「塑造」という原点

しばらく塑造をやっていません。自分が彫刻の世界で初めて作ったものが塑造による具象彫刻でした。針金にシュロ縄をまいて心棒を立て、そこに粘土を肉付けして目の前にいるモデルを作りました。空間に粘土でデッサンするという感覚でした。骨格やボリュウムが決まると立体ならではの快さを感じることができました。現在やっている彫刻は塑造(モデリング)ではなく、彫造(カーヴィング)です。木材を彫るのは、量をプラスする塑造とは反対の量を削り取るマイナスの造形になります。同じ立体造形ですが、たまに「塑造」という原点に戻ってみたくなります。木彫と併行してやっている陶彫は粘土という可塑材を使っているにも関わらず、塑造とは表現方法が異なります。陶土をたたら(板状)にして組み合わせていくので、いわば構成による彫刻です。いづれ時間ができたら、もう一度塑造をやってみようと思っています。そういえば10年前に作った「手」が石膏取りをして作業場に放置してあります。この時も久しぶりに試みた塑造でした。        Yutaka Aihara.com

仕事の隙間の創作行為

木を彫ったり陶芸をしたりするのは週末の昼間です。ウィークデイは公務があって大きな彫刻は作れませんが、仕事から帰って夕食を済ませた後に自分の時間がやってきます。ボ〜としている頭をもう一度リセットして、365点の連作に取り掛かります。ポストカード大の平面作品なので大きさとしては気楽に出来ます。しばし熱中してイメージを搾り出し、身近にあるペンで描いていきます。気持ちが乗れば時間は瞬く間に過ぎていき、その日の満足が得られます。それからこのブログです。これを書いて就寝。毎日の生活パターンになっています。たまにスポーツクラブで汗を流す夜もあります。そんな時も日々の小さな創作とブログはやっています。早朝6時過ぎに職場に行って、この小さな創作をやっていることもあります。出張に出かけるついでに立ち寄るレストランでもイメージの搾り出しに熱中していることもあります。どこでも創作行為。仕事の隙間に存在する貴重なひと時。ポストカード大の厚紙とペンはいつも携帯している日常です。 Yutaka Aihara.com

ウイークエンドアーテイスト

週末は制作だけやっていられる生活なので、まさにウイークエンドアーテイストです。作業場は木槌の音が響いています。来年早々に発表する木彫による新作「構築〜解放〜」の制作が正念場を迎えています。毎週末に必ず制作をしなければ完成まで辿り着けないことが判明しました。もう予断を許しません。数日前に体調が悪かったので、今週末は心配でしたが何とか制作ノルマは達成できました。体調が悪ければ週末にゆっくり休んで、といきたいところですが、そこは二束の草鞋のつらいところ、週末は普段の仕事とは違う意味できつい仕事が待っているのです。こんな生活になってから夜更かしとは縁が切れました。しっかり寝ないと身体が持たないのです。30数本彫らなければならない柱のうち3分の2は終わりました。残り3分の1の柱とテーブル板材の砂マチエール作り、そして全体の組み合わせ。予定通りにいけば来年1月中旬に終わるのですが…。

365点の連作 11月分

11月も早や10日になって、365点の連作も11月分だけで10枚になりました。ふとしたことで陶彫による壺が作ってみたくなり、すぐ土練りが出来る状況ではないので、まず365点の連作にシリーズとしてまとめることにしました。毎日こんなものにしよう、あんなものもいいなと思っているうちに4つほど城壁のような要塞のような壺のイメージができました。そういえば先頃作ったランプシェードも365点の連作に登場しています。街並みのようなランプシェードになりましたが、365点の連作を見ると虫の甲羅のようなイメージから出発したことがわかります。連作を長く続けているとイメージの変遷があって、我ながら面白いと感じています。      Yutaka Aihara.com

