原点としての「粗い石」

このブログを書き始めた頃に読んでいたブイヨン著「粗い石」。これの感想を2年前にブログに載せています。そこで再び「粗い石」です。再読を重ね、名も無き修道士たちのル・トロネ修道院建造にかかる話は、何度読んでも面白く、また自分の仕事を原点に戻すことができます。昨日の若林奮「100粒の雨滴」における「労働の時間」の表現とも通じるものがあって、坦々とした日常の中で、多くの時間を費やし何かカタチあるものを作らんとする人間の強固な意志は、自分が自分を見失いかけた時にふと気づくことでもあります。短絡的な楽しみより、遠い彼方を見つめて歩き出す楽しみが頭をもたげてきます。自己満足的なことかもしれませんが、自分にとってどんな価値を持つのか、自分が自分を肯定して生きるための手段・方法でもあると認識を新たにさせてくれるものが「粗い石」だと思います。      Yutaka Aihara.com

彫刻における「労働の時間」

故若林奮の彫刻に「100粒の雨滴」という奇妙なタイトルのついた作品があります。正方形の銅板を何枚も重ねた作品で、銅板には何かしら痕跡のようなものが施されています。自分は大学時代に校内でよく若林先生の姿を見かけましたが、難解な彫刻を作っている人という印象があって、話しかけることができませんでした。先日から読んでいる酒井忠康著「犬になった彫刻家」の中で、「100粒の雨滴」に触れて、若林氏は「労働の時間」を表現してみたかったと語ったという箇所を見つけました。私はこの「労働の時間」というコトバが妙に気に入りました。空間がどうの塊がどうのバランスがどうのという彫刻本来の概念とは異なる彫刻のあり方を提示している「100粒の雨滴」。銅板1枚1枚にかける労働。蓄積された時間。モノに対する考え方が感覚的に伝わってくるようで、不思議な新鮮さを感じてしまいます。Yutaka Aihara.com

野島公園の散策

30数年前、自分は横浜市金沢区で高校生活を送っていました。今日は仕事のような遊びのような気分で、久しぶりに野島公園を訪れました。記憶の断片を繋げるように公園の周囲を歩きました。景観はだいぶ変わっていて、きちんと整地がなされていました。モダンな展望台に登ると、八景島シーパラダイスが見えました。午前中は小雨がパラついていて、さらに遠くの景色は薄曇で見えませんでしたが、自分の過去を辿ることができました。そうは言っても景観が新しくなると、過去の自分の存在もリセットされるようです。自分の中ではそんなに昔のことではないと思っていたのですが、時間は確実に時を刻んでいて、自分の足跡が消されているのに唖然としたり、逆に不思議に気持ちが楽になったりしました。自分の高校時代は楽しいものでも甘酸っぱいものでもなく、鬱積した心で過ごしていたことをここに来て思い出していました。                            Yutaka Aihara.com

芸術家の書簡

今晩のNHK新日曜美術館を見て、画家のルオーとマチスが長い間書簡のやり取りがあったことを知りました。数多くの手紙に芸術家同士の励ましや気遣いが感じられて暖かい気持ちになり、また創作への勇気を与えられました。異なる画風にも関わらず2人がお互いの仕事を認め合っていたことが素晴らしいと感じました。自分も恩師からの書簡を大切にしています。彫刻家池田宗弘氏、作家みやこうせい氏、笠原実氏らの手紙には行間を読む楽しさがあります。同世代や若い世代との交換には残念ながらそうした書簡がありません。Eメールのやり取りばかりでは書かれた文字に個性もなく、その人らしさが出ないことがあるからです。自分も手紙を書かないことが多く、気持ちを伝える手段が貧しくなっていることを恥じるばかりです。     Yutaka Aihara.com

「見る」と「見つめる」

自分の視界に入ってくるものを何気なく見ているのは日常のことで、よほどの注意を払わなければ、ただ呆然と見ていることが多いと思います。あの日あの時間に何を見ていたか、よく思い出せないこともあります。人の記憶は曖昧なものです。ところが「見つめる」という行為は造形表現に結びつくことがあります。あらかじめ表現しようとする意思が働いている場合はなおさら観察に熱が入ります。感動した風景や人物、現象の美しさ。そうしたモノを「見つめる」行為で自分の思いが入り、「見つめる」以上の「見つめ方」をして、心の目で「見つめる」対象を捉えて記憶を再構築したくなります。表現の第一歩はそこから始まると言っても過言ではありません。「見つめた」モノを何かに置き換えて作ってみたいというのが創作行為です。記憶の断片を頭の中で篩にかけて抽象化していく過程が面白いと感じる今日この頃です。                               Yutaka Aihara.com

