建築家を惜しんで

建築家黒川紀章さんが亡くなったという新聞記事を見ました。都知事選に出たりして晩年知名度が上がりましたが、自分は本来の建築の仕事にずっと注目してきました。最近では東京国立新美術館の設計に力量を感じていました。波打つ正面ガラスはとても美しい曲面を描いていて、美術作品に導いてくれる心豊かになる建物です。展覧会場もゆったりとしていて、観ていても疲れが少ないように感じました。建築という仕事は高校生の頃から憧れていた分野で、一度は本格的にやってみようかと思ったことがあります。今でも自分の作品が建築的な要素をもっているのは、この時代の名残かもしれません。生活を包む作品である建築。著名な建築家が亡くなったニュースを見て自分の諦めてきた夢が甦って複雑な思いに駆られます。
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彫り跡の気持ちよさ

昨年も同じ傾向の木彫作品を作っていました。柱を組み合わせる作品は今年2年目。彫り跡をどこまで残すかを考えていると、昨年の記憶が甦ります。ざっくりした感じを出すため、表面は出来る限り彫り跡を残し、ささくれだったところだけ処理する方法を今年もやっています。滑らかにしてしまうと工芸品のようになってしまい、彫刻としての立体感が薄れます。陶彫の方は粘土に残った手の跡を消してしまうのに対し、木彫の方はわざわざ手の跡を残します。これは彫り跡の気持ちよさがあって、これを潰してしまってツルツルにしてしまうのがもったいないと思うからです。陶彫はブロックのように組み合わせる関係で、ひとつひとつの面が整理されていないとうまくいかないのです。木彫は組み合わせ方が異なり、柱の一本一本が独立した作品としてみることができるため、彫り跡の気持ちよさを残すようにしたのです。Yutaka Aihara.com

読書の秋と言うものの…

読書の秋と言うものの、なかなか時間が出来ず、夏から読んでいる本がいまだにあります。夏に画家カンデインスキーに関わる著作・翻訳を再読または新しく購入して読み始めましたが、まだ読み終えていません。カンデインスキーの生きた時代や抽象芸術移行期のことをもっと知りたいと考えたのは2ヶ月も前のことです。多忙な公務、週末の創作活動、毎晩描いている365点の連作、週何回か通っているスポーツクラブ、そしてこのブログ。こうして書き連ねていくと読書が入り込む余地がありません。ウィークデイの事務処理であれ、週末の自己表現であれ吐き出す一方の毎日です。読書や旅行などして心の貯蓄をしなければならないと思いつつ、その日その日のやることに追われて、時間はどんどん過ぎていきます。読書も行楽もなく芸術一辺倒の秋。それでも創作活動ができるのでよしとするのか、画業と文筆業を両輪として表現者たりうるカンデインスキーに夢でお伺いを立ててみようと思います。Yutaka Aihara.com

365点の連作 鉄骨シリーズ

365点の連作は、一日一点のペースで平面作品を作る計画で現在進行中です。10月は公務が多忙なため凝ったことができず、ペンで描くだけで精一杯です。しかもイメージはずっと鉄骨シリーズ。自分では描くモチーフは鉄と決め込んでいますが、見る人には鉄と見えないかもしれません。空いた時間を見つけては、ちょこちょこと描いています。画面がポストカード大なので、いつも携帯しています。仕事の合間、食事を待つ間、早朝など時と場所を選びません。ただ今の鉄骨シリーズは鉄骨が立方体であったり、直方体であったり、円柱であったりするので机がないと描きにくい難点があります。色彩をつける時はまとめてつける場合が多いです。アクリルガッシュを日々出すのが億劫だけなのですが、似た色彩が続いてしまうのはそのためです。カタチも似たものばかりになってきています。なんとかしようと思いつつ…。                               Yutaka Aihara.com

