ミュンヘンに立ち寄った時に見た表現派は、あきらかに違って見えました。分厚い西洋美術史を、知識というより感覚で取り入れてから、改めて表現派に接すると、内なる声に耳を傾けながら真摯に取り組む作家の姿が見えて、日本で初めて表現派に接した時の新鮮さを思い出していました。

「構築〜解放〜」に向けて

いよいよ明日から新作の本格的な制作に入ります。昨年は「構築〜包囲〜」。今年は昨年の作品と対になる「構築〜解放〜」。また鑿を研ぎながらモチベーションを上げていこうと考えています。木材との対話が始まると思うと嬉しくて仕方ありません。作品は出来上がってしまうと自分の手を離れていき、ただの結果でしかありません。最後にギャラリーに作品を設置して空間演出をするという大切な創作行為が残っているのですが、それも既に考えたイメージの具体化であって、それもただの結果に他ならないと思います。未だ頭の中に燻り続けている最初のイメージ、それを作り始める第一歩が楽しいのです。作品は現在未知数です。あれこれ考え、イメージを膨らませている今の状態にしばらく酔っていたいと思っています。

「歩き」を取り戻す

職場へ自動車で通勤するようになって歩くことが少なくなりました。時々スポーツクラブへ行っていますが、車で乗りつけることが多いこの頃です。エンジントラブルで車を修理にだして以来、通勤も夜のスポーツクラブへも公共交通機関を使ったり、歩いていくことが増えました。自分は学生時代より歩くのが大好きで、とくにヨーロッパ滞在中の5年間はどこへでも歩いていくのがあたりまえになっていました。ウィーンの市電やバスの乗車券を生活費から捻出できなかったのが大きな理由ですが、それでも歩くことが楽しいと感じていました。あれから随分時が経って、歩行が退化したなと感じつつ、楽な車通勤に流されてきました。今はよく歩いています。昔の歩きを取り戻した気分です。スポーツクラブで泳いだ後、歩いて帰るという爽快感を味わっています。 Yutaka Aihara.com

「魔法の国の建築家」を読んで

ホルスト・ヤンセンと同じように、カール・コーラップもウィーンで初めて知った画家です。種村季弘著「断片からの世界」にコーラップに関する評論が掲載されていたので、これを契機にコーラップの絵を知った時の昔の思い出を昨日のブログに書いてみました。著作ではコーラップは「ほとんど解剖学的なサデイズムにしたがって切開された廃物オブジェが散在していながら、透明で静謐な神秘的一体感が眼に見えない雪のように沈々と降り込めている」世界を描いていると書かれています。その後、批評家の見解がふたつに分かれてるとの指摘があります。「一人がむしろ自足した田園詩人のひそやかなオプテイミズムを見ているところに、もう一人は工業化社会におけるペシミストの顔を見ている」。相反するコーラップの世界。いづれの画家も表現豊かな世界があれば別の解釈が成り立つものと思います。コーラップも現代美術界では優れた画家の一人だと私も思います。

カール・コーラップの世界

ウィーン幻想派画家やフンデルトワッサーほど国際的な名声を得ていないので、カール・コーラップを日本で知ることはありませんでした。20数年前にウィーンにいた頃、コーラップのタブローや版画を多くの画廊が扱っていて、ウィーン市民の間でコーラップがそれなりの評価を受けていることを知りました。コーラップの絵画は旧知のウィーン幻想派よりも馴染みやすく感じました。一言で言えば、不思議なグッズで成り立っている静物画です。描かれたものがオモチャのように散在し、ひとつひとつに意味があるようにも思えます。前時代的な金属製のものであったり、人の顔型の抽象化であったり、中には意味不明のグッズもあって謎解きのような世界です。馴染みやすかったのは、今思えば自分の作品に近いと感じたからかもしれません。自分も陶彫や木彫で造形要素を寄せ集めた世界を作っています。コーラップも広義では幻想派と言えると思いますが、独特の世界をもった画家であることには違いありません。