デッサンを学んだ後に…

デッサンは全体と部分の関わりやバランスを身につける方法として優れた効果があります。実際のデッサンには木炭、鉛筆、ペン、絵の具等を使った様々な技法があります。形態の取り方や陰影のつけ方には、ある程度の訓練が必要になりますが、デッサンはモノの構造を見たり、外界を観察する上で大変役に立ちます。自分のイメージや思考を相手に伝達する手段としてもデッサンは有効です。バランスが掴めるようになると、次のステップとして敢えてバランスを崩しはじめる作家がいます。全てにおいて整った世界は退屈を覚えるのです。その崩し方によって表現性が高まり、モノの真髄が抽出されてきます。否、崩すのではなく真髄を見極めようとして、従来のデッサンを超えた表現に達するといった方がふさわしいのかもしれません。始まりはデッサンを学んだ後に、いかに自分になれるか、自分を知るかを学び始めることだと思います。                         Yutaka Aihara.com

造形活動と体力

まだ身体が動くうちは精一杯身体を使って作品を作りたいと思っています。もちろん現在は、一人ですべて作り上げる予定で制作工程を考えています。土を練ったり、木を彫ったりして、どのくらいのサイズのものまで可能かを判断しながら、長い時間をかけて作業を始めます。今のうちはこれでいけると思いますが、いざ身体が思うように動かなくなったら、作業をどうするか考える時があります。外部発注する方法もありますが、出来るだけ自分で作りたいと考えています。その時の表現方法はどうなってしまうのか。平面になってしまうのか。何となく画家マチスの晩年に制作された「ジャズ」という平面作品のシリーズが頭を過ります。少なくても現在よりはカタチも色彩も自由になって気儘で存在感のある作品になってほしいと今から願うばかりです。                               Yutaka Aihara.com

水の抵抗と流れ

近隣にあるスポーツクラブで水泳をしていて感じることは、腕や掌で水の抵抗を受け、それが前へ進む原動力になっている一方、身体を横位置に保ち、左右をローリングさせることで水の抵抗を減らしている基本的な原理です。水の動きを使い分ける行為は、単純でありながら、いかに身体全体をコントロールするか、また水の抵抗を最大に得るためにどの角度で腕を動かすか、さらに水の抵抗を減らすためにどんな状態に身体を保つかを感じ取りながら行うもので、かなり奥の深いものだと思います。水泳には思考よりもイメージ、考えるより感じる力が必要です。アートを行うため自分の内面をあれこれ模索していると、無性に泳ぎたくなるのは思考よりイメージを求めるバランス感覚が働くためかもしれません。水の流れにのって泳ぐ気分はなかなかいいものです。水の抵抗を心地よく感じられる時もまた格別です。    Yutaka Aihara.com

都市の変貌を考える

自分の居住空間から職業に従事している空間までが自分に認識できる都市空間です。よほどの放浪者でない限り、自分が住まう都市の全貌を自分の足で確かめることはできません。自分は大きな都市機構の一部に加担して生活をしているわけですから、今ある都市が変貌を遂げていく過程を見極めることはなかなか困難です。人は利便性のある土地に集まり、生産を繰り返し経済を活発にします。時代とともに利便さが変わり、人の価値観も変わり、都市は別の土地へ移動していきます。行政が都市を企てることもあります。過疎化した都市は、もう都市と呼べるような機構を持ち合わせず衰退していきます。それは人の流れが全てを決めていきますが、都市はそこに生活している人々を盲目にさせ、人と人とを分かち、より発展する都市へ靡く人と、そこに思い留まる人とを作り出すと考えます。人の心情まで写し出す都市の存在に、日常を離れて思いを巡らせてみました。              Yutaka Aihara.com

