能舞台のある公園にて

作業場の近くに能舞台があり、前にその能舞台で行われた能のワークショップに参加したことがあります。支配人はいつも気持ちのいい挨拶をされる方なので、つい誘われて能舞台に行ってしまいます。今日は能舞台に隣接する森林公園で自治会のまつりがあったので散歩がてら出かけました。このところ制作で疲れ気味なので、今日はちょうどいい気晴らしになりました。1時間以上も公園に居たので今日の制作は予定通りにいかず、柱の彫りもあまり進みませんでした。昨日は杉材を手に入れて頑張ろうと決めていたのですが、今日は身体が思うように動かず、また来週末に頑張りを持ち越すことになりました。
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杉材の追加購入

「構築〜起源〜」の雛型から割り出した柱の本数のうち不足している短めの柱を今日製材所でカットしてもらいました。50cmを36本。これを明日から作業場で彫り始める予定です。杉のいい香りが積んである車内に漂い、これからの期待と労力の大きさで複雑な心境になりながら、それでも新しい木材が手に入った喜びでいい気分になっています。木材買出しの合間に、陶土をタタラにして陶彫の準備もしました。昼は木彫、夜は陶彫生活の始まりです。カーヴイングとモデリングの二本立て。いずれも日本古来からあるお馴染みの素材ですが、空間の解釈は現代版で、「場の彫刻」というべき環境を取り込んだ作品にするつもりです。

デルフトの眺望

昨日まで読んでいたフェルメールの伝記小説「運河沿いのフェルメールの家」は、冒頭フェルメールの結婚式で真珠の耳飾りが登場し、最後はデルフトの風景をフェルメールが描くところで終わっています。最後に出てくるのが有名な「デルフトの眺望」なのでしょう。「デルフトの眺望」はまだ図版でしか見たことがなく、いずれオランダのハーグに行く機会があれば、ぜひ見たいと思っている絵画です。フェルメールは人物画にしろ数少ない風景画にしろ構図が計算されつくしたように完璧で、非のうちどころがありません。当時のデルフトの様子を伝える風俗画としても楽しく見ることができますが、この静謐な雰囲気はやはり本物を通して味わいたいと思います。とくに空と運河の水の表現に注目したいと考えています。風景画の中を眼で散歩して、当時の空気を感じたいと思っています。

「運河沿いのフェルメールの家」

表題はイングリット・マラー著、鈴木芳子訳によるフェルメールの伝記小説です。芸術家を扱った伝記小説は大好きで、前にペーター・ブリューゲルの伝記小説を読んでいました。伝記といっても時代背景だけは史実に基づいていて、あとはすべて創作によるものです。それだけに生き生きと描かれた人物たちがまるで現実の生活を営んでいるように感じます。この小説もフェルメール夫人の視点で描いてみたり、ライバルの画家を登場させて、ささやかな日常の中に画家としての生きざまを浮き彫りにする手法を用いています。フェルメールを身近な人物として感じられるのは私だけではないでしょう。

木彫制作さらに追加

「構築〜起源〜」の雛型から割り出した柱の本数は100本を超えるものとなりました。杉材がまだまだ必要です。あと30数本は追加で彫らなければなりません。これで週末はさらに多忙になります。残り30数本は短めなので、来月末には何とか荒彫りが終わると思いますが、例年のように展覧会ぎりぎりまで予断を許さない状況が続きそうです。いつも締め切りに追われてハラハラドキドキして過ごす生活は、慣れたとはいえ毎回厳しいものがあります。おまけに今年は陶彫のやや大きめの作品に取り掛かっているので、夜は自宅で陶彫制作、週末は作業場で木彫制作と気を抜く暇もありません。「構築〜起源〜」の土台部分はタタミ9畳もあって、そこに100数十本の穴を開け、砂マチエールをすべてに貼るという作業が残っています。先を考えると気が遠くなりそうなので、とりあえず目の前の目標に向って頑張っていきたいと思っています。

夜は陶彫制作の時間

公務が終わって帰宅した後、自宅の小さなアトリエで陶彫制作が始まりました。丸一日働いた後で行う作業はなかなかつらいものがありますが、今の大きな作業場は来年3月までしか使えない予定なので、4月以降はこんな具合に自宅で制作をしていかざるをえない状況です。自宅の近くに大きな作業場を建設する計画がありますが、土地や資金のこともあって思うようには進んでいません。それでも夜の時間帯に制作ができることはまだ幸せと感じています。12畳ほどの空間で、何はともあれ、土を練ったり成形したり出来るのですから、しばらくはこれで良しとしなければなりません。夜は2時間程度作業すると、眼が疲れてしまって慣れるまで時間がかかりそうです。そこで毎晩2時間ずつ作業することに決めました。コツコツ取り組むのは得意な方です。                              Yutaka Aihara.com

