落ち葉のカタチ

仕事に追われていると、なかなか周囲が見えず心に余裕が持てません。ましてや車で職場まで通勤しているとなおさらです。職場でもコンピュータに向かっていたりして、外の空気や光を感じることなく日々が過ぎてしまいます。このブログに20年以上も前に暮らしたウィーンのことや当時よく観ていたオペラのことなどをつい書いてしまうのは、今の状況に満足出来ず心がバランスを取ろうとしているのかもしれません。そんなことを考えながら車を止めた折、ふと足元を見たら落ち葉が所々にあって、そのカタチの美しさにハッとしました。褐色になった数十枚の落ち葉が駐車場に模様を描いていました。まさに場を創出するオブジェのようで、木々と風で出来た作品でした。

ジンギスカン料理

羊の肉は苦手です、と言うか苦手になってしまいました。かなり昔ウィーンの住宅を引き払った時に、エーゲ海沿岸に展開したギリシャ遺跡を見に3ヶ月余りトルコやギリシャを旅したことがあります。そのトルコで食傷するくらい羊肉を食べ、完全に辟易してしまったからです。臭いがするだけでジンギスカン料理は手が出なくなりました。ところが昨日能楽堂からの帰りになぜか和食ではなく、ジンギスカン料理を食べました。不思議なことに美味しく食べられました。トラウマは消えたのでしょうか。昨日は教え子と一緒で気兼ねが要らなかったおかげでしょうか。教え子の初々しい職場体験を聞いて自分も楽しかったので、羊肉なんて気にならなかったのかもしれません。食事の相手に感謝の夕べでした。

能楽堂でのワークショップ

オペラの話題が続いたので今日の午後体験したことを書きます。職場の近くに久良岐能舞台があります。もともとは東京芸大にあった能舞台をある人が譲り受け、さらに横浜市に寄贈されたものだそうで、舞台正面の松の絵は日本画家の平福百穂が描いたものです。大変情緒のある建物で、周囲は久良岐公園に続く庭園が作られ、紅葉した木々が素敵でした。今日は狂言のワークショップが行われ、普段では出来ない体験をしてきました。能や狂言と言うとなかなか取っ付き難く敬遠しがちでしたが、日本の文化としては誇れる美意識を持っていることを改めて認識しました。

シュナイダーシームセンの舞台

ギュンター.シュナイダーシームセンは様々なオペラの舞台デザインを手がけた人です。具象的な作風でしたが、スケールが大きく遠近法を巧みに用いた迫力ある舞台でした。カラヤン指揮による壮大なオペラにシュナイダーシームセンの舞台が度々使われていました。オペラを歌手や指揮者ではなく舞台美術として見ることも興味深い観賞方法だと思います。たとえば舞台美術の手法として、イタリアのベルデイやプッチーニは具象傾向が多く、ドイツのワーグナーは抽象傾向が多く見られました。シュナイダーシ−ムセンもR.シュトラウスの「サロメ」やワーグナーの「リング」などは抽象的な舞台を手がけていました。舞台美術家の中には完全に抽象に走る人がいて、オブジェを置いたり、照明だけで舞台を作ったりしていましたが、シュナイダーシームセンは古典的であっても観客が楽しめる舞台を常に心がけているように感じました。

オペラ盛況の中で

ウィーン国立歌劇場の立ち見席で何度もオペラを観るうち、歌唱の巧みさがわかってきました。観客は正直なもので、実力派歌手が出演するオペラは立ち見席の窓口に長い列ができました。歌劇場を一回り以上の長蛇の列が取り囲んでいる日もありました。ロシアのバレエ団が客演した時も凄い混雑で、人の頭の間からやっと見える程度で我慢せざるを得ませんでした。有名指揮者が振る時も盛況でした。カラヤンとかバーンスタインとか既に亡くなった巨匠たちですが、生前ウィーンに来てタクトを振る時がありました。もう必死になって聴きにいった思い出があります。今は昔のこととは思いますが、その時聴いた音楽は鮮烈に耳に残っているから不思議です。