コラージュと箔貼り

365点の連作が160点をこえ、日々習慣化していますが、内容は展開に乏しくなっています。前日の作品を少し手を変えて今日のノルマをこなし、また翌日に繋げていく、という制作方法は好ましくありません。最近はレリーフした板材を貼ったり、さらに和紙や新聞をコラージュして、今までのペン画一辺倒を変えようとしています。今日は銀箔や銅箔(金箔は今の自分の作品に合わないと思ったので)を貼りました。小さい画面なので、箔の余り材を小分けにしたものを使いました。この箔を貼る作業がなかなかどうして難行いたしました。箔の余り材はクチャクチャになったものが小さな箱に入っていて、それらをピンセットで一枚ずつ剥がして接着面に置きます。布で軽くたたいて接着させますが、初めは上手くいきません。もともとクチャクチャなので皺になるのは仕方ないことですが(むしろそこが面白いマチエールになります)ところどころ穴が開いてしまうのです。今日は箔貼り作業を学んだ一日となりました。                      Yutaka Aihara.com

軽妙洒脱な手紙から

故ドイツ文学者の重厚な評論を読んで、20数年前暮らしていたウィーンに思いを馳せている時に、やはりウィーンで知り合ったエッセイストのみやこうせいさんから軽妙洒脱な手紙が届きました。太めのペンで書かれた手紙はパソコン全盛の時代にあって新鮮な感じがします。「(ルーマニアに)インド人が目下たくさん移住しています。インド人は乾いた牛糞の燃料をジャンボ機や貨物船で運び、これを燃やしてカレーをつくり、カレー屋がオラデアだけで5軒。インド人はカレーが好き。つまりカレーのルウを毎日つくる、ありゃ、ルーマニア。こりゃ、ルーマニア。となりの国に匂うカレーの香り。ハンガリーはハングリーとなり、二つの国はムンカチョスとなる。大食漢ですね。〜」といった具合の手紙です。いったいどこまで本当なのか、2ヶ月ほどルーマニア滞在して帰ってくると、みやさんの頭は飛んでしまっているのかなと察します。また、みやさんのコトバが聞きたいと思うこの頃です。

「描かれた空想美術館」を読んで

昨日は何故ホルスト・ヤンセン展の回想を書いたかと言えば、今読んでいる種村季弘著「断片からの世界」にヤンセンの評論が掲載されていて、20数年前にウィーンで知った卓越した素描画家の様々な面を知ることができたからです。著書にはヤンセンが好んで古今東西の巨匠を模写して自作を作り上げていることが論じられています。「先師から弟子へと伝承されてゆく模写の過程にあって重要なのは、巨匠たちのお手本を通じておこなわれる師との対話である。この対話の緊張が模写された作品のリアリテイーを支えており、もしもその緊張が一瞬たりとも弛緩すれば、模写はたちどころにたんなる機械的再製、石膏鋳型鋳出へと堕してしまう。」と述べられた後、ヤンセンの模写が「当意即妙の機智に導かれた模写」であり、「彼一人がコレクターであるところの独力の空想美術館を描き上げてしまう。」と結んでいます。どこかで見たことのある情景、でもどこにもないヤンセン独特な画風という印象を20数年前に持ったことは、こんなところに所以があったのかと改めて思い知った次第です。

ホルスト・ヤンセン展の回想

ドイツの現代画家ホルスト・ヤンセンを知ったのは、自分がウィーンに滞在していた頃でした。当時手に入れた図録を見ると、1982年4月1日から5月2日までウィーンのアルベルテイーナ美術館でヤンセンの個展があって、そこで印象が脳裏に焼きついたようです。その記憶は定かではありませんが、ある地点からずっとヤンセンの版画や素描に親しんできたので、個展にいつごろ行ったものやらすっかり忘れてしまっているのです。ただドイツ語の図録を読むことはしなかったので、ヤンセンの生い立ちや絵を取り巻く評論等には頓着せずに今まできました。ヤンセンの数多い自画像が醜くもあり、シャープなようでもあり、何故か心を捉えて離さない魅力があって、以来ずっと注目しています。むしろヤンセンその人を知らずに、いきなり絵を見たことで、より強烈に心に響いた画家と言った方がいいかもしれません。鉛筆による素描がE・シーレにも似て、また構成が北斎にも似て、昔から慣れ親しんでいるようでもあり、新しくもあり、ともかく不思議な表現の虜になってしまうのです。                        Yutaka Aihara.com