陶彫の成形・加飾

いよいよ陶土をタタラ(板状)にして成形を始めました。自分は電動ろくろをまったく使いません。陶彫にはタタラか紐作りが合っています。陶彫も集合彫刻なので、まず全体をパーツに分けて、そのうち今日は大きめなパーツを2つくらい作ることにしました。最初は柔らかかった陶土はしだいに硬くなり、直方体として作ったものがきちんと立つようになります。あまり乾きすぎると全体のカタチを修正するのが難しくなるし、加飾もやりにくくなります。霧吹きで水を与えながら、すばやく成形をしていきます。木彫以上に時間が経つのが早く感じられます。陶彫は一度始めると陶土の乾燥を見ながら作業を進めるので、こちらの都合で休憩を取るわけにはいかず、また先を急いでも放置しなければならない時があって、なかなか難しい素材だと実感しています。加飾は鉄ベラ、木ベラや掻き出しベラ等を使って、丹念にやっていきます。この作業も時間があっという間に過ぎていきます。三連休は今日で終わりですが、陶彫は明日から自宅の小さなアトリエで毎晩やらざるをえなくなりました。                         Yutaka Aihara.com

荒練りから菊練りへ

昨日水を打っておいた陶土が思った以上にいい状態になっていました。砕いた土が粘質を取り戻していたので、荒練りが出来ました。それから菊練り。思い返せば陶芸を始めた頃は、この菊練りがなかなか出来ず、陶土をどうしたら均一の質にできるか困っていました。陶芸の師匠をもたない自分は社会人向けの陶芸教室で習った僅かな知識で、当時から大きな陶彫に挑もうとしていました。菊練りを覚えたのは人から習った技術ではなく、土を何とか均一にしたい欲求に駆られて、手が必然と動き、気がつけば同じリズムで練りこみ、その形が菊の花びらのようになっていたというものです。笠間に行った友人が陶芸をやる際、菊練りをしていたのを見て、自分と同じだと確信をもてたのです。今日は荒練りから菊練りへ仕事が進み、明日成形を行う予定です。                               Yutaka Aihara.com

三連休 陶彫開始

昨日予感していた通り陶土が残り少なくなっていました。おまけに密封していたにも関わらず硬くなっていて、まずそこから作業を始めなければなりません。今日のところは陶土を細かく砕いて水を打ち、しばらく寝かせることにしました。まだ若干粘質や可塑性があって、割合早く作陶しやすい状態に戻るのではないかと思われます。足りなくなれば、また栃木県益子から陶土を郵送してもらわなくてはなりません。様子を見ながらやっていこうと思います。明日荒練りができそうなら、現在ある陶土でやっていくつもりです。新作のイメージは陶彫部分は少ないので、あるいは陶土は足りるかもしれません。しばらく離れていた陶芸ですが、始めてみるとやはり自分はこの素材と表現が好きで、イメージをしっかり捉えることができます。三連休は出来るだけ陶彫制作に関わりたいと思います。               Yutaka Aihara.com

陶土に親しむ

木彫による「構築〜起源〜」の制作が軌道に乗ってきたところで、次の新作を同時にスタートさせようと考えています。一部に陶彫を使う作品なので、「発掘」シリーズになる予定です。前にぼんやりとイメージしていた壁の上に住居が連なる作品を、明日から始まる三連休でやってみようと思っています。そのために陶土を練り直す必要があります。しばらく離れていた陶土にまた親しんで、作品作りをしてみたいと思います。自分は土を単身で使わず、2種類の土をブレンドしています。そのブレンドした土がどのくらい残っているのか調べてみないとわかりません。土練りは木彫とは違う筋肉を使うので、明日からしばらく骨が折れそうな仕事が続きそうです。     Yutaka Aihara.com

ブログを書く習慣

ホームページを始めて、毎晩パソコンの前に座るようになり、ブログに何を書こうか思い悩む日が少なくありません。ブログを書かないと今日一日が終わった気がしないのです。そのくらいこれは生活の中に浸透してきています。ホームページではブログを「NOTE」としているように、ノートにメモをとるように書いていこうと思ったのですが、これはなかなか難しく、アクセスしてくれる人が増えるたびに、彫刻の新作のことやらRECRDの進行状況やら現在読んでいる本のことを書いてしまいます。いわゆる外向けの文章になってしまうのです。誰でもアクセスできるという意識があるので、これは仕方のないことかもしれません。