ランプシェードのカタチ

以前のブログでランプシェードについて触れました。昨日から窯出しをしているので、ようやく陶彫による完成したカタチが見えはじめ、そこに光源を入れてランプシェードにしていく予定です。以前書いた記憶では朴訥なカタチに単純な照明を入れる計画で、その意図は変わっていません。光の工夫や面白さは益子や笠間でよく見かけるので、自分は奇を衒うことはせず、簡素な陶彫から光が漏れるようにしたいと考えました。照明がなくても充分に鑑賞に耐える作品にしようとも考えました。ひとつ出来上がると自分のクセが出て、ついシリーズにしてたくさん作りたくなります。どんどん展開していけば面白いと思いつつ、まだ大きな木彫作品や日課になっている小さな平面作品もあって時間が取れないのが残念です。逸る気持ちを抑え、今日も昼間は木を彫り、夜は小さな平面作品を作っています。           Yutaka Aihara.com

窯出しの瞬間

陶芸をやっていて、何と言ってもワクワクする瞬間が窯を開ける時です。何年やっていてもワクワク感は変わりません。歓喜か絶望か。ただ自分は陶彫の無理なカタチで何度も失敗しているので、焼成で味を出すようには考えていません。無難な焼成の設定をしてしまうのです。おまけに部分を焼いて、それぞれを組み合わせる作品となれば、なおさら冒険は出来ません。こんな焼き方をしたらこんな景色が出来たというのはありません。部品が同じように焼ければ満足なのです。でも窯出しの瞬間は興奮します。魔法のように土が変化して石化するのが楽しくてなりません。陶芸の醍醐味です。    Yutaka Aihara.com

「柳原・土谷・江口」3人展

練馬区立美術館で開催している「柳原義達・土谷武・江口週 彫刻3人展」に行ってきました。何故練馬区の美術館かというと、どうやら練馬にある日大芸術学部の教壇に立っていたことがある3人で、そうした関係で同地で展覧会をすることになったようです。ともあれこの3人の彫刻家は自分が敬愛し注目する作家ばかりで、これは横浜から行く価値が充分あると思いました。期待通り刺激的な作品ばかりで、見終えた印象は(日本の現代彫刻界で評価を得た人たちとは言え)自分が創作に立ち向かう気力をいただけたと思い、明日からまた頑張るぞと決意できました。中でも自分は土谷ワールドが気に入っていて、鉄を生き物のようにしてしまう造形感覚が楽しくて、今まで何度か見た作品も含まれていましたが、見るたびに新しい発見があります。とくに軽みを感じさせる晩年の作品は、ふと足を止めてしまう魅力がありました。Yutaka Aihara.com

化粧土による深み

白い釉薬のかかった陶器は白色が平面性を強調してシャープでシンプルな雰囲気を出します。また、厚めに釉薬をかけた陶器は淡雪のような景色を感じさせます。同じ白でも黒っぽい色の土に白化粧した陶器は、下の土の色と微妙な風合いを出して、立体的な深みを出してくれます。そこに透明釉をかけると、白い釉薬をかけた場合とは、まるで作品の印象が変わります。自分はこの化粧土が大好きで、自作の陶彫で様々な試みをしています。最初のイメージは風雨に晒された壁を、黒っぽい土にいろいろな化粧土をかけて表そうとしました。最近ではもっぱら錆びた鉄のような陶彫作りやっています。これも化粧土のもつ深みを利用しているのです。今日は夏に成形しておいたランプシェードに化粧土をかけました。近いうちに窯に入れようと思います。Yutaka Aihara.com

仮想現実の世界

先日ホームページにアップした自作の陶彫も、現在作っている木彫も仮想現実の世界に存在するものとして考えるようにしています。たとえそれがパソコン画面や映像によるものではなく、実材を使って実際に存在するものを作ったとしても、その空間を体験して感じるものはイメージの世界であり、たとえば木彫はそのイメージを喚起するために造られた装置とすれば、アートはすべて仮想現実と言えると思います。そうした造形物は人の心の余裕から生まれるものであり、またそのくらいの余裕や遊び心がないと、生活に潤いが生まれないと思います。それは大いなる無駄なのか、文化なのか、観る人や考える人によって感じ方も様々です。生活がぎくしゃくすると一番最初にヤリ玉にあがるのはこうした余裕の世界で仕事をしている我々で、経済的生産性の無いものは必要なし、ということになりかねません。そんな国にならないよう願うばかりです。 Yutaka Aihara.com