ある日の幻影

それは夢だったのか、実際に見たものだったのか、遠い記憶を啄ばむうちにふとした情景が眼に浮かび、しばらくそれに囚われてしまったことがありました。砦のように高くそびえる壁の上に街が築かれていて、日が沈む頃になると頂上にある街にちらほら灯がともる情景です。壁と思われた平面的な造形は近づいてみると、あちこちに突起があり、たとえば階段であったり、小さく刳り貫かれた穴のような窓があるのがわかりました。先日のブログに「壁」というイメージについて書きましたが、それがどこから構想として出てきたものか自分でも判然としません。記憶を辿れば、エーゲ海に浮かぶギリシャの島々にそんな切り立った壁の上にあった街が思い浮かべることができます。富山県八尾の小さな町にもそんな風景がありました。そこで見てきた記憶を頭の中で浄化して造形作品にまとめてみたいと思っています。ある日の幻影を、記憶の深淵を覗くように揺り起こし、架空な風景をデッサンしていくところから始めます。                     Yutaka Aihara.com

構想と素材の関係

眼の中で、また脳内で、素材との制約を解かれて「何か」を探りたいと欲求することがしばしばあります。彫刻家なら誰もが一度ならず感じることがあるかもしれません。しかしながら構想するときは素材との関係抜きには考えられないのが現状です。まず陶土ありき、木材ありきとして作品の構想を練るのは得策ではありません。自分の中に沸き起こる造形への衝動が素材を伴うものであっては駄目だと思いつつ、常に素材から解き放たれることのない自分の性分を受け入れられない理念的な自分がもうひとり存在しています。「何か」を構想するときに、もうひとりの自分と対話して折り合いをつけることが「何か」を作品化する第一歩なのです。漠然とした「何か」はどこから沸き起こるのか定かではありませんが、自分が現在まで生きた経験の中で培われたものであることに変わりはありません。潜在する欲求なのか、理想郷なのか、そこに素材が入り込んで構想と一体化してしまうのです。素材に振り回されることのないように注意深く思索しても、素材のもつ磁場に引かれていってしまいます。                       Yutaka Aihara.com

構想と単純作業の蓄積

美術とは絵を描くことや彫刻を作ることではなく、人の眼が認識する形態や色彩に新しい意味や視点を与えることだと考えています。絵画や彫刻はそうして思考した結果を表現する方法・手段であると思います。構想の段階で全ての結果を出し、あとはその構想を自分で満足できる方法で具現化することが制作となります。構想と制作が行きつ戻りつする作家も多いと思いますが、自分は構想と制作を分けてやっている場合があります。制作が始まると最初の構想で描いた設計図通りに進めます。プロセスとしてはデザイン分野に近いものがあります。ですから制作はほとんど単純作業です。単純作業の蓄積も最初の構想にあって、時間を封じ込めたものを表現として意図する場合があります。集合彫刻の考え方も単純作業の蓄積、あるいは仕事をした時間の凝縮として展示します。1年間1点、しかも定期的に作業を継続することが、つまり経過の表現として作品化しているのです。         Yutaka Aihara.com

Hutzel brotに思いをよせて

表題はドイツ語でフッツエルブロートと発音します。乾燥した果物が入ったパンのことです。自分はこれに限らず、ずっしり果物が入ったパンが大好物で、クリスマスの時期には同種のStollen(シュトーレン)が日本のベーカリーでも出回り、必ず手に入れて幸せを感じています。フッツエルブロートはシュトーレンに似て、薄く切って紅茶かコーヒーと一緒にいただくと美味しさ百倍です。ある日横浜駅の地下街のベーカリーでフッツエルブロートを売っているのを見つけて、その時から我が家はフッツエルブロートが切れることがありません。かなり手間のかかるパンではないかと想像でき、高価でも仕方がないと思っています。時間が出来たら、こういうパン作りにチャレンジしてみたいと思うこの頃です。 Yutaka Aihara.com