朝晩めっきり冷え込んで…

朝晩めっきり冷え込んできました。自分は朝5時半に起きて6時に家を出るため、夜明けの様子がよくわかります。最近は日が出るのが徐々に遅くなっています。秋は好きな季節ですが、朝晩と昼間の温度差が大きく体調を崩しがちになるのがたまに傷です。多忙な公務に加え、創作活動も週末しっかりやっているので、体調を崩すわけにはいきません。彫刻の制作は完成の目安をつけて、週末が何回来るか計算してやっています。週末が来るたび、頭のどこかの部分が休み、別の部分が目覚めて創作活動に入る感じです。身体は休む間もなく働いていますが、二束の草鞋を履くということはストレスが2つの世界で解消しあうので、休みがなくても案外気楽に過ごせるものだと思います。                              Yutaka Aihara.com

野菜中心の食事

健康のために最近は野菜中心の食事です。年齢のせいか肉料理を好まなくなりました。滞欧生活をしていた頃は肉類と炭水化物ばかりだったのに、今は野菜がないとやっていけません。幸い緑黄色野菜が好きなので、一日の栄養摂取バランスはいい方だと思います。でも大好きなものは穀物系で、米やパンは欠かしたことがありません。これを減らせば、もっと痩せられるし健康にもいいのですが…。公務、創作活動、余暇は水泳をやっていて、身体を使うことが多い日常ですが、何とか野菜中心の食事で保っています。秋になり市場にいろいろな野菜が並ぶようになりました。売っている食材を見ると、輸入ものが多いせいか、やや季節感が乏しくなったような気がする昨今ですが、それでも秋の味覚を野菜から感じることができると思っています。  Yutaka Aihara.com

「ながら制作」の習慣

学生時代、とくに高校生の頃によくラジオを聴きながら勉強していて、ダラダラと時間ばかりが過ぎて頭には少しも入らないということがありました。当時「ながら勉強」と言っていましたが、意味は音楽を聴きながら、テレビを見ながら…の「ながら勉強」ということです。今日、家内に「どんな時でもちょこちょこと作っているわね」と指摘された雛型やRECORDの制作は、つまり「ながら制作」というわけです。食事前のちょいとした時間、テレビやCDを流しっ放しにしている制作時間。合間を見つけて何かを作っているのは、高校生の頃からの性分でしょうか。これはほとんど夜に限られた時間ですが、照明の下では小品に対する集中力が増し、何となく周囲で音が鳴っている状態が気持ちよく感じられてしまうのです。「ながら制作」はこれからますます習慣化していくのかなと思っています。

制作の弾み

昨日、世田谷美術館で開催している「ダニ・カラヴァン展」を見てきたおかげで自分の制作に弾みがつき、今日はよく仕事が進みました。一番短い杉の柱を6本荒彫りして、さらに雛型も作りました。RECORDも一気に描き上げた後、夜に画材店に出かけ、砂マチエール50本を注文してきました。よく動くなあと自分でも感じつつ、これは自分の好きなことだから次から次へやっていても苦にならないということでしょうか。明日からしばらく制作が出来ないと思うと、あれこれやっておこうという意思が働くのです。こういうふうに週末はいつもながらあっという間に過ぎ去ってしまいます。制作に集中している時の時間はなんと短く感じることか、また新作の制作中に、あれもやりたい、これもやりたいと欲張りになるのは自分だけでしょうか。

「ダニ・カラヴァン展」

イスラエルの環境彫刻家で、大きなスケールの作品を展開しているダニ・カラヴァンのことは写真等で知っていましたが、東京の世田谷美術館で「ダニ・カラヴァン展」を開催しているので、自分の作業を中断して行ってきました。オリジナルの作品に接するのは実は初めてです。ダニ・カラヴァンは最初は画家として出発して、舞台美術に携わることになり、そうした空間演出がもとになって環境を作り出すようになったことが今日の展示を見て知りました。とりわけ舞台美術はとても楽しくて、模型があたかもボックスアートのように見えました。環境彫刻は雛型が展示されていて、イサム・ノグチとの類似を感じながら、これも興味をもって見ました。風景そのものを造形化して、その中を鑑賞者が歩き回るのは自分にとっては夢の世界です。空間の遮り方というか構成の巧みさに自分も学ぶところが多い展覧会でした。 Yutaka Aihara.com