E.ノルデの宗教画

ドイツ表現主義と言えばエミール・ノルデを語らないわけにはいきません。ノルデも昨日や一昨日ブログに書いたバルラッハやキルヒナーと同様、自分が滞欧生活中に知り得た画家です。ノルデは重くて鮮やかな色彩がイメージされる画家です。重くて鮮やかというのは純色に近い色を使っていながら純色ではなく、配色によって鮮やかさが際立っているように見えるから、そんな言い回しをしました。強烈な色彩によって象徴的な画面を作っているのがノルデの特徴です。ノルデはキリスト教をテーマにしていて、当時の斬新な抽象傾向やそれに近い流行とは縁のない人だったようです。でもその表現するものは原初的で根源的な生きる力を秘めています。宗教画として訴えるものが強く存在感を感じます。                     Yutaka Aihara.com

表現主義の彫刻家

昨年の5月5日のブログにE・バルラッハのことについて書いてあります。上野の美術館でバルラッハの展覧会をやっていたので、期待に胸をふくらませて出かけたのでした。期待は裏切られず、自分の滞欧時代に見たバルラッハのどっしりした具象彫刻を再び脳裏に刻むことができました。バルラッハもまた昨日のブログに書いたキルヒナー同様に滞欧生活中に知り得た芸術家です。戯曲も作っていたバルラッハは多才な人だったようですが、彫刻家としても単純化した面や量によって存在を語りかけてくる人物を作り、公共の場や教会に収めています。自分はウィーンの美術館でしか見ていませんが、次にヨーロッパに渡るときは、バルラッハの彫刻を見る旅をしたいと願っています。                              Yutaka Aihara.com

キルヒナーの肖像木版画

手許にE・W・コンフェールド著「エルンスト・ルードヴィッヒ・キルヒナー」という分厚い画集があります。DAVOSというところから出版されています。滞欧中にキルヒナーの風景を刻んだ木版画を見て感銘を受けたので、その当時この画集を購入したものと記憶しています。自分の生活費の中からどうしてこんな画集が買えたのか不思議ですが、なけなしのお金をはたいたものだろうと思いかえしています。いづれこの画集のドイツ語を読破しようとしたことは記憶にありますが、今はそんな時間的な余裕も気力もありません。ただこの画集に掲載されている様々な人物の肖像を刻んだ木版画は秀逸です。風景画より心に迫る何かがあります。デフォルメが心理を描写しているようで、まさにドイツ表現主義の面目躍如たるものがあると感じます。その頃は自分も日本で制作してきた木版画をもう一度彼の地でやってみたいと思っていました。なかなかうまくいかず、結局はアカデミーの彫刻クラスに籍をおきましたが、キルヒナーの影響がずっと続いていました。

画家E.L.キルヒナー

ドイツ表現主義を調べていくとベルリンの「ブリュッケ」とミュンヘンの「青騎士」という2つの芸術家集団に出会います。「青騎士」は年刊誌が発行され、カンデインスキーの理論が核になった集団であるのはよく理解できます。「ブリュッケ」は数人の画家が共同制作をして始まったようで、そのリーダーがよくわかりません。最後まで「ブリュッケ」という集団にこだわり続けて年代記まで出そうとしたキルヒナーがその役割だったのかもしれません。カンデインスキーは昔から名が知られた画家です。モンドリアンと並んで中学校や高校の美術の教科書に掲載されています。しかしながらキルヒナーは日本では馴染みの無い画家です。自分も実際に絵画を見たのはドイツに渡ってからで、とくにモノクロの木版画で風景を描いた作品には感銘を受けました。画家の性格もなかなか好戦的だったようで、画風にも挑みかけてくるような雰囲気が伝わります。ただ当時まだ共産圏だった東ドイツのドレスデンにも陸の孤島だったベルリンにも行かず、キルヒナーの興味はそこで尽きてしまったことが残念です。

ドイツ表現派「ブリュッケ」

「デイ ブリュッケ」はドイツ語で「橋」を意味します。ドイツ表現主義の中で重要なグループだった「ブリュッケ」は、自分が渡欧するまで日本でほとんど作品が紹介されることがなかったように思います。キルヒナーやヘッケルの作品は、フランス印象派やアメリカ現代美術に比べると、かなりマニアックな存在でした。自分も当時影響を受けたコルヴィッツの版画以外にも何かそのような作品があるのではないかと調べていくうちに、「ブリュッケ」の画家による大胆な木版画に出会ったのでした。数少ない文献を漁ると「ブリュッケ」の画家たちは、1910年頃ドレスデンからベルリンへ活動の場を移しているようです。自分は滞欧中に終ぞ行くことのなかった都市です。そのためか自分の中で「ブリュッケ」の芸術運動としての存在がやや希薄なのかもしれません。しかし「ブリュッケ」の画家たちの大胆な画面は、今も相変わらず自分を魅了し続けています。