RECORDは「円」

4月のRECORDのテーマは「円」にしました。「円」は自分にとってお気に入りの図形です。彫刻のエスキースも「円」から始めることがあります。究極にまとまった図形ですが、これを崩していくところから創作を考える方法をとることがしばしばあります。大小の「円」を組み合わせて、さらに直線や曲線を加えて、どこかにありそうでいて、でも見たことのない構成を作る、これは時間を忘れるくらい楽しい頭の体操です。「円」には「環」という考え方もあって、めぐり回って元に戻る運動を示すことができます。また彫刻で自分がよく作っている球体となれば、さらに運動は多様化します。凹凸を作ることで視点を変えれば、「円」は限りない変化を見せます。究極な図形であればこそ、崩しの美学が生まれるのです。4月のRECORDではそんな「円」を取り上げることにしました。           Yutaka Aihara.com

大島紬の端切れ

先月末に出かけた奄美大島は大島紬で有名なところです。産地を訪ねて、染めや織りの工程を見てきました。なるほど大島紬が高価な理由がわかりました。絹と木綿で仮織りをして、何十回となく染め抜いて、仮織りを解き、絹だけを取り出して織り始める、さらに模様を合わせながら機織をするという気の遠くなるような作業を分担して行っていることを知りました。店に大島紬の端切れを売っていたので、RECORDに使うことを思い立ち、購入しました。旅行中はRECORDが描けず、空港でのフライト待ちの時間とか、ホテルで描いてみたものの気持ちが乗りませんでした。そこで旅行中の3日間の作品は横浜に帰ってから、大島紬の端切れをコラージュした作品にまとめました。先月のテーマは正方形でした。端切れで何とか数枚の正方形が確保できたので、31日分までをこの方法でやってみました。内省的な作品を目指したつもりが、紬のしっとりとした美しさに触れ、工芸的で装飾的な作品になってしまいました。これも紬の威力と考えることにしました。 Yutaka Aihara.com

4月に「構築〜解放〜」がアップ

4月になりました。横浜では桜が満開です。自分のホームページのギャラリーに「構築〜解放〜」をアップいたしました。木彫による2作目になります。昨年の「構築〜包囲〜」と今年の「構築〜解放〜」。この2点が対になるように計画して作りました。使った素材はすべて同じ、表現方法も同じ、サイズは多少の違いはあるもののほとんど同じです。柱を何本も組み合わせ、外から内(包囲)、内から外(解放)という考えで制作したものです。それぞれ違う幾何文様を1本ずつ柱に彫り込んで、個(文様)の違いが大きな構成の中に要素として取り込まれていく状態をイメージしました。現在取り組んでいる「構築〜起源〜」は柱を組み合わせるという考えではなく、柱そのものでシンプルに見せていく方法をとる予定です。またこれも何か発展できる要素が見つかればいいなと願っています。なお、ホームページには文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入ることができます。ご高覧いただけると幸いです。                    Yutaka Aihara.com

年度末を迎えて

人事の発表があり、仕事の引き継ぎをしているうちに今日が終わりました。明日から新たなメンバーで新年度の仕事が始まります。創作の方はそんなこととは関係なく、ただひたすら作業をするだけです。今日は引き継ぎの合間に作業をしましたが、遅遅として進まず落ち着かない状態で鑿を置きました。思えば昨年は「ギャラリーせいほう」で個展をやっていました。あれから1年も経ったのかと思うと信じられない気がします。今年は7月に個展をやらせていただく予定です。こうした生活がいつまで続くのかわかりませんが、やれるのだったら頑張っていこうと思います。
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奄美の土産を携えて…

量家の墓参りをしてきた報告に奄美大島の土産を携えて、川崎に住む量博満宅を訪れました。量博満さんは家内の叔父に当たる人で、長く上智大学文学部の教壇に立っていましたが、現在は退職しています。専門は考古学。今日はこの人から奄美大島に纏わる様々なことを教えられました。たとえば諸説ある「なべ加那」伝説。なべ加那は我儘放題だった説や神事に使える人という説。奄美大島のあちらこちらに散らばっている量一族の親類縁者の話。奄美大島に行く前に叔父からそんな話を聞いていたら、墓参りだけで旅行日程が終わっていただろうと想像できます。「創作活動するために嘉徳に住むのはどうだろう」と自分が持ちかけたら、「都会育ちじゃ嘉徳にいて3日と持たないよ」と言われてしまいました。嘉徳は決して理想郷ではないと思いましたが、奄美大島にしばらく落ち着いて、木彫でもやってみたいと願いつつ、また明日から公務が待っている日常生活が始まります。ここ横浜も住めば都とは思いますが…。                       Yutaka Aihara.com