ワイル「三文オペラ」

初冬の季節になると情緒豊かなウィーンの街並みが寒々と夕暮れていく情景が目に浮かびます。オペラが上演されるのは国立歌劇場ばかりではなく、フォルクスオパーやもっと小さな劇場でも雰囲気に応じた演目がかかります。「三文オペラ」は小さな劇場がとても合っていて、その情緒のある歌や曲の数々は珠玉のものばかりです。まさに夕暮れていく街並みそのものを表現しているようです。手回しオルガンの音色が何とも素敵で、見終わった後は口ずさみながらウィーンの下宿に帰ったことが思い出されます。

ムソルグスキー「ボリス.ゴドノフ」

まるでロシアのリアリズム絵画を見ているような舞台。群集の合唱に圧倒され、クレムリン宮殿の豪華な広間の隅々にもリアルを追求した大道具や小道具が置かれ、まさにロシアの歴史に遭遇しているような錯覚に陥ります。オペラ「ボリス.ゴドノフ」は長いオペラにも関わらず、民謡風な力強い旋律があったり、皇帝ボリスの心理描写があったりして、飽きることがありませんでした。スケールの大きなドラマをよくぞオペラにまとめたものだと思いました。まさに暗い色彩にあふれた写実の世界。この独特なオペラが大好きになって、それから何回もウィーン国立歌劇場の立ち見に通いました。立って見てるのはなかなかつらい長丁場でしたが、歴史のスペクタクルに引き込まれて思わず我を忘れて観ていました。

ビゼー「カルメン」

有名な曲が散りばめられた「カルメン」はオペラ入門としては最高のものだと思います。胸躍るシーンがあると思えば、切ない叙情的なシーンや怪しい人々の楽しく痛快なシーンもあって娯楽に徹した優れたオペラです。いつ観てもあっという間に劇が終わってしまいます。スペインの風土、人々の気性まで表現できています。ビゼーはフランス人なのでフランスオペラであることに変わりなく、それでもスペインを感じさせる雰囲気が凄いところです。自分は劇中で歌われる「ハバネラ」が大好きです。

オペラ初体験.Rシュトラウス

ウィーンで初めて観たオペラはR.シュトラウスの「エレクトラ」でした。下調べもせず、音楽留学生から立ち見席のことを聞いて、まず飛び込んだ劇場でやっていた演目が「エレクトラ」。真っ暗な舞台。登場人物も少なく、内容もよくわからず、旋律もおよそメロデイのつかめない短いオペラ。ただオケの響きはもの凄くドラマチックな要素だけは感じ取ることはできました。これはつらいと思ったので、しばらくオペラから遠のいてしまいました。次に人に誘われて出かけたのがベルデイやプッチーニのオペラでした。これは楽しくて、オペラとはこんなにいいものかと思い直しました。そんなことでオペラに慣れ親しんだ時に、再び「エレクトラ」を観たら今度は不思議な感動を覚えました。音響が新鮮でした。不協和音の何とも言えない心理を表した響き。やっと理解できる感覚を持ったのかなと思いつつ、初めてオペラを観た頃のことを思い出していました。

モーツアルト「魔笛」

音楽評論を読むとこの「魔笛」の筋書きには、当時モーツアルトが関わった秘密結社なる存在もあるのですが、そんなことを気にせずに観た「魔笛」は音楽や舞台装置、衣裳のデザインがとても楽しく、おそらく5年間のウィーン滞在生活のうち最も多く観たオペラだと思います。スターツオパー(国立歌劇場)の他にフォルクスオパーという歌劇場があって、「魔笛」は両方の演目に入っていました。出演者も演出も違っていたので観比べて楽しむことができました。パパゲーノの軽やかな姿や夜の女王のアリアが魅力的でした。いろいろ解釈が成り立つ内容ですが、ファンタジーのようでいて哲学的でもあり、娯楽と教義が音楽によって不思議な関係を保っているように感じていました。旋律の弾むようなコロコロとした心地よさ?にモーツアルトの凄さを体感していました。