模型作りの楽しさ

すべての彫刻作品をまず雛型で作って実作に取りかかるのが理想ですが、時間の関係やら気持ちの問題でなかなかそうはいきません。雛型(模型)作りは細々とした細工に楽しみを覚えて、それで満足してしまう結果になることがあります。それで実作作りの興味関心が薄れてしまったら本末転倒、それなら模型など作らずにいきなり実作に取りかかった方がいいのです。自分もよほどのことがない限り模型は作りません。今制作中の作品はそのよほどのことがあるので模型を作っているのです。これは実作と同時進行でやっていて実作の確認のために必要なのです。とはいえ模型作りは楽しい時間です。食事前や就寝前にちょこちょこと小刀で小さな柱を彫っています。手の中に入る小さな彫刻作品、しかも集合彫刻。机の上で空想する大きな空間。箱庭のような世界で遊んでいます。明日から週末。模型で試した空間を実作品で試す機会です。

RECORDは「平行四辺形」

10月のRECORDのテーマは平行四辺形にしました。長方形を崩したカタチには意外な展開がありそうな気がしています。画面の中に大きくもなく小さくもない寸法で平行四辺形を入れて、そこに何か要素を加えることで意外な効果がでるように思えます。平行四辺形のサイズはどちらかと言えば没個性的な方がいろいろな展開が出来て楽しめるのです。最近は色彩の面白さがわかって、様々な色彩を使えるようになりました。幻影のような色彩の美しさはカタチでは表せない世界を見させてくれます。カタチの構成に色彩の味を加えて、今月は華やかなRECORDにしたいと考えています。   Yutaka Aihara.com

10月になりました

10月になりました。暑かった季節はどこへやら、職場はネクタイと上着の着用になりました。さて、この1ヶ月をどう過ごすのか目標を定めてやっていこうと思います。「構築〜起源〜」の柱はすべて仕上げたいと考えました。まだ一番短い柱の荒彫りが残っていますが、週末にはこれを終わらせる予定です。柱を立てる厚板も下書きができるといいなと思います。RECORDは新しいカタチを決めて、いつものように日々継続です。公務が多忙になる季節ですが、多忙な時ほど作品も充実するように思えます。多忙を言い訳に作品ができないことはないということです。時間を有効に使うことは10年前からずっとやっていますが、さらに効率よく作業をしようと考えています。季節の変わり目で体調だけは壊さずにやっていこうと思います。  Yutaka Aihara.com

ボツワナ建国レセプション

ボツワナ大使館から建国42周年のレセプションの招待状が届きました。横浜・アフリカ会議があった時に、ボツワナの舞踏を職場に紹介したことが縁になったのではないかと思います。東京赤坂のホテル・ニューオータニ鳳凰の間は、様々な立場で参加している人で溢れていました。見ず知らずの人の中にいる気楽さで、たっぷり食事を楽しむことができました。ボツワナ料理も堪能できました。ボツワナは最近ではダイヤモンドが売りになっていて、経済的にも恵まれてきているのかなと思いました。大使夫人の胸に輝いていたダイヤのアクセサリーは斬新なデザインで人目を引きました。それにしてもボツワナ女性の衣裳の色彩が眩いほど美しく、褐色の肌によく似合っていました。 Yutaka Aihara.com

破壊し創造するパワー

人が作るものは、より大きな世界やより深遠な世界に辿り着くために破壊と創造を繰り返すものと若い頃に教わりました。自分が今まで大切に培った感覚を壊していくのは容易ならざるパワーが必要です。作品が上手にまとまりすぎると、所詮は作りものなので退屈したり、飽きてしまったりするものです。そうした自分の過去をコピーしはじめると、作品は堕落の一歩を辿ります。ひとついいものが出来ると、それに縋りついて、繰り返し過去の亜流を作りたくなるものです。そこで今までのものをすべて捨て去って、新たな模索が必要になってくるのです。まさに破壊と創造です。今までの自分の作品を振り返りながら、限界がきてはいないか、発展性はまだあるのかを自問自答しながら、時に大鉈を振るって破壊し、さらに創造の源へ向うパワーを出さなくてはならない時がきっとくると思っています。          Yutaka Aihara.com