「発掘〜円墳〜」ギャラリーにアップ

今年の個展(ギャラリーせいほう)で発表した「発掘〜円墳〜」がホームページのギャラリーにアップしました。陶彫によるテーブル彫刻です。テーブルの中央に穴があって、そこから覗いた写真が2点あります。カメラマンによる独特な視点が作品に広がりを与えてくれています。タイトルを「円墳」としたので、発想した最初の原点に戻ってコトバを考えました。この作品はひとつひとつの陶彫ユニットをボルトで接合していますが、これがうまくいかず悩んだ作品です。陶彫は窯で高温で焼くので穴の位置が歪んで、上下に接合するユニットがずれてしまうことが多々あるのです。穴を複数開けて、たとえ歪んでも対応できるように工夫しました。テーブルに接合されて完成を見た時は嬉しかった記憶があります。たちまち反省に変わるのですが、何はともあれ頑張ったと今でも思っています。 Yutaka Aihara.com

建築現場からのイメージ

10月に入って、365点の連作は黒い骨格が連なる構造体を描くようになりました。これは建築現場で見た鉄骨がむき出しになった高層ビルをイメージしたものです。建築はアートとして表現したものではなく、構造上の必要があって構成されるものばかりで、いわば実用です。そうしたところに美的な空間を発見することがあります。工事の途中に思わぬ美しさがあって、完成された部分とこれから作り上げられていく部分が不思議なハーモニーを醸し出している場面があります。出来上がった高層ビルはシンプルな美しさがあって大変気持ちのよいものですが、カタチは自己完結しているので退屈さも存在します。そこへいくと完成されない途中の美は大きな広がりを見ることができます。それは建築としては何の意味もない単なる工事の過程にすぎませんが、視点を変えると面白いアートとして楽しめると思っています。 Yutaka Aihara.com

「私・写・録」展に夢中

先日行った六本木の国立新美術館では「牛乳を注ぐ女とオランダ風俗画展」の他に「私・写・録」と題された写真家安斉重雄の個展をやっていました。フェルメールの作品はものすごく混雑していましたが、安斉氏の個展会場はじっくり見るにはちょうどいい混み様でした。自分としてはフェルメールより「私・写・録」展の方に集中してしまい心底疲れました。安斉氏は現代彫刻を撮影している写真家で、自分が学生時代から安斉流モノクロ世界に接していて、それにより現代彫刻の魅力にとりつかれていたのでした。大学で師事していた師匠を初め内外の現代作家の生々しい記録は、目を見張るほど新鮮でワクワクしました。既に評価が定まって海外の美術館に収まっているオランダ絵画と、その時その状況を写し出して現在に伝える記録写真。2つの異なった展覧会に大満足の一日でした。                 Yutaka Aihara.com

秋到来の10月に

朝晩はめっきり冷え込む季節になりました。芸術の秋の到来です。職場には今日からネクタイを着用して通うことにしました。没個性的な仕事服です。作品の方はこれから見通しを立ててやっていかなくてはなりません。あと4ヶ月で今ある途中の作品をどうしていくのか。まず大きなテーブル彫刻は柱の荒彫りが終わったので、レリーフと仕上げの彫りに移ります。今月と来月でなんとか柱34本は作り上げたいものです。組み合わせの時に必要な番号の入る落款も彫らなければなりません。365点の連作は毎日やっていますが、額がまだ制作途中です。夏に作り始めた小さな陶彫はまだ化粧土をかけて窯に入れなければなりません。こう考えてくると、未だ完成が見えず、ちょっと焦ります。週末しか作業時間が取れない身分なので、毎週末を大切にしたいものです。                          Yutaka Aihara.com