作業場に来るゲスト

心理学でいう社会的促進で、時々誰かと一緒に場所を共有して制作するのは活性化していいものです。カフェや図書館で勉強すると集中力が上がる現象と同じです。周囲に人がいた方が、一人で何かをするより効率よく仕事ができるのです。自分の作業しているところにも時々ゲストがやってきます。毎週来ているのは美大で空間デザインを専攻している学生です。また時々姿をあらわす学生は情報デザインというIT関連の新しい分野を専攻しています。彼女たちはそれぞれ課題を携えてやってきます。流行の服をまとい、携帯をいじったり、イヤホンで音楽を聴きながら作業しているのですが、今も昔も変わらないのはテーマに対して苦しむ姿です。私自身も経験しているからこそ理解できる不可解な悩み。自分が何なのかまだ見つからない時期。彼女たちを見ていると私自身も当時に戻るようなちょっぴりシンドい気持ちにもなります。自分の制作の原点がこの時代から始まっていると言えます。自分を大切にしたいからこそ己を知って悩む貴重な時間です。頑張れ、美大生。

ウィーン国立歌劇場

ウィーンに住んでクラシック音楽に接しないのは愚の骨頂のような気がしてコンサートにはよく出かけました。幸い立ち見(というか立ち聴き)があって安い料金で一流の音楽が堪能出来ました。爪に火をともす生活をしている留学生には随分助かりました。ウィーンの旧市街を囲む城壁の跡に環状道路が作られ、そのリング(環状道路)に沿ってスターツオパー(国立歌劇場)がありました。美術アカデミーから近く、また目抜き通りであるケルントナー通りがあったため、まさにそこが繁華街でした。スターツオパーはパルテレ(1階)、バルコン(中階)、ガラリエ(最上階)に立ち見があって、夕方から立ち見専用の入り口に並び、開場と同時に走っていき、立ち見席の柵に自分のハンカチを縛りつけ、開演まで外で食事を取ったりして過ごしました。当時は毎晩のように出かけていたので、一端の音楽評論家の如くオペラについて話が出来るほどでした。

クラシック音楽の都

美術的興味からウィーンに暮らし始めたのですが、ここが世界的に有名な音楽の都であることはよく知っていました。美術留学生は一握り、ところが音楽留学生は音大に行くと、ここは日本じゃないかと思えるほどたくさんいました。観光ガイドをアルバイトでやっていたことがあるので、ブルグガルテンのモーツアルト像やらシュタットパルクのシュトラウス像、中央墓地に眠る大音楽家たちのところへよく観光客を連れて行きました。大晦日近くなると日本の旅行社からの依頼でムジークフェアラインの座席取得にホール横に何時間も並んだものです。クラシック音楽とはこんなにいいものかと日本から来た観光客を横目で見ながら、自分は立ち見でコンサート会場に行きました。音の響きがいかに美しいかを知るのにはたいして時間はかかりませんでした。日本から来たばかりの頃はよくわからなかったのですが、何度か聴くうち、音に心が吸い込まれていく錯覚に陥りました。これが音楽なのかと改めて知った次第です。

クラシック音楽との出会い

音楽家の家系か、親が特別な趣味を持っていない限り、クラシック音楽が身近にあることはありません。職人家庭に育った私は歌謡曲や浪花節の方が身近でした。妹が音大に進んだのですが、それでもクラシック音楽を身近に感じたことはありません。小学校で習う唱歌、または中学校で音楽観賞の時間に聴く音楽がクラシック音楽との出会いになるのでしょうか。でもそれは音楽を楽しむうちに入っていないような聴き方でした。その頃に音楽的な習い事でもしていれば、もっと違うクラシックを味わったのでしょうが、せいぜい音楽の教科書に載っていたベートーベンのポートレートに落書きをした程度の思い出しかありません。実際に心からクラシック音楽に出会ったのは海外、つまり住み始めたウィーンでのことでした。

ピュアな朝の時間

昨日、制作のバイオリズムについてのブログを書き終えた時、ふと新聞に目がとまりました。「朝型のヒト増加中」(朝日新聞)という記事です。「朝が注目されている(略)朝をどのように過ごすか(略)成熟社会の一個人にとって大きな関心事(略)家族が起きる前が唯一の自由時間(略)朝を一日がスタートさせるための神聖でピュアな時間ととらえる人が増えてきた」と記事を追ううちにだんだん嬉しくなってきました。自分も数日前から職場に早く行って、仕事が始まる前に仕事場に入り、制作をしているのです。6時に起床し、6時半に家を出ると7時には職場に到着。それから8時までの1時間がピュアな時間帯です。木と対話しながら彫る行為は、まさに神聖な時間だと思います。8時半に仕事が始まるので残り30分で身支度を整え(ネクタイ等)打ち合わせに向かいます。これが日課になりつつあります。