再びエンジントラブル

通勤に使っている自家用車のエンジン警告灯がずっと点灯していて、デイーラーに電話をしました。自分の車は3年ほど前に購入したアメリカ製の車です。この3年間に3回のトラブルに見舞われ、さすがに次にトラブルがあったら、もう国産車に戻ろうかと思っています。斬新な車体のデザインや彫刻用の材料を運ぶための室内容量が大きいのが魅力で、かなり気に入っている車ですが、不安要素が多くて気持ちが揺らぎます。「実は昨日のお客様にもトラブルが多すぎると言われたのです。」と正直に言っていただいた熱心な営業マンに会うと、あなたのせいじゃないよ、と返しつつ車の性能ではやはり国産がいいなと改めて思いました。                 Yutaka Aihara.com

木を彫り続ける週末

週末は木彫に明け暮れています。現在は大きな作品のパーツを作っているのですが、この制作過程が一番健康的な精神状態を保っている時かもしれません。彫り出されてくるカタチに小さな感動を覚えたり、自分の心に眠っている感覚を探ってみたりして、内向きになって自分の心との対話を始めつつ、まだ全体がはっきりしない状況では、気楽にパーツ作りをやっているしかないのです。でもこの仕事が前述したとおり一番健康的です。杉の柱は長短混ぜるとちょうど70本、荒彫りが終わりました。柱はまだ少々不足しています。最短の柱が10数本必要です。パーツに関わる仕事はそろそろ終わりに近づき、いよいよ全体構成を具体的に考えなければならない時期がきたようです。来月以降は全体を見ながら、パーツを作るという調整期間に入る予定です。一番健康的でいられる制作過程は今月いっぱいかなと思っています。

RECORD 佳境に入る

ポストカード大の平面作品を1日1枚のノルマで作りあげ、全タイトルをRECORDとして、1年間でまとめ上げる連作をやっています。RECORDは2年目に入り、もうそれも半年以上が過ぎています。今年は5日間をシリーズとして展開し、1枚ずつ毎日描いて5日間ためて彩色する方法をとっています。このRECORDは日々の気持ちの変化で、つまらない作品になったり、ちょっといい作品が生まれたりしています。今月はあまりイメージに滞ることがなく、調子よく作品が出来上がっています。1年間のうちでも佳境に入っているのかもしれません。公務は多忙を極めていますが、こんな時に創作も佳境に入るものなんだとつくづく思います。明日は週末。RECRDと併行して、お馴染みの木彫をやる予定です。           Yutaka Aihara.com

豆好きの食卓

秋になると食事が美味しくなって、腹のまわりが気になる自分としては困っています。自分の好物は一言で言えば「豆」です。朝の納豆から始まり、夜は豆腐の味噌汁、主菜の他に金時豆やらウグイス豆、黒豆などの一品が食卓にのります。小豆を使った餡も大好きです。こうして書いてみると健康に気遣った食物ばかりと受け取られますが、要するに豆料理は健康を意識するしないに関わらず、食物繊維やビタミンが豊富なため、ちょうど自分の身体にはいいと思っています。豆がパンに入っている菓子パンも大好きです。パンはドライフルーツがどっさり入ったドイツで食べられているパンが好物ですが、豆も同じで「豆パン」がスーパーマーケットに並んでいたりすると思わず手が出て買ってしまうのです。                   Yutaka Aihara.com

イメージする力

造形による創作活動をやっているおかげか何事にもイメージする力が身についていると感じています。それは今日一日をどんなふうに過ごすとか、今抱えている仕事はどう片付けるのかとか、ほんの少しばかり先にある目的を達成するための方策であるとか、細々としたことに対してイメージを掴んで対処するというものです。たまに夜出かけるスポーツクラブでやっている水泳も同じです。泳法に対するイメージ、身体に対するイメージ、そんなことを思い描きながら泳いでいます。それもこれも日々習慣化した余裕が成せるワザかもしれません。公務、創作、水泳などにずっと関わってきたからこそ、今度はこんなふうにやってみようと試せるのでしょう。         Yutaka Aihara.com 