フェルメール「牛乳を注ぐ女」

雨降りの寒い一日になりました。今日は六本木にある国立新美術館に行ってきました。案の定「牛乳を注ぐ女とオランダ風俗画展」は混雑していました。全体を見た印象としては、当時のオランダの風物や衣裳がよく解り、民俗学的な見方をしても面白いと感じました。貴族ではなく、こうした普通の人々が描かれているのは、一般的な暮らしをしている現在の鑑賞者にとっても興味のある情景だと思います。美術的な見方をすれば、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は傑出しているのは言うまでもありませんが、フェルメールが20代に描いたものと知って驚きました。現在ではポピュラーになった作品ですが、ホンモノを観たのは初めてでした。作品に近づくと照明の当て方で絵の具がやや光っていて観にくい箇所があったのが残念でした。   Yutaka Aihara.com

34本の荒彫りが終わって…

久しぶりに鑿を手にしました。夏はよく制作途中の状態をブログに書いていましたが、今月は公務が多忙で制作にあまり進展がなかったのです。今日は何としても制作がしたくて作業場で7時間ほど過ごしました。限りある時間の中で夢中で制作しました。夏には慣れていた作業が、気持ちを乗せるまでは少々つらく感じましたが、集中力が出てきてからは、あっという間に時間が過ぎ、計画した34本の柱の荒彫りが終わりました。これから柱一本一本に細かなレリーフを作り、また彫り跡をどこまで生かすのか、検討しながら仕上げをしていくつもりです。34本の柱はすべて個性があるようにしたいのです。9月に予定していたことが何とかクリア出来たのでホっとしています。Yutaka Aihara.com

「ロダンの言葉」の再読

自分の手許に古川達雄訳「ロダンの言葉」があります。黄ばんだ粗末な冊子です。昭和17年8月5日初版発行(1500部)とあり、当時の定価は2円80銭。二見書房から出たものです。たしか自分が学生時代に神田の古本屋で見つけて購入したものかもしれません。家にずっと前からあるようなものではないと思います。一度読んで、その文語調の読みにくさに辟易した記憶があるので、自分が塑造を学んでいる時代に読んでみたいと思ったのでしょう。今一度読み直すと、埃の臭いとともに格調高い文体が新鮮さをもって現れてきます。彫刻家であれば、何度も読み返す書物なのだと認識しました。内容はポール・グゼルがロダンにいろいろな問いかけをして、ロダンの発した言葉をまとめたものです。彫刻を含めた芸術における真理探究が語られています。今も普遍なものばかりです。秋の夜にこんな書物を再読するのもよいと感じました。                        Yutaka Aihara.com 

アナログ人間

仕事でパソコンに向かっている時は、シンドい思いをしています。表計算ソフトを自由に操れたらいいなと思いながら、やはり同僚がやっているワザや展開についていけません。パソコンが導入されて、仕事の効率は驚くほど上がりましたが、それで仕事が楽になったという感じはしません。自分にとって何が至福の時かと言えば、やはり手わざを使って、木を彫ったり、土を練ったりして作品を作っている時です。パソコンのゲームデザインや開発をしている作家もいるでしょうが、実材を相手にのめりこんでいる方が自分の性に合っているようです。パソコンの仕事が立て込むと、素材が恋しくなります。アナログ人間の主張をしたくなるのです。             Yutaka Aihara.com 

