「養老天命反転地」を思い出して…

NHK番組の「ミューズの微笑み」を見ていたら、岐阜県にある「養老天命反転地」を取り上げていました。ずいぶん前に自分もこの公園(?)に行ったことがあります。斜面に建築とも遊具ともとれるオブジェが点在し、一回りしたら結構歩きつかれた記憶があります。作者の荒川修作は前衛的な造形作家で、自分が学生だった頃は、絵画に文字を持ち込んだ作品で知られていました。思索的な作品でしたが、薄灰色を背景にして抑えた色彩が残像のように配置されている画面が、自分には美しく印象に残っていました。この「養老天命反転地」は建築的なスケールで展開した美術作品で、刺激的な空間を形成しています。テレビを見て気づいたことは、自分が訪れた時より周囲の木々が大きくなっていたことでした。

忘年会の季節

忘年会の季節になりました。職場でも忘年会が立て続けにあります。夜の繁華街に出て行くのは久しぶりです。毎日職場と自宅の往復ばかり、週末は仕事場通いなので街の様子がわかりません。クリスマスのイルミネーションが奇麗だとか、ここにこんな店があったのかとか新しい発見があって、今晩は楽しい一夜になりました。職場はチームで仕事をしているので、お互い腹を割って話し合う機会は必要です。また頑張ろうと気持ちを新たにして宴会を終えました。来週の月曜日にもまた別の組織の人たちと忘年会が予定されています。                              Yutaka Aihara.com

黒い小さな手帳

バインダー付の黒い小さな手帳を愛用して10年が経とうとしています。表は擦り切れて年季を感じさせます。毎年3月末に手帳に収まる日記を新たに購入しています。過去の日記は保管用ファイルにしまっています。手帳には公務の仕事スケジュールや出張場所&時間、資料作成&提出期限などを書き込んでいますが、あわせて創作スケジュールも書いてあります。おもに週末の作業を書き入れて、週末ごとにノルマを課しています。見通しをたてて仕事をすることで安心を得るだけではなく、結構自分なりにスケジュールを組むのが好きなのかもしれません。記録も自分の癖で、きちんと書いておかないと気がすまないのです。若い頃自分はもっと適当な人間と思っていましたが、この歳になると几帳面さが目立って、自分はこんな人間だったのかと改めて思っている次第です。                      Yutaka Aihara.com

払拭できない具象のイメージ

ポストカード大の平面作品を毎日描いているRECORD。今シーズンは1ヶ月ごとに幾何形体をひとつ決めて、それをもとに日々思いつくイメージを作品にしています。正方形や三角形、円といった定規で作るカタチを画面に入れて、そこからイメージをしていくのですが、構成的な作品になる時もあれば、別の世界に囚われてしまう時もあります。今月は凹形をテーマにしていますが、先月の半円形あたりから具象絵画のような要素が現れて、今も具象傾向を払拭できないでいます。個展で発表している陶彫の「発掘シリーズ」も抽象形態でありながら、都市という具象性をもっています。完全なるカタチのためのカタチになりきれないところが自分にはあると感じています。それはあるいは素材によるところもあるのだろうと思います。自分が扱っている陶土や木は、論理的な仕事に徹し得ない情感のようなものが出てしまうのです。それでよしとする自分の仕事は、具象作品と呼んでいいのかもしれません。                            Yutaka Aihara.com

心身の休憩…

人並みの公務、でも合間にポストカード大の平面作品RECORDの制作、週末は木彫による立体作品の制作、夜は不定期で陶彫の制作、健康促進のために時々スポーツクラブへ…と書いていると、毎日密度の濃い時間を過ごしていると自覚しています。充実感はあるものの疲労が溜まることがあって、就寝前はぐったりとしてしまいます。一日であれもこれも多くのことができるわけがないと思います。身体が動かなくなってしまう時は無理をせず、休憩を取るようにしています。今晩は心身とも休憩を欲しているようで、陶彫制作はやりたくなく、スポーツクラブにも足が向かず、このブログを書くのが関の山という状態です。明日出来ることは今日やらないことにして、今晩はもう眠ることにします。                      Yutaka Aihara.com

凸形と穴で土台を作る

新作「構築〜起源〜」の土台作りを続けています。土台に穴を開けて、そこから複数の柱が出てくるような構成を考えていますが、穴のないところには凸形のレリーフを施す予定です。凸形は抑制の効いた矩形で、116本の柱の規則的な彫りに連なるようにしたいと考えています。土台の最終的な表面処理は砂を硬化剤で貼り付けて、表面をすべて覆うつもりですが、凸形状のレリーフと穴の開いた部分が快いコントラストを作ってくれるといいと思います。来月の半ばまでに、この新作が完成できるのかどうか微妙です。横浜でのグループ展に間に合うかどうか、これからは時間を見ながら制作に拍車をかけなくてはなりません。                     Yutaka Aihara.com