秋空のひと時に

週末になると制作三昧で、あれやこれやと忙しく動いています。この土日で「構築〜解放〜」の柱の修整彫り2本を終え、陶彫ランプシェード2つの台座を作りました。台座は新木場の材木店「もくもく」まで買いに走りました。作業場には教え子の美大生が卒業制作を持ち込んできました。友人は益子に出かけて、若い世代の陶芸家の情報を送ってきました。秋が真っ盛りで空高く見上げると眩い光が目に入ります。こうして瞬く間に今週末も過ぎていきます。秋空のひと時、鑿先に集中して矢の如く過ぎる時間の中にいました。Yutaka Aihara.com

「シュールレアリスムと美術」展

今日は横浜美術館の18回目の誕生日だそうです。館内無料と知って「シュールレアリスムと美術」展を見てきました。テーマごとの展示、著名な作家の作品がずらりと並んで、シュールレアリスムの捉えがかなり広範囲で楽しめる企画になっていました。中でも関心があったのはマックス・エルンストの一連の作品。ちょっとした工夫が効果的で、絵画世界に広がりと深みを与えていました。当時としては画期的な技法だったはずです。ダリの描写に相変わらず驚き、アルプの簡潔なレリーフがすっきりとした空間を演出していました。横浜美術館内はお祭りのようで、こんな活気のある日もあっていいんじゃないかと思った一日でした。                  Yutaka Aihara.com

私の中の女流芸術家

職場の同僚にK・コルヴィッツの画集を貸したことで、自分が影響を受けた女流芸術家について書いてみたくなりました。学生時代は先日のブログにも書きましたが、コルヴィッツ一辺倒でした。その後はレンピッカが好きになりました。社会派のコルヴィッツと退廃的なレンピッカの世界。直接的なヒューマニズムと屈折したマニエリスム。どちらも女性画家であるからこそ表現できる世界のような気がします。レンピッカはアールデコ様式を体現した画風で、自分のウィーン滞在がきっかけになって、その世界観を知ることができたように思います。ウィーンにはアールデコ様式の産物が溢れているからです。この2人に次いで興味のある画家がメキシコのフリーダ・カーロとアメリカのジョージア・オキーフです。自分はまだアメリカ大陸に渡ったことがないので、この2人に関しては理解が不十分だと思っています。ただ、2人の絵で表現された世界にはただならぬ気配を感じています。いずれ近いうちにもっと接近できるかもしれないと期待するこの頃です。      Yutaka Aihara.com

寒さが増す11月に

寒さが増す11月になって、木彫による新作「構築〜解放〜」がなかなか計画通りに進まず焦りだしました。毎年この時期になると同じ気分になってしまうのが何とも言えません。常に余裕を持って作品が仕上がることがなく、またそういう緊張感がずっと続くことに慣れてきています。週末の日程を見つめながら、あれこれやり繰りをするのが習慣になって、これでないと作品が出来た気がしないと感じるようになりました。多忙だからこそ制作に集中できるとも言えます。定年になったら、自分の時間ばかりになって、さぞや制作が思いきり出来ると考えがちですが、果たしてどうでしょうか。燃え尽き症候群にならないようにしたいものです。なにはともあれ11月は集中して制作です。ランプシェードの撮影日も決定しています。気候は寒くなれど気分は熱くなる1ヶ月です。                     Yutaka Aihara.com