旅ゆけば…

海外に暮らしていた時は、帰国直前にトルコやギリシャへの長旅をしましたが、いつも旅の空にあった訳ではなく、当地の学校に通い、学校のアトリエでずっと彫刻を作っていました。帰国後も横浜で作品制作を始めていましたが、十数年前に北海道から九州まで車で旅したことがありました。すでに横浜市の公務員になっていたので、夏の休暇を利用し、行く方面を決めて出かけていました。今は長旅はしばらく休んでいます。作品制作ばかりの毎日で余暇はすべて木を彫っているか、陶芸をやっているか、小さな平面作品を描いているかのいづれかで時間を費やしてしまいます。そろそろ長旅がしたいと思うことがあります。自己表現として吐き出すなら、自分の中に何かを取り込まなくてはならないと感じています。小さな旅行はしているのですが…。                               Yutaka Aihara.com 

錦帯橋の思い出

10年近く前に九州から中国地方を車で周ったことがありました。いくつかの印象の中に山口県で見た錦帯橋があります。夕刊を見ていたら、その錦帯橋の写真が載っていました。やっぱり奇麗なカタチをしている橋だと改めて感じました。橋のベストランキングがあって錦帯橋は第一位に輝いていました。我が地元の横浜ベイブリッジは第六位。この錦帯橋を見たときは、まだ木彫をやっていませんでした。でも日本の風土に根ざした木材で美しい曲線を作っている橋に自分が虜になり、それが現在の木彫作品に少なからず影響を与えていると言っても過言ではありません。誌面に「あまり大きな部材を使っていないので、傷んだ箇所にはすぐに木材を使って対処できる。きゃしゃな部材でも組み合わせによって強度を高め、丈夫な構造物を造る技術が生きている」とありました。ここのところが一番気に入りました。また行ってみたい場所は錦帯橋のある川、そして周囲の風景。そして橋をゆっくり歩いて堪能したくなりました。                      Yutaka Aihara.com

カラオケ社交術

最近、妹の家族と会食するたび、二次会はカラオケへ行っています。母親同士がカラオケが大好きで、それに付き添う形で大勢で出かけていくのです。思えばカラオケという娯楽を知ったのはヨーロッパで暮らしていた1980年代のことです。在外日本人でカラオケ機器を持っている人が開いた宴会が自分にとってのカラオケ初体験でした。初めは伴奏に翻弄され、歌になっていませんでした。帰国後、横浜市の公務員になりましたが、世はカラオケブームで、職場でもよく歌いに行きました。組織の人間として仕事を円滑に行うために社交上これはやらねばならないと決意し、尻込みするのはやめて積極的に歌うことにしました。何とか気持ちよく歌えるようになったら、同伴の人たちは自分の歌など聴いてはいず、次に何を歌おうか本をめくっている始末。そうか、カラオケは自分で満足できればいいのかと感じた瞬間から肩の力が抜けて、ストレス発散の場となりました。            Yutaka Aihara.com

墓参りの墓地巡り

彼岸の中日を迎え、母親と家内からさっそく墓参りの誘いがありました。自宅近くの浄性院に昨年亡くなった父親の眠る墓があります。まず朝はそこに出かけ、それから横浜に古くからある久保山墓地に。そこには母の実家の墓があります。さらに同じ久保山墓地内に家内の両親が眠る墓もあります。義母は今年亡くなったばかりです。3ヶ所の墓参りを終えて、それぞれに花を添え、線香を焚いてきました。おだやかに晴れた一日だったので、車が渋滞して一時は久保山にたどり着けないかと思いましたが、何とか墓参りができました。夕方は妹の家族と夕食をともにしました。仕事の残務整理も創作も休んで、こんな過ごし方をする一日があってもよいと思いましたが、日頃の疲れが出て、ぼんやりとした一日でした。               Yutaka Aihara.com

公務に追われ…

三連休で創作三昧といきたいところですが、仕事の持ち帰りが多く、なかなか彫刻に取りかかれません。おまけに彼岸で墓参りもあって思うように作業が進まない連休になりそうです。何の野暮用もなく制作できる日々は幸せだと思います。制作に全てを費やすといっても、雑事に縛られ、社会との関わりの中で生きなければならない自分はどんなものでしょう。芸術のために世捨て人にはまだなれそうになく、時間を作っては作業をする生活は続きそうです。横浜市の公務員の定年を迎えても、何かしら社会との関わりがあるのかしらと思いつつ、今日もわずかに時間を作って木を彫りました。    Yutaka Aihara.com