「藍」アカペラ・コンサート

数年前に同じ職場で働いていた人が「藍」というゴスペルのグループにいて、何度かコンサートを開催しています。その彼女から招待券が贈られて来たので、東京市ヶ谷のルーテル教会まで出かけてきました。久しぶりに聴く歌声。クリスマスソングや島唄、Jポップから宗教歌までレパートリーが広く存分に楽しめました。彼ら7名の歌声を聴いていると、心が軽やかになり天空を舞っているように感じました。最後彼らは再三アンコールに呼び出されて、ノリに乗ったコンサートに幕を引きました。かつて同僚であった彼女は私と同じ横浜の公務員で、いわば演奏活動との二束の草鞋です。他のメンバーも皆んな他の仕事を持っていると聞きました。自分も公務の傍ら創作活動をやっているので、こういう機会に質の高い演奏を聴くととても勇気が湧いてきます。本当に楽しい夜でした。                 Yutaka Aihara.com

繰り返し作業の蓄積

新作「構築〜起源〜」は、116本の杉材の柱や9畳大の土台を使い、パターンを少しずつ変化させて、その繰り返しによる集合体で構成する彫刻です。坦々と繰り返す作業は、自分の得意とするところで、いわば労働の蓄積です。先日のブログにも、延々と続く終わりのない作業を一部分切り取って展覧会で発表することができないものかと書きました。RECORDがまさにそのひとつで、現在進行中の作品を一定期間をひとまとめにして発表したことがあります。「構築〜起源〜」は完成というゴールは見えていますが、延々と繰り返した作業の蓄積が、この作品の表現として大きな意味を持っています。今自分の中にある完成のイメージはいくらでも描き直すことができて、さらに増大する作品になっても構わないと思っています。ただし、今回は116本の柱と9畳の土台で作品を完成させると決めているので、ここで一応区切りとしますが、今後再び手を入れることもありうると思います。繰り返し作業の蓄積により作品を制作するのは自分に合っているように感じています。                              Yutaka Aihara.com

格子の美しさ

現在「構築〜起源〜」の土台を制作中です。土台は厚板に格子状になった矩形をたくさん刳り貫く作業をしています。そこに杉の柱を立てて立体造形にする計画です。この格子をとても美しく感じています。柱を立てなくても十分に面白いと思います。同じサイズの正方形の穴が並んでいるだけで魅力的に感じるのは私だけでしょうか。リピテーションの美しさ。しかもところどころ穴を開けていないところがあって、そこがアクセントになっています。これについては自画自賛ですが、一般的に格子の美しさは疑う余地はありません。格子は日本の造形にも昔から取り入れられてきました。障子や衝立の格子。囲碁も格子です。こんな文様の美しさをもっと取り入れて、現代に甦る造形としてやってみたいと思います。                Yutaka Aihara.com

Stollenの出回る季節

毎年この時季のブログにStollenについて書いています。Stollenはドイツ語です。シュトレンと発音します。クリスマスの時季にベーカリーで売り出されるドライフルーツの入ったパンです。自分がヨーロッパから帰国した20年前には日本で見られることはほとんどありませんでした。横浜の都築区にある在日ドイツ人学校(ドイツ学園)のパーテイーに呼ばれた時に久しぶりに食べた記憶があります。最近はあちらこちらのベーカリーで売っていて、食べ比べができるのが嬉しい限りです。自宅の近隣のスーパーマーケットにも置いてあって、やや無骨な味わいですが、これがヨーロッパで食べたシュトレンに似て、とても美味しいと感じます。都心の高級ベーカリーのシュトレンは日本人趣向の肌理の細かい洗練された味がして、それはそれで最高に美味しいのですが、ヨーロッパ特有の田舎臭さがなくて、むしろ近隣の店で扱っている安価なシュトレンがいいと思っています。シュトレンが楽しめる季節になって、慌しい仕事の合間にホッと一息入れるのにちょうどいいと思っています。                     Yutaka Aihara.com