三浦半島荒崎へ

職場の仲間と三浦半島荒崎まで海鮮料理を食べに行きました。たまにはこういう機会もいいものです。職場ではチームとして働いているので、親睦を兼ねて、いろいろな話題で盛り上がりました。職場の仲間は仕事上大切なチームメイトです。自分は二束の草鞋を履いているので、職場でアートの話をする機会はあまりありませんが、彫刻を作ってギャラリーで発表していることはわかってくれていて、個展に足を運んでくれる方もいらっしゃいます。職場で作家活動をしているのは私一人です。ただ、その活動が公務に差しさわりがあるといけないと思っています。美味しい海鮮料理に舌鼓を打ちながら、そんなことを考えた一日でした。                 Yutaka Aihara.com

コルヴィッツと表現主義

以前ブログに書いたことがあるK・コルヴィッツに関して興味ある論文を見つけました。「表現主義の女流画家」(三木順子著)にコルヴィッツと表現主義の関わりがあります。コルヴィッツは表現主義の画家たちより一回り上の世代に属し、政治色の強いテーマで作品を作っていると述べられています。「伝統的な陰影法でモデリングされた筋肉の隆起のヴォリュームと力量感は、慟哭する母親の感情を語る身体言語となって〜略〜苦悩と葛藤を無気味に生々しく浮き立たせる。」の一文は、自分が学生時代にコルヴィッツの版画から大いなる影響を受けたところです。塑造による彫刻を学び、内面的な感情表現をドイツ表現主義から吸収していた自分は、コルヴィッツに影響されたのは当然のことだったのかもしれないと述懐しています。     Yutaka Aihara.com

表現主義の先駆者ムンク

ヨーロッパに5年住んでいましたが、北ヨーロッパには終ぞ行かずに帰国してしまいました。今考えると残念でなりません。いづれ必ず行こうと思っています。ノルウェーの首都オスロにはエドワルド・ムンクの美術館があるようですが見ていません。ムンクの日本での展覧会にはよく出かけています。学生時代にムンクの木版画を真似た記憶があります。自分が当時から心酔していたドイツ表現主義の先駆者と言えるムンクですが、その斬新で心理を揺さぶる表現の所以を知るためには、やはり風土を見てこなくてはいけないと思っています。「叫び」があまりにも有名ですが、死と隣り合わせであったムンクの生育環境やノルウェーの気候がもたらす影響が、全ての作品を通じて鬼気迫る雰囲気をもって表現されています。ムンクが生きた時代にドイツで展覧会をやって波紋を広げた理由がよくわかります。         Yutaka Aihara.com

加藤正 銅版画展

加藤さんは大学の先輩です。学生時代より腐食銅版画一筋にやってきた人で、自分がウィーンに住んでいた頃、ひょっこりやってきてウィーンにしばらく滞在していました。その頃の思い出も銅版画のモチーフとして登場していますが、最近は具象から抽象(というより心象風景)に画風が変わってきています。明日まで横浜鶴見駅前の「鶴見画廊」で個展を開催しています。同じ作家としては長いつき合いになります。具象を極めたような小品「うさぎ」と「かえる」を以前購入して、自宅のアトリエに飾ってあります。繊細で優しいエッチングです。今回の個展に出品した新作は、銅板に溶剤等をつかって海の中の泡とも何かの陰影ともつかない不思議な世界を表現しています。偶然に出来た現象で遊んでいるような画面です。以前までの計算尽くめの具象とはまるで違う世界観を獲得したような個展でした。       Yutaka Aihara.com

サブカルチャーの革新

アニメにしろフィギアにしろ大衆の目線で表現をしていくサブカルチャーは日本が世界に発信できるものになってきています。とくに漫画はひと昔前と比べると、コマ割からストーリー展開にいたるまで、巧みな心理描写を表現したり、現代の空気を捉えたりして革新的に変化しています。ドラマの原作に使われるのもよくわかる気がします。日本人の古来から持っている気の細やかさが、こうしたサブカルチャーで受け継がれていると感じます。さしずめ昔で言う障壁画や浮世絵など日本を代表する美術作品として太鼓判を押されたものが、現在ではアニメにあたるとも考えます。サブカルチャーがアートの世界を席巻し、完全にボーダーがなくなりつつあるのは、現代の世俗が求めている表現を考えれば当然の成り行きかもしれません。       Yutaka Aihara.com