制作のバイオリズム

加齢のせいとは思いたくないのですが、丸一日使える制作日は朝早くから作業場に出かけ、9時頃になると制作効率が上がってきます。若い時は朝眠くて、午後にならなければ冴えることがありませんでした。バイオリズムがあるとすれば、今はかなり早い時間帯にやってくるのかなと思います。以前ブログに書きましたが、いつも余力を残して制作を終えています。長く続けるためにはこれがいいのです。その代わり夜は眠くて仕方がありません。家内は深夜に彫金をやってジュエリーを制作していますが、自分は早々と就寝です。制作は朝が決め手になっている今日この頃です。

道具・工具の管理

亡祖父は宮大工でいつも鉋や鋸は木製の道具箱に入れてありました。亡父は造園職人で祖父同様に刈り込み鋏などは袋にしまっていました。一日の仕事が終わると道具を片付ける、昼休みのちょっとした時間に鋏を研いだり、鋸の目立てをやる、これがあたりまえの仕事でした。アルバイトにいって、周囲に道具を放っておくと怒られました。だからというわけではないのでしょうが、制作に使う自分の道具には気を配るようになりました。以前勤めていた所で同じように創作活動していた人が、電動工具や絵の具を出したままにしてあると、つい片付けてしまいたくなったものです。明日はまた木屑が出るし、このままにして明日一気に掃除をしようと思っても、一日の終わりにはケジメをつけてしまいます。親譲りの職人気質があるのかなと思います。

なぜ制作を続けるのか

なぜ制作を続けるのか、これはゴールが見えないレースのようなものです。作品が完成してギャラリーに展示してみたら、後悔と納得の危うい関係が始まり、見れば見るほど納得できず後悔に苛まれます。これで満足ということがあれば次の制作は出来なくなるのかもしれません。課題が次々に生じるからこそ制作を続けるのだと思います。自分には何が足りないのか、あの時こうすれば良かった、何もかもマイナス思考になりかねません。それでも中毒患者のように再び制作を始めます。今の結果を認めたくないし、次には素晴らしい結果が出ることを期待して、さらにステップアップできるものだと信じています。

なぜ制作をするのか

なぜ制作をするのか、たまに頭をよぎる素朴な疑問です。こんなもの作ってどうするの?とギャラリーに来た友人から真顔で聞かれると返答に窮します。美術作品は認められなければ巨大なゴミで、認められれば文化的な役割を担う存在になります。ところが制作している自分は先々のことなど考えていません。多くの作家は多分そうだと思います。こんなものを作って見たい、こんな風にギャラリーの空間を創出できたらいいな、くらいの考えでやっています。作品が出来た時に展示場所に置き、そこの空間が自分のイメージになる一瞬。まさにその一瞬のためにやっているのかもしれません。だから作品が完成してしまうと忽ち退屈してしまいます。制作している途中が幸せなのです。

心の満足・身体の疲労

労働していれば休日が楽しみです。身体をゆっくり休め、ボーと過ごす一日があってもよいと思います。でも自分のことを振り返ると、ゆっくり休んでいる日がありません。決して先を急いでいるわけではなく何かに急き立てられていることもありません。休日は制作をしているため、これが心に満足を与えているのだと思います。作品がイメージ通りできるのかというストレスはありますが、これは嫌なものではありません。身体は疲れていることがあって、拠る年波なのか疲労が取れない時があります。でも人は心の有りようで健康が左右するものだと痛感しています。多少嫌なことがあると身体は重く、逆に制作に出かける時は晴れやかです。制作あっての人生かなと思うこの頃です。

11月は秋も深まり

11月は秋も深まり、制作には絶好の季節となります。空気が乾燥して寒くなると、鑿を振るったり木を組み合わせたりする力仕事には汗が滴ることが少なく作業効率が上がります。美術の秋というのは観賞に限らず、制作者にとっても最適な季節なのです。さて、新作の多くの柱で構成する作品「構築〜包囲〜」も最終のカタチが見えてきました。あと6本の柱を彫れば、彫刻の工程は終わります。板材に加工を施すのは来月にするとして、今月中に柱を彫り終えることが目標です。