新たなるイメージ「壁」

奄美大島で過ごした3日間は、あっという間に過ぎて、今日から横浜でのリアルな日常が待っています。ちょうど週末にあたっていたので今日は久しぶりに杉材を彫ることにしました。奄美の自然の息吹を吸い込んできたばかりで新鮮な気持ちで鑿を持つことができました。作業中にちらちらと新たなイメージが湧き上がり、これは奄美での気分転換が成せるワザかなと思いました。それは長い壁が続く頂に街とも城ともつかない造形が存在するもので、シルエットのような平面的なイメージです。これを彫刻として考えるか、RECORDのような平面作品にするか、これから検討です。RECORDでやるとすれば、しばらく同じテーマでこだわりたいと考えます。大地の断面を切り取って見せる初期発想から、まず思索していきたいと思います。  Yutaka Aihara.com

加計呂麻島のデイゴ並木

奄美大島の古仁屋港からフェリーで、対岸にある加計呂麻島に着いたのはもう昼を過ぎた頃でした。小さな入り江が点在する島をうねうねと県道が続き、その入り江で珊瑚のかけらや石ころを拾ったり、路傍の古い石垣を写真に撮ったりしているうち、たちまち時間が経ちました。フェリーの出航時間を考えながら過ごす慌しさは、この島にそぐわないとつくづく感じました。諸鈍というところにデイゴの並木道があると知って見に行きました。この季節にまだ花はなく幹だけの木々が海沿いの通りに面して並んでいました。花の季節はさぞや奇麗だろうと思いを馳せて諸鈍を後にしました。古仁屋では半潜水船に乗って水中を見てきました。テーブルサンゴが気に入りました。海中の造形の美しさに酔った分、自分の造形の退屈さに海底のようなブルー(な気分)になりました。この奄美大島体験がどう作品に表れるのか、見当もつかないまま機上の人となりました。RECORDの筆も進まず、外界からの刺激に収拾がつかない内面を抱えたまま横浜に帰ってきました。   Yutaka Aihara.com

嘉徳「なべ加那の墓」

家内の母方の先祖は奄美大島の南方にある嘉徳という集落の墓地に葬られています。今回の旅行の目的は嘉徳を訪ね、墓参りをしてくることです。奄美大島を縦断している唯一の国道58号をレンタカーで南下し、さらに国道を離れ農道のような細い道を進み、いくつかの峠をこえたところに目指す嘉徳がありました。墓守をしてくださっている徳ミドリさんは集落の入り口にある畑にいました。嘉徳は入り江に面した位置にあり、夏はサーファーがやってくるようで、その注意書きが貼ってありました。それにしても風光明媚というのは、この嘉徳を指して言うものかと思われるほど、海は美しくエメラルドグリーンに輝き、入り江の周囲の岩壁は海風の造形を施され、南国に自生するアダンの樹々が生い茂っていました。そんな海岸の樹々の間に小さな墓地はありました。家内の先祖は姓を「量」と言います。その量一族にゆかりの伝説があります。量家の墓の隣に古い「なべ加那」の墓があり、「なべ加那」は豪族出身の美貌で天資豊かな女性だったそうですが、叶わぬ悲恋があったことが伝えられています。「嘉徳なべ加那」という島唄もあります。島唄といえば嘉徳はJポップの歌手元ちとせの出身地でもあります。   Yutaka Aihara.com

田中一村終焉の家

奄美大島最初の訪問先は日本画家田中一村の足跡でした。50歳にして奄美に移り住み、69歳で亡くなるまでの間に、それまでの日本画では取り上げられなかった南国の風物を、独特の構成と卓越した描写力で描きあげた作品がNHKで放映されて反響を呼びました。現在奄美パークというモダンな施設が空港の傍にできて、そこに田中一村美術館が併設されています。高倉を模した建築の中で、一村の代表作を見ることができました。次に訪れたのが名瀬にある田中一村終焉の家。粗末な一戸建てで、ほとんど掘っ立て小屋といっていいくらいのアトリエでした。中は見られず、周囲の板壁も朽ち果てているような状態でした。こんな小さなところに籠もって、ひたすら絵を描いていたのかと思うと胸がつまりました。染色工として働いて金銭ができると絵を描く、よほどの決意がなければ出来ないことです。しかも画壇と関係せず、孤高の人として…。認められなければ徒労に終わる人生、いや、きっと創作が楽しくて、絵の魅力に取り付かれてやっていたと思うのです。自分のことを重ね合わせると、それもあり得ると感じます。自分も創作にハマると世間なんてどうでもよくなってしまうからです。一村も自己満足という幸せに浸りながら、己が納得できる世界を構築したのだと考えました。  Yutaka Aihara.com