ブログを書く時間

ブログを書く時間はほとんど夜です。勤務時間が終わって帰宅すると、誰でもそうでしょうが、心は解放されて安らぐひと時を迎えます。このひと時があるからこそ明日も仕事に出て行けると思うのです。この夜の時間帯に自分は造形作家になり、創作のことや影響を受けた周囲のことなどをブログにまとめています。週末はずっと造形作家でいられますが、ウイークデイはそうはいかず、夜の時間帯が貴重です。ブログがあるからこそ日に一度は作家として思考できるとも言えます。1日1点の連作も、日々の勤務から自分を解放しリセットさせてくれる大切な表現方法です。仕事に押されて厳しい時もありますが、どんな時でも造形美術のことを考えたり、小さな作品を作ったりしようと決めています。                      Yutaka Aihara.com

映像による表現

今日は図録を撮影してくれているカメラマンとの打ち合わせがありました。夏に試みた陶彫によるランプシェードの撮影日時、現在進行中の365点の連作をどんなふうに撮影し、どうホームページに生かしていくか、ホームページに追加予定の販売用の作品について等々お互い意見を出し合いました。自分は制作することだけに専念したいので、こうした人たちの力を借りています。その方が世界が広がると感じています。カメラマンの存在が大きいのは、自分の作品が組み立てを必要とするため実物を見せるのが困難で、それだけに写真が大切な役目を負っているからです。写真は雄弁に作品を語ってくれる力があると思っています。絵画と違うところは立体作品は光をあてて周囲の空間を取り込まなくてはならず、そこを映像がやってくれるのです。自分のように色彩が渋い作品はなおさらです。映像による表現は実物のイメージを補って、さらに膨らませる要素があるので、自分にとっては実物と映像が両輪のようになって表現世界を作るのだと考えています。 Yutaka Aihara.com 

落款 彫りと押印

夏からやり始めていた落款が完成しました。彫刻の新作を作るたび、新しい印を彫ります。自分の作品は集合体で見せるため、パーツひとつひとつに番号をつけて組み立てるのです。パーツ(ユニット)が完成したら、和紙に落款を押して番号を書き込んでいくのです。和紙は作品の目立たないところに貼っていきます。和紙に押印した落款はいわばサインの代わりです。パーツが増えていくと、旧作と新作の間に混乱が生じるので、落款のデザインで見分けられるようにしてあります。今回の落款は大きさでは今までにない巨大なサイズです。通常の朱肉や印泥ではサイズが合いません。字のカタチは昨年まで試みていた抽象化された名前ではなく、篆書体を使って名前を彫りました。それでも豊かな構成をもった落款ができました。彫りあがった柱に貼っていこうと思っています。作品の本流とは違った楽しみ方をしています。Yutaka Aihara.com 

色彩コンプレックス

高校時代に大学の工業デザイン科に入りたくて、デッサンや色彩構成の基礎学習をやっていました。デッサンも初めから上手だったわけではなく努力して獲得した技能でしたが、色彩構成に至ってはひどいものでした。自分には色感がないと気づいた途端、矩形を色面で分割する構成が嫌になりました。絵画やグラフィックデザインの道はまずありえないと思っていました。彫刻への道は色彩コンプレックスからの解放だったのかもしれません。ところが、イタリア彫刻界の巨匠マリーニが豊かな色感を持っていたのに衝撃を受けて、色彩に対して敏感になりました。自分は重い色感をもっていることがわかり、現在作っている陶彫や木彫に自分らしさを追求した色彩を用いています。明るい色彩は今でも使えません。自分には加齢するほど色彩を明るくしたいという願望があります。豪奢で華麗なレリーフ屏風を絶筆として作り上げ、自分の葬儀を絢爛たる造形で飾りたいと妙なことを考えているしだいです。色彩コンプレックスの克服が今の自分の課題のひとつです。    Yutaka Aihara.com 