漆喰と砂

立体造形の表面処理で、陶彫は窯から出したままの状態で使う場合が多いのですが、木の場合はいろいろ考えます。HPのギャラリーのアップしている「構築〜距離〜」という作品は、門やピラミッドを木で彫って作り、その上から漆喰を塗って仕上げました。やや黄色っぽい土壁がイメージにあり、漆喰が合うと判断しました。同じギャラリーにアップしている他の作品は陶彫と板材を組み合わせていますが、板材はすべて砂を硬化剤で固定してから油絵の具を染み込ませています。陶彫の土質と合うように油絵の具で色彩の調整をしています。私の作品には絵画的要素もあると思います。ただし絵画ではなく、あくまでも立体造形の効果として色彩を用いているので、そこに描くという行為はありません。

立体の表面処理について

彫刻を始めた頃、構造がしっかり出来ていれば表面なんてどうでもよいと考えていました。表面の色や質感にこだわるようになったのは陶彫を始めてからです。陶芸は使う陶土や化粧土、釉薬によって立体でありながら表面の美しさを楽しむものです。窯だしする時には、窯変して表面に思いがけない色が出て驚いたこともあります。立体構造に加え、この表面の効果的な色合いが作品に深みや雰囲気を出すことを知り、表面処理をかなり重要に考えるようになりました。これは木を使っても同じです。木そのものの美しさを生かすか、表面処理をするかで悩みます。最初のイメージを辿りながら、絵画とは違った意味で色彩と向き合うことが仕上げの第一歩となります。

テーブル彫刻について

陶彫によるテーブル彫刻を以前作ったことがあります。テーブルを大地と考え、テーブルの上面をプラス、下面をマイナスとして両方に立体が伸びていくようにしました。むしろ地下に埋もれている部分を表現したくてテーブルにしたのが発想の原点です。テーブルの部分は厚板を使って砂マチエールをつけました。支柱は古い枕木を使いました。横浜の市民ギャラリーでインスタレーションとして発表しましたが、少し手を加えて来年の銀座の個展では、少しまとまった形にして発表したいと考えています。このテーブル彫刻は素材が木に変わっても追い続けている立体の形態です。今年制作している作品もある意味ではテーブル彫刻と言えます。ただし柱がかなりたくさんあって、これには正直梃子摺っているところです。

制作の小さな分離形

現在制作中の30本の柱が林立して囲むカタチは「構築〜包囲〜」とタイトルをつけることにしました。まだ手をつけていない柱が6本あり、早速彫らなければならず、時間との戦いになりつつあります。そんな忙しい時に、小さな柱3本で構成するミニテーブルを作って見たくなり、2日ほどで完成しました。このテーブルは雛型とは違います。別個の作品です。「構築シリーズ」のコドモのような存在です。このテーブルに個展の図録を置こうと考えています。サイズの異なる作品を思いつきで作り出すと、今までの自分が抱いていたこの作品全体のイメージを自身ではぐらかすみたいで、ちょっとワクワクします。大きな作品は制作に長時間かかるので、たまにはこうした遊びを入れたくなるのです。

ダリの幻想と風土

上野の森美術館でダリのまとまった絵画作品が観られることを知って出かけてきました。マスコミの宣伝もあって大変な混雑振りでした。人の頭越しに観る作品でしたが、それでもダリの並々ならぬ才気を感じる作品に驚きました。幻想世界をリアルに感じさせる卓越した描写。ダリ独特なフォルムにスペインの風土からくる乾燥した空気や強い日差しを感じてしまいます。とくに砂漠を背景に展開するシュールレアリスム絵画は大好きなシリーズです。戯画がかった演出をしていたダリですが、スペインとアメリカの2つの美術館からきた作品を見ていると、絵を描くことだけが全てだったのではないかと思えるほどです。

オーストリアの大学について

横浜市の教員向けの研究会でオーストリアの教育システムについて講演をしたことがありました。オーストリアは日本と違い、一斉に9年間の義務教育があるわけではなく、早い時期に職業技能を身につける学校に進む方法や中高一貫教育の学校(ギムナジウム)へ進み大学を目指す方法など進路はさまざまです。つまり大学に入るにはギムナジウムを出なければならず、また受験資格(アビトウアー)を取得しなければなりません。ドイツではアビトウアーと言っていた資格はオーストリアではマトウーラーと言っていましたが同じもののようです。大学は年間2期制で冬学期(ゼメスター)と夏学期がありました。受験は冬学期前に行われます。卒業までに8ゼメスター必要で、順当にいけば4年間かかります。自分はドイツ語力不足で10ゼメスターも通ってしまいました。