明日、奄美大島へ…

一時でも環境を変えてみるのは良いことです。作業場に籠もっているばかりがリフレッシュとは思えません。家内と繋がりのある奄美大島に行くのが今から楽しみでなりません。今回自分は初めて嘉徳というところに行きます。そこには家内の先祖の墓地があるというので墓参りをしてきます。墓地は風光明媚なところにあるという話は前から聞いていますが、どんなところなのでしょう。「リゾートホテルもあるよ。墓守はトクさんという人がやっているので訪ねてきなさい。」と奄美大島出身の親戚からの託けもありました。羽田空港から奄美大島までの直通便があるので便利になりました。明日からの3日間ブログをアップできませんが、29日にまとめて書く予定です。 Yutaka Aihara.com

J.ラッセル著「ヘンリー・ムア」

先日のブログにムアについての文章を載せましたが、今回は私見ではなくイギリスの評論家による研究書からの掲載です。研究書は中途半端なところで読むのを止めてしまい、自宅の書棚に眠っていました。今回それを取り出して最後まで読んでみました。ムアが坑夫の息子として生まれた時から、やがて彫刻家として数々の栄誉を与えられ、晩年フイレンツエで回顧展をするまでの軌跡とそれぞれの時代を通した作品の思考過程、社会との関わり等が図版を交えながら述べられていました。一貫してムアが素材と真摯に向き合って、新たな表現を獲得していく様子が詳細に書かれてあって、自分も彫刻を作っている端くれとして大変参考になりました。彫刻という表現方法は、頑強な身体と長く持続できる意思がないとできないものだということもつくづく思い知らされました。それでもなお語ることができない作品の謎の部分があると文中で指摘しています。後世の研究を待つと締めくくられていましたが、これ以上の研究書が果たしてあるのかどうか。ムアに改めて敬意を感じたひと時でした。                          Yutaka Aihara.com

アクリルガッシュの色彩

RECORDの制作で彩色する時はアクリルガッシュを使っています。正方形をもとに抽象的な構図を考え、色彩はこんな感じでまとめてみようと思いつくと、アクリルガッシュをパレットに出します。美大受験を考えていた一時期に工業デザインを勉強したくなって、受験のための予備校に入りました。そこで課題として与えられたのが平面構成。ポスターカラーをパレットに出して、面相筆や平筆を使って鉛筆で区切った平面をムラなく丁寧に塗っていました。同じようなことを現在もやっています。ただし、今使っているのはアクリルガッシュ。色彩がとても美しいので気に入っています。デザインの基礎技法からしばらく離れていましたが、アクリルガッシュの色彩に惚れ込んで、RECORDで活用しています。しかしながら、現在こんなアナログな方法で平面構成をやっているのでしょうか。今度教え子に会ったら尋ねてみようと思います。                       Yutaka Aihara.com

陽光降り注ぐ週末

昨日まで雨風が強かったのに、今日は一転して陽光降り注ぐ週末になりました。どこかへ出かけたいという気持ちは万人にあるらしく、車中のラジオからはひっきりなしに渋滞情報が流れていました。今日は先日撮影をした「発掘〜遺構〜」を撮影場所から倉庫へ運ぶ一日となりました。創作だけをやっていたいところですが、創作に付随する面倒な仕事があって、これも彫刻という手間暇かかることをやっていることが原因です。もうすぐ桜が開花しそうな日に額に汗して作品の運送、これも作業の一環です。夕方、RECORDを描き上げて今日を締めくくりました。               Yutaka Aihara.com