マリーニの色彩

イタリア彫刻界の巨匠であったマリノ・マリーニの大規模な展覧会があったのは、もうかれこれ30年近く前になるでしょうか。当時自分はまだ学生で彫刻を学び始めた頃でした。同じテーマで何度も塑造を試みる巨匠の作品に畏敬の念をもっていました。中でも驚いたのは壁に何点も掛かっていたタブロー(油絵)でした。その色彩豊かな世界は、立体にも通じ、また立体では伝えられない思い切った色面構成がありました。自分にはこれほどの色彩感がなく、色を楽しんで使っているマリーニが羨ましく感じました。イタリアの開放的な太陽が、大らかな形態と色彩を育んでいると想像しました。立体と併行して平面作品を作っている自分はこんなところにルーツがあるように思います。学生時代に目に焼きついた名作の数々はなかなか頭を離れることがありません。                           Yutaka Aihara.com 

無対象の造形

画家カンデインスキーが推進した無対象絵画(抽象絵画)の考え方が、立体の場合はどんな現れ方をしたのか興味のあるところです。ロダンのもとを離れたブランクーシあたりが抽象彫刻の草分けでしょうか。バウハウスが抽象要素のある立体構成を導入したのでしょうか。ともあれブランクーシに見られる永遠の柱は、完全な無対象造形としての考え方をもっていると言ってもよいと思います。自分の制作する彫刻もこうした無対象の構成に基づいています。単純化した形態を構成要素として再構築する作業をしていて、小さなカタチで集合体を組んで、置かれる空間を意識した作品を作りだそうとしているのです。自分の作品に対する考え方を整理し確認するために、このところカンデインスキーを初めとするドイツ表現主義の考え方に、自分は接近しているのだと思います。                         Yutaka Aihara.com

表現主義における神秘思想

「表現主義の精神的背景」(大森淳史著)という論文の中で、「カンデインスキーは1907年頃から、神智学協会ドイツ支部長であったルドルフ・シュタイナーに惹かれて神智学の熱心な信奉者となった。[芸術における精神的なもの]など彼の著述に一貫する唯物論(物質主義)への攻撃的姿勢は、彼が原子論を認めず、有機体と世界の非物質的根拠としての霊的[精神的]エネルギーの存在を確信していたことを示している。」とあります。カンデインスキーが内なるものを表現するにあたって、彼がこうした神秘思想に影響され、やがて無対象絵画(抽象絵画)に繋がっていくプロセスが用意されたと言っても過言ではないでしょう。目に見える対象から、目に見えないものを見えるように表現するドイツ表現主義の考え方のひとつに神秘思想があることが、これでようやく納得できました。                Yutaka Aihara.com

ドイツ表現主義 初めの一歩

中学校や高等学校の美術の授業では印象派の描き方を教わった記憶があります。風景や静物をモチーフにして、光や陰影を色彩を駆使して描いたりしました。写生が好きだった自分は陰影に黒は使わず、光との関係で青みがかった色彩を用いて、周囲から褒められたことがありました。ところが美大受験の頃になって、印象派とは異なる世界観を持つ美術に接することになり、たちまち虜になりました。その頃自分は工業デザインをやろうと思っていて、構成的な基礎勉強をしているうち、この構成主義ともいえるものが実は高校時代に親しんでいた印象派とは違う由来をもっていることを知りました。いわゆる抽象芸術に知識として触れた最初の一歩でした。由来を辿るとドイツ表現主義にいきつき、表現主義の「見えないものを見えるように表現する」考え方を押し進めていくと、やがてデザインに応用される構成的なものになっていくことがわかりました。このところずっとブログに書いているカンデインスキーが重要な役割をもって、こうした運動を推進していたこともこの頃知ったことでした。                         Yutaka Aihara.com

「コンポジションⅦ」の印象

画家カンデインスキーのまとまった展覧会は2002年の春頃に東京国立近代美術館で開催されています。印象派の展覧会と違って、人ごみの中を観てまわることはなかったと記憶しています。自分が印象に残った作品は油彩による大作の「コンポジションⅦ」。対象は解体され、ほとんど何が描いてあるのか不明でしたが、色彩のハーモニーが美しく、色彩と渦巻くフォルムが圧倒的な迫力をもっていたことが印象的でした。当時購入した図録にはカンデインスキーの言葉が掲載されています。「コンポジションという言葉を耳にすると、私は心中大いに衝撃を受けて、後には[コンポジション]を描くことを自分の生涯の目的としたのである。」この言葉からわかるようにこの「コンポジションⅦ」は何が描いてあるのかという対象は問題ではなく、構成そのものを表現しているので、感覚をダイレクトに受け入れるべきと考えます。抽象絵画の鑑賞はまずそんなところから始めるのがいいと思います。