花巻の思い出

何年か前に岩手県に行きました。高村光太郎が智恵子と住んだ山小屋を見たり、柳田國男の遠野物語に出てくる場所を訪ねてみたりしましたが、一番の目的は花巻の宮沢賢治の足跡を辿ることでした。賢治がやっていた畑の近くに記念館があって、雑木林に囲まれたとてもいい所でした。花巻農業高等学校には木造の賢治ゆかりの建物が保存されていました。それは羅須地人協会で、当時としてはモダンな生活を送っていた様子が窺えました。物語のイメージを育んだ場所に立って、ユニークな賢治の世界を味わった旅行でした。Yutaka Aihara.com

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

高校時代に現代詩を読み解きながら、何か不思議な世界にホッとため息をつく童話にも夢中になっていました。宮沢賢治の文学に触れたのは童話が最初でした。それもまずタイトルの不思議さに魅かれました。無国籍な、それでいて民話のようなタイトル。後に宮沢賢治に関する評論を読んで仏教思想が根底にあったり、教師の傍ら農業をしていたことや幅広い知識があって、宮沢賢治がこうした童話を書いていたことを知りました。でも初めて気持ちに飛び込んできたのは思想的なものではなく映像的なイメージでした。とくに「銀河鉄道の夜」は絵画を見るような情景が浮かんできて、そこに夏の、しかも少し肌寒い乾いた夏の夜の気配が感じられ、ずっとそのイメージを勝手に抱いたまま今に至っています。その最初の印象があるので何を読んでも、宮沢賢治はまず絵画世界ありき、というすり込まれたイメージから離れられません。作家の中でも特異な人という自分の中の位置づけは当時から間違っていないと思っています。                      Yutaka Aihara.com

何もしない時間

何もしない時間というものが最近はありません。学生時代はどちらかというと不精で怠惰な毎日を送っていたので、自宅で寝転がりながら、ぼんやり空を見ていることがよくありました。雲が流れていく情景をずっと見ていたりしました。大学で朝から夕方まで塑造と格闘していたにも関わらず、やはり学生の身分というのは暇が有り余っていたのです。今は公務員として決まった勤務体系があるばかりか、余暇はすべて創作活動に使っているため、休みなく動いている毎日です。あまりにも極端な生活の変化に、昔を思い出すと我ながら驚いてしまいます。今は当時予想もしなかった勤勉なアーテイストになっています。アートも節度ある日常から生まれるといった感じがします。またいづれ不精で怠惰な毎日がやってくるのでしょうか。それとも勤勉のまま終わる日が来るのでしょうか。どんな未来が待っているのか少々楽しみです。Yutaka Aihara.com

遠泳に魅かれて

週に何日かは近隣のスポーツクラブで泳ぎを楽しんでいます。夜間に泳ぐのが常ですが、仕事の終わりにまだパワーが残っている時は、個人メドレーにチャレンジする時もあります。自分のスタイルワンは平泳ぎです。平泳ぎが得意ならば、個人メドレーがいいんじゃないか、いやいや遠泳もいいよと人に言われ、ちょっといい気になっています。個人メドレーはプールで出来ますが、遠泳となれば海に行かねばならず、それも美しい海がいいと妄想しています。かつて神奈川県三浦海岸で遠泳の練習をしていて、海が濁っていてヤル気を失い、もっと海中がキラキラと透き通っているところに行きたいと願うようになりました。でも今の仕事の状態では季節のいい時にいい環境で泳ぐことはできません。定年後の楽しみにしておこうと思っています。  Yutaka Aihara.com