秋分の日にも…

久しぶりの晴天で、ようやく秋らしくなった清々しい一日でした。今日は秋分の日で休日でしたが、相変わらず木彫の作業に明け暮れています。作業場の窓から入り込む日差しを美しく感じながら鑿を振るっていました。どこかに出かけたい気持ちを抑えて黙々とやっています。彫刻は肉体を伴う労働とも言うべき仕事があって、これはこれで気持ちがいいものです。とくに木は彫り跡が美しく、香りもよくて申し分ありません。以前ブログに書いた記憶がありますが、森林の中にいるような気分になります。ひとりのペースなので、適度に休憩を入れる予定で作業をしていますが、気候がよくなると休憩も忘れて、ひたすら彫り続けてしまいます。途中鑿を研ぐ時が休憩タイムです。鑿を研ぐ時は精神統一が図れる時でもあります。こんな風に作業をしている時が一番幸せな時かもしれません。                Yutaka Aihara.com 

個展の評檀より

ビジョン企画が出版している新報に今年の夏にやっていた展覧会の評論が掲載されていました。フェルメール展を初めとする特別企画展から東京各地の個展までの寸評があって、自分の個展は彫刻部門の中ごろにありました。「焼き締めの陶彫により、古い遺跡の発掘出土品みたいに作る。その詐術性が即面白さでもある。」と書かれていました。なるほど。出土品を詐術によって造形する面白さ…とは、本当に面白いことを感じ取る人がいるもんだなあと思いました。好意的と受け取っていいのではないかと思っています。群馬県高崎市のNTT東日本から出品依頼を受けている「古代の造形 現代の造形」展も同じような意図があるのかもしれません。自分の作品と古代人が作った造形物が時空を超えて出会うのはきっと楽しい瞬間だろうと想像できます。もう一度、古代住居跡の写真集でも眺めて、さらに次なるイメージを膨らまそうと思っています。

週末の凝縮した時間

この週末も制作三昧で凝縮した時間を過ごしました。瞬く間に過ぎていく時間に追われるように杉の柱に鑿を振るい、雛型の小さな柱に小刀を振るい、RECORDの今日の分を仕上げています。ゆっくりお茶を飲む暇もありません。充実していると言えば、その通りですが、創作への意欲が他のことを考える気持ちや身体の疲労に打ち勝っているのかもしれません。考えてみれば10年位前からずっとそうしてやってきた訳ですが、さらにその前は自分の作品の方向が定まらず、今の充実とはほど遠い生活を送っていました。何かのきっかけで自分が見つかり、何かわからないけど確かに存在する目標に向って走り出した感じです。これはいつまで続くのか見当もつきませんが、生きている実感がもてる唯一の時間を過ごしていることは間違いありません。

眼で散歩する楽しみ

「発掘〜遺構〜」を今夏ギャラリーせいほうで発表した時、見に来てくださった人から、自分が小さくなってこの陶彫による都市空間を散歩してみたいという感想をいただきました。昨日のブログに書いたパノラマとしての広がりをもつ集合彫刻は、そうした視点からみると、どんな風景が目前に広がるのかという楽しみを鑑賞者に与えることができると思っています。SF映画のセットのようだとか、小型カメラで移動しながら彫刻を楽しみたいとか、そんな一般的な彫刻作品とは違う鑑賞方法を人から言われると、実は自分も楽しくなってしまいます。自分はジオラマを作っているわけではなく、アートとしての立体作品を作っているのですが、人が楽しいと感じる要素が自分の作品に盛り込まれていることを鑑賞者から気づかされました。パノラマとしての集合彫刻はまだまだ展開できそうです。眼で散歩できる楽しみが自分の制作の支えになっています。                    Yutaka Aihara.com

パノラマとしての彫刻

先日のブログで「森を俯瞰する作品」について触れました。森を俯瞰するというフレーズが我ながら気に入ってしまい、もう少しこだわってみたいと考えました。自分は制作ばかりやっていられない経済的な状況があって、創作活動は横浜市公務員との二束の草鞋です。時間が思うように取れない中で、作品の質を高めるために考え出した方法が部品をいくつも作って繋げていく集合彫刻です。部品には時間をかけますが、全体がどの位の大きさになるかは公務の仕事との兼ね合いによって変わってきます。時間が許せば作品は次から次に増殖していくのです。そこで部品をひとつずつの単位とした都市空間を作ることになっていきました。もちろんイメージの出所は渡欧時代に蓄積された記憶によるところがありますが、時間の使い方とイメージが一致して、陶彫または木彫による作品が生まれました。作品はパノラマ状になり、地形を俯瞰できるように配置しています。それは床であったりテーブルであったり、その部品の置き方や構成方法は様々ですが、俯瞰(または鳥瞰)という視点をもつことには変わりません。自分の作り出すものは、そうした広がりに空間造形の可能性を探るものでありたいと願っています。     Yutaka Aihara.com