現代美術が影響を及ぼす教育

知り合いの小学校教員が図画工作の公開授業をするというので、職場にお願いして見に行かせてもらいました。授業内容は「枝と布のハーモニー」と題して、近隣の公園で集めてきた木の枝や古布を使って、6年生が立体造形を楽しむというものでした。彫刻家ナッシュの作品を彷彿とさせる取り組みで、教育の世界にも現代美術が入り込んでいるなと思いました。知り合いの教員はそうした現代美術に精通しているわけではなく、小学校特有の「造形あそび」から発展した内容をやっていたわけですが、小学生がお互いの作品を見合うだけではなく、教員がそうした海外の造形作家の作品を紹介しながら、児童の反応を見たり、鑑賞させてみるのもいいかなと思いました。現代美術が広く浸透し、一般に受け入れられるように環境を整えるのは、学校教育の役割が大きいのではないかと感じました。 Yutaka Aihara.com

夜の制作で思うこと

仕事を終えて自宅に帰ってから、アトリエに籠もって制作をしていると、いろいろなことを思います。仕事でやらなければならない課題があって、締め切りに追われているか、または招待状や年賀状の準備など何かあれば気持ちが動いて、何とか自宅で作業をしているのですが、日々の習慣として制作となるとなかなか定着しないのです。まず、自宅は心身を休めるところだと脳が認識していて、仕事モードにならないことが原因です。夕食を済ませて風呂に入ると、もうぼんやりと過ごしてしまって、アトリエに行こうとは思わなくなります。制作は時に苦悩することがあるので、これは昼間の公務とは違った意味で大いなる仕事です。一日の終わりの憩いの時間帯に苦悩を伴う作業はしたくないと感じるのも確かです。でも、二束の草鞋を履いている自分はここが気持ちの分かれ目で、気持ちをコントロールをしなければ創作活動は進みません。毎晩わずかの時間でも素面で陶土に向えるようにしたいと願っています。                           Yutaka Aihara.com

創作一本への憧れ

一日のうちでやることが多く、時間が足りないのはいいことか、よくないことか考えることがあります。創作一本では食べていくことはできず、他に仕事を持っているのは仕方ないのかもしれませんが、創作一本の生活への憧れは常にあります。でも仕事以外の限られた時間の中で、気持ちを高めて創作活動に向うのは、ひょっとして密度の濃い作品ができることもあると思います。多忙なほど多作になると思われるからです。自分は彫刻家としてスタートした時は既に公務員という身分でもありました。初めから時間的な制約があった上で創作活動を行っているので、気持ちのコントロールは最初からあたりまえのようにやってきました。長くやっているとさらにコントロールだけは上手になります。近い将来定年退職を迎え、創作一本になったらどうなるのか、今は憧れがありますが、生活のリズムはどうなるのか想像がつきません。あるいは憧れているうちが一番いいのかもしれません。      Yutaka Aihara.com

「構築〜起源〜」全体構成

畳9枚分の大きさの厚板を床に敷き、116本の柱をすべて立てて配置を考えました。今日はそんなことで一日が終わってしまいました。実際に彫ったり修整したりする作業は後回しです。柱に彫り込んだカタチを見ながら、隣り合う柱と柱のバランスやメリハリを考えて、柱の配置換えをする作業は、部分を作る作業より骨が折れます。全体構成は今日のうちにやっておかないと、次の機会は図録撮影か、または搬入の時しかありません。やはり全体の把握に雛型はとても役に立ちました。それにしても毎度のことながら集合彫刻は組み立てから分解までかなり時間を要します。自分が選んだ方法だから文句の言いようもありませんが、搬入時にはまた人の手を煩わせることになりそうです。

素材の追加購入

週末はずっと新作「構築〜起源〜」の土台作りをしているのですが、土台を床より10センチ程度高くするために、側面の厚板を買ってきました。製材所でカットしていただいた板を作業場まで運んでいるうちに、夕方になってしまい、今日の作業は何も捗らずに終わってしまいました。明日は遅れを取り戻さなくてはなりません。作品は全体が見渡せるようになり、頭で描いていたイメージと比べています。雛型はあるもののやはり実寸とは違って見えます。作品は柱がすべて垂直に立ち上がるので、思っていたほど大きくは見えません。柱がすべてセットされるとどうなるのか、土台は砂マチエールで覆われ、柱は下半分がバーナーで炙って炭化させるので、それが100本以上立ち上がるとどうなるのか、いよいよ制作が佳境に入ってきた感じがいたします。

「クレーの贈りもの」

平凡社から出版されている書籍にスイスの画家P・クレーに関するものが3冊あります。「クレーの贈りもの」「クレーの詩」「クレーの旅」です。そのうち「クレーの贈りもの」は内外の作家、画家、詩人、評論家等がクレーの絵によせて文章を綴っていて、内容にそれぞれ個性があって楽しく読めます。クレーの絵も多く掲載され、個性的な文章と相対して、それもかなり楽しめます。クレーの絵の解釈は幅広く多様で、それもクレーという画家が詩的なインスピレーションを受けて造形した結果だと思います。自分もクレーに関する本を自宅の食卓に置き、たまに手にとってページをめくると、創造的な刺激を受けてしまいます。子どものような絵を描くクレーですが、何か謎めいた、また哲学的なコンセプトが潜んでいるような気がしています。「クレーの贈りもの」は様々な視野をもつ人々がそこを我流で解き明かすのが面白いのです。                          Yutaka Aihara.com