水を楽しむ

今日も残暑厳しい一日でした。鑿を振るう身体から汗が噴きだし、それでも7時間くらい制作をしていました。コンスタントにやれるのは一週間に数回泳いで身体のコンデイションを整えているからだと思います。自分が水泳を始めて10年くらい経つでしょうか。公務が忙しく、なかなか決まった時間に泳ぐのはつらいのですが、それでもなんとかやりくりして今でもずっと続けています。公務のある日の夜、週末の彫刻制作をしている時にも自宅の近くにあるスポーツクラブに泳ぎに行きます。身体を鍛えるというよりリラックスできる環境が自分にとっていいと感じています。多分仕事が定年を迎える時になれば、きっともっと水泳にハマるのではないかと思いますが、今は水を楽しんでいたいのです。                      Yutaka Aihara.com

制作中の新作から派生するもの

今日は作業場に夏のような暑さが戻ってきました。相変わらず柱を彫っています。夏ほど制作は進みませんが、焦らず休まずやっています。この柱でテーブルを支え、さらにテーブルを突き抜けて上空に向かっていくように作っています。そんな新作を作っている最中に、このイメージから派生して別のイメージが飛び交い、さらに次年へ展開することがあります。今日はそんな次のイメージを考えていました。柱だけで構成的な作品となり、テーブルを乗せても作品として通用するような、強く主張せず床に融和する柱の集合体。言葉ではうまく言えませんが、柱だけの時は「場の彫刻」、上にテーブルが置かれると「単体として存在する集合彫刻」、そんなカタチです。とりあえず日常やっている365点で構成する平面作品にイメージを描いてみようと思います。                           Yutaka Aihara.com

丸鑿の刃こぼれ

木彫技能に関して師匠を持たない自分は、初歩的なミスをしてしまうことが多々あります。いつも鑿は研いでから作業に入るのですが、今日は気が急いていたせいか、うっかり鑿を砥石にあてることもなく彫り始めて、しばらくしたところで刃こぼれを起こしてしまいました。鑿の当て方にもよるのですが、よく研がれた刃は刃こぼれすることが少ないように思います。作業を中断し、電動砥石で刃先を削り、またせっせと研いでから作業再開。道具の扱いには充分注意をしなくてはならないと肝に銘じました。昨年の作品から鑿跡を残すようにしています。カタチの方向性を表す意味で鑿跡が大切な造形要素となり、ざっくりした感じにまとめたいと思っているのです。幅の広い丸鑿を使っているのも鑿跡をしっかり残すためにやっているのです。   Yutaka Aihara.com

「かもめ食堂」の空気

映画「かもめ食堂」のDVDを観ました。フィンランドで何となく巡り合った3人の日本人女性が小さな和食のレストランをやっている物語。和食と言ってもよく海外で見かける高級和食ではなく、おにぎりやトンカツ定食といった日本の家庭料理で、洒落たフィンランド調のキッチンで調理されていました。観ていると清潔感のある丁寧な描写があって、すっと引き込まれていきます。3人の女性はみんな自立していて、過去に何かあったような素振りはあるものの物語では触れていません。何気ない日常を描いていて、ちょっとしたことがドラマを紡いでいきます。自分が引き込まれた理由は全体に流れる空気。海外で暮らしたことがあれば、異文化とのちょっとした出会いを体験していて、その空気をこの映画は何となく感じさせてくれていました。Yutaka Aihara.com

府中市美術館の「藪野健展」

仕事が早く終わり、午後3時頃になって横浜市の上大岡から東京の府中へと車を飛ばし、府中市美術館で開催されている「藪野健〜記憶の都市」展を見てきました。閉館間近に急ぎ足で見た個展でしたが、大きな画布に描かれた南欧の風景が広がり、時間がそこで止まっているような印象を受け、閉館時間を気にしながら、絵の前で長く留まってしまいました。青い空、廃墟となった古い町並み、作家の記憶の中に今なお生き続けている人々、路面電車やクラシックカーなど一貫したテーマを追い続けている姿勢が感じられて、大変見ごたえのある展覧会でした。車を飛ばして行ってきて良かったと思います。Yutaka Aihara.com