ウィーン美術アカデミー名作展

ウィーン美術アカデミーは母校です。とはいえ、やはり外国人である自分は学生同士の繋がりも希薄だったため、日本の学校のように胸を張って母校と言えないところがあります。でも1980年代に在籍していました。学校と下宿の行き帰りが生活の基本だったので、アカデミーにはよく顔を出していました。校舎の中に美術館があって、扉ひとつ隔てて別の世界が広がる環境が不思議でした。学生証を提示すると無料で入れるのでよく美術館にも行きました。ボッシュの油彩を知ったのはこの時でした。謎の多い奇妙な絵画で、たちまち魅力にとりつかれてしまいました。今回新宿の美術館に来ていた作品は、きっと当時観ているに違いないと思うのですが、まるで覚えていない作品ばかりでした。日本で見るアカデミーの所蔵作品は特別な気分でじっくり観ることが出来ました。ウィーンにいる時はかなり疎略な見方しかしていないので記憶に残っていないのだと思います。

ウィーンの長い冬

このところ朝晩めっきり冷え込んできました。こんな季節になるとヨーロッパに暮らしはじめて嫌気がさした長く暗い冬のことを思い出します。夕方4時になると辺りは暗くなり、釣瓶落としの如く夜の帳がおりて、翌朝は9時にならないと明るくなりません。とは言っても昼間はいつもどんよりした寒々しい日が続きます。フロイトをはじめとする心理学者や哲学者が育つ土壌はこんな長い冬にあるのかもしれません。冬は部屋に篭もることが多く、ウィーンの下宿では、一番安いラジカセを電器屋で買って日本から持参した音楽を繰り返し聴いていました。ドイツ語のニュースも街行く人々の会話もわからず、昼間は学校と下宿の行き帰りだけでした。秋から新学期が始まっていたので、すぐ冬がやってきて孤独を感じることもありました。ドイツ語を学んでいたミュンヘン近郊のムルナウは光輝く夏でしたので、ウィーンの生活が始まった初冬はつらいものがありました。

ハウス デア クンストとレンバッハ美術館

アルテピナコテークを観たその日にハウス デア クンスト(芸術の家)も観ています。ここには「青騎士」を初めとするドイツ表現主義の重要な芸術家たちの作品が展示されていました。これは何かの企画展だったのかもしれません。とにかく表現主義は渡欧前に大変興味を持った流派のひとつでした。大学で彫刻を専攻しながら、せっせと木版画を作っていたのはドイツ表現主義の影響でした。キルヒナーやノルデが試みた木版画の線の強さが気に入っていました。次に行ったレンバッハ美術館ではクレーの初期の銅版画に心が揺さぶられました。子どものような線を描いたクレーですが、初期はおどろおどろしい緻密な幻想画を銅版に刻んでいたのを知りました。ヨーロッパ体験の第一歩がデューラーから始まり、フランス印象派ではなくドイツ表現主義だったことがやはりその後の自分の制作に何か影響を及ぼしていると考えています。

アルテ・ピナコテーク

アルテ・ピナコテークはヨーロッパに渡って初めて観た大規模な美術館でした。パリのルーブル美術館でもなく、イタリア各地の美術館でもなく、このミュンヘンの美術館が自分の脳裏に最初にすり込まれた西洋絵画になりました。デューラーから紐解く西洋美術史というわけです。幸いと言っていいものかわかりませんが、有名な「モナリザ」ではなく、デューラーの「4人の使徒」から入った絵画は先入観がない状態で目に飛び込んできました。これには本当に驚きました。描写の迫力に圧倒されました。ルーカス・クラナッハも硬質な感じが一目で気に入ってしまいました。フランスやイタリアといった美術史では避けて通れない国々より、ドイツ美術が自分の心に鎮座してしまったことが、その後の自分の美術趣向にも造形思考にも影響していると今も思っています。