RECORDの展開

今月のRECORDは「正方形」をテーマにして一日一枚のペースで平面作品を作り続けています。今月26日から奄美大島に行くので、この「正方形」と奄美大島で見聞するであろう風物や風景をどのように合わせるかを考えています。2月から始まっているRECORDは抽象傾向が強く、直線と曲線によって区切られた面を平塗りしています。でも本来RECORDはタイトル通り日々を記録する目的で作っているので、奄美大島の風景もそこに取り込むつもりでいるのです。滞在する3日間ともRECORDの用紙を持ち込んで、気になったものを記録していこうと思っています。田中一村が一見抽象画と見まがうほど大胆な画面構成をしたように、自分も風景を心に留めて、そこから湧き出る何かを掴んで作品にしたいと思っています。   
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図録用の写真撮影

今年7月の個展のために、今日は図録用の作品を撮影しました。撮影の対象になった「発掘〜遺構〜」は様々なカタチが混在する都市空間を表現したものです。今までの図録はあらかじめ自分がデザインを考え、それに近づけるようにカメラマンが撮影したのですが、今回は写真先行で、デザインは画像を見てから決める方法をとりました。今までの方法は自分のイメージだけで図録を作っていて、後で撮影されたものを見ると自分の意図を超える面白い画像が含まれていて、これなら初めからやり直したいと感じたことがありました。そこで今日はカメラマンに撮影を任せ、後で画像をチョイスすることにしたのでした。結果「発掘〜遺構〜」はそれぞれの部分に面白い要素が結構あって、画像を通してそれを発見することができました。作品の組み立てや設置では教え子が手伝いに来てくれました。今まで一人で運搬してきた作品なので、とても助かりました。                   Yutaka Aihara.com

奄美大島旅行企画

家内の亡母は奄美大島出身で、旧姓を「量」と言います。嘉徳という村で生まれたそうです。奄美大島の地図で見ると、南端の古仁屋港の近くに嘉徳があります。奄美大島は義母からいろいろなことを聞かされていましたが、自分はやはり日本画家の田中一村が気になる存在です。かつてNHKの番組で紹介された時は、その構成の新しさに度肝を抜かれました。今月の終わりに奄美大島に行こうと計画しています。沖縄に比べると地味な印象を持ちますが、奄美大島には独特な風情があります。公務や創作に追われる日常の中で、自分の感受性を高めるための投資だと思っています。直接創作に反映することはないかもしれませんが、そこで出会う光や陰、空気、自然や風物を自分の中に取り込んできたいと考えています。             Yutaka Aihara.com

曲面の追求を感じる時

マルセル・デユシャンの「泉」とは別の意味で便器の曲面に美しさを感じる時があります。便器をオブジェとして扱うというコンセプトとは違い、もっと単純な感覚です。最近リニューアルした我が家の風呂も、すべて曲面で作られていて、その滑らかさに癒しを感じてしまいます。自家用車も同様です。米国製のPTクルーザーはクラシックなスタイルで大変気に入っていますが、これも曲面ばかりのデザインです。自分の作品も、曲面や曲線を使うときの方が自由さが増す分、ちょっとした手馴れで緊張感のない退屈なものになってしまいます。直線の方が制約される分、失敗が少ないと思います。曲面はより美しく感じられるところを目指して追求されるべきで、そうした作り手の感覚と使い手(鑑賞も含めて)の感覚が一致した時に、その美しさを極めるものだと考えます。                      Yutaka Aihara.com

骨のカタチとイメージ

HPの「OTHER」の中に、「骨の箸置き」と題した作品があります。自分にとっては今のところ唯一の小品です。イメージしたものは恐竜の骨の一部でした。骨は見方によっては大変美しいカタチをしています。骨は人間を初め多種多様な動物の身体を支え、しかも効率よく動かす構造体であるから、その自然が計算したカタチには無駄がありません。イギリスの彫刻家ヘンリー・ムアは骨をイメージして作品にしています。我が師匠の池田宗弘先生も魚の骨を真鍮で作っています。骨の美しさは彫刻家が一番よく知っています。自分も骨をテーマにしたシリーズをやってみたいと考えています。「OTHER」のページの充実を図るためにも、骨をイメージした日用品に取り組むつもりです。                        Yutaka Aihara.com