コンポジションとしての絵画

表題は江藤光紀著による「カンデインスキー/コンポジションとしての絵画」で、夏からずっと画家カンデインスキーに関わる文献を漁っていた自分が、「青騎士」「点・線・面」といった翻訳を読み終えた後、ようやく辿りついた日本人研究者による論文です。文中にカンデインスキーが抽象に向かう箇所があって興味をもちました。「画家は[対象が自分の絵を損じる]とはっきり理解した。マレーヴィッチやモンドリアンといった他の画家と異なり、カンデインスキーは除々に抽象の戸口へと惹かれていく。暗闇の中を手探りするように。〜略〜だが代わりに何が目的になるかが、次に生じた深刻な問題だった。技法についての精力的な探求はそうしたカンデインスキーの芸術思想の深化を表している。深化はおよそ表現と記号にかかわるすべての領域に広がっていった。」この本を通じてカンデインスキーが音楽やダンスをも包括するような思想を持っていたことが理解出来ました。            Yutaka Aihara.com

ガラス絵のイコン

昨日カンデインスキーの宗教画についてのブログを書いていて、ふと我が家にも宗教画(イコン)があるのを思い出しました。しかも玄関に飾っているのに気にとめていませんでした。我が家にあるイコンはガラス絵です。ルーマニアのベユーシに住む友人から贈られたもので、ガラス絵の由来はよくわかりません。20数年前にウィーンに住んでいた自分のもとに旧知のルーマニア人画家夫妻がやってきて、携えてきたイコン3点を置いていきました。当時ルーマニアからの出国は難しく、よくぞ西側に来れたものと心から彼らを歓待し、ウィーンを案内しました。イコンは日本に持ち帰り、古材で枠を作り、3点を並べて壁に掛けることにしました。素朴派絵画といったらいいのか、ちょうどココシュカの「夢見る少年たち」に似た表現でイコンとしてでなく、アートとしてとても気に入っています。現在はすっかり我が家の玄関に馴染んでしまいました。                      Yutaka Aihara.com

カンデインスキーの宗教画

20世紀初頭に抽象絵画の旗手として活躍したロシア人画家カンデインスキーのことを夏からずっと調べています。バウハウスの教壇にたって新しい美術教育を展開したことはよく知られていますが、抽象絵画とは縁がないような宗教画を制作していることをある文献から知りました。自分は1980年から5年間ヨーロッパに住んでいたので、あるいはミュンヘンあたりの美術館で見たことがあるのかもしれませんが、記憶にはありません。実際カンデインスキーが住んでいた南独のムルナウにも自分は2ヶ月滞在していますが、調べることもせず惜しいことをしたと今でも後悔しています。カンデインスキーの宗教画をこの目で見たいものです。図版で見るとかなり抽象傾向が進んでいて、キリストの象徴的なカタチが表れているようです。ガラス絵と油絵があるようですが、カンデインスキーの構成や色彩から考えて、自分としてはガラス絵の方が見てみたい気がします。                 Yutaka Aihara.com

週末の作業場

週末がやってくるたび時間に追われて制作しています。週末しか制作できない身分なので、土曜と日曜の2日間は貴重な時間なのです。朝から夕方まで木を彫り、夜は小さな平面作品を描いています。昼間は教え子が訪ねてくる時があります。美大生で一緒に制作している教え子もいます。何故こんなに時間が早く過ぎていくのか、週末は矢の如し、といった感じです。あれよあれよと作業していくうち、やり残していたことを思い出したり、完成までの皮算用をしている自分がいて落ち着かない週末です。ゆっくり過ごす休暇というものがありません。充実はしていますが、エネルギーの充電は出来ません。明日からまた公務、制作は次の週末へ持ち越しです。せいぜい風邪を引かずにやっていきたいものです。                   Yutaka Aihara.com