「みじめな、うちしひがれた生徒が…」

「みじめな、うちひしがれた生徒が ぼくに白状した。窓辺へ吸い寄せられてしまう、と。ノートから離れ、インクにつけたペンから離れて。彼の目は彷徨い出ようとし、ひたいをおしあてた 窓ガラスを突き抜ける。」スイスの画家クレーの詩からの抜粋です。心の中に眠っていた昔の情景が自分にも浮かんできます。束縛からの解放。授業からの逸脱。当時の自分は実際の逸脱行為には及ばず、ただイメージの中で憧れていたものです。在りし日の思い出が甦る詩のコトバ。自分は詩は読み物ではないと思っています。目がそこにとまり、情景をキャッチするとイメージが膨らみ、心の琴線に触れてくるものです。そんな詩的要素が美術にもあるのではないかと思うのです。音楽ほど直接的な働きかけはありませんが、美術にもカタチや色彩で人の心に入ることはできると信じています。          Yutaka Aihara.com

RECORDは「凹形」

今月のRECORDのテーマは凹形にしました。RECORDはポストカード大の平面に一日一枚のペースで、毎月決めた幾何図形から派生するイメージを描いています。そうしたシーズンも残すところ2ヶ月となりました。このRECORDを始めたきっかけが2月だったので、ずっと2月始まりの翌年1月締めでやってきました。今回のシーズンは、前述の通り幾何図形の展開を1ヶ月ごとに区切ってやっていくものです。幾何図形にはもっと複雑なものがありますが、あくまでもこれは美術作品を生み出すためのテーマなので、視覚的に発展しやすいカタチを選んでいます。凹形は正方形の変形、つまり正方形が窪んだカタチと捉えて、そこに意味を持たせた作品にしようと思っています。当然来月は凸形を予定しています。来月をもってこのシーズンは終了となります。また次のシーズンに向けて現在考案中です。    Yutaka Aihara.com

HPギャラリーに「遺構」アップ

今年の個展で発表した「発掘〜遺構〜」が、ホームページのギャラリーにアップしました。架空都市に寄せる思いもコトバにしてあります。画像はカメラマンの演出処理に負うところが多く、独特の雰囲気を出しています。世の終焉を描いたスクリーンのような、しかも都市全体が生き物であるかのような錯覚に陥ります。自分がイメージした世界を、さらに雄弁に表現してくれるのはこうしたスタッフの力によるところが大きいと感じます。普段はアナログな作業に明け暮れる自分にとって、デジタルな世界は刺激的です。またここから新たなイメージが生まれる要素があります。ただし、自分は彫刻家なのであくまでも実材を媒体とするリアルな表現があってこそのデジタルワールドなのです。自分のホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。さらにギャラリーのところをクリックしてください。「NEW」と表示してあるのが、「発掘〜遺構〜」です。ご高覧いただければ幸いです。          Yutaka Aihara.com

1年の締めくくりの1ヶ月

12月になりました。いよいよ寒くなり、通勤は夜明け前です。職場に着く頃に夜が明けてきます。1年間の締めくくりとは言え、やり残したことが多く、今月は猛烈に制作をしなければなりません。職場も忙しくなりますが、制作三昧の週末も休むことはできません。毎年のことですが、週末の昼間は「構築〜起源〜」の制作、週末に限らず夜は陶彫、間隙を縫ってRECORDと無我夢中で取り組むつもりでいます。目標とするのは、今月後半には「構築〜起源〜」の土台に砂マチエールをつけられること。土台は畳9枚分の大きさがあります。また例年のように家内に手伝ってもらうことになると思います。柱の仕上げはいつになったら出来るものやら…。一気呵成は無理としても集中力で何とか乗り切る所存です。と言っているくせ今晩も陶彫の合間にぼんやりとクレーの詩を目で追い、クレーの水彩を眺めている自分がいます。                              Yutaka Aihara.com

11月最後の週末…

11月最後の週末です。あれよあれよと思う間に今年も残りわずかとなりました。制作は自分なりに頑張っているものの計画通りにはならず、来年の横浜のグループ展に間に合うかどうか微妙になってきました。3月の群馬県高崎市の展覧会には「発掘〜鳥瞰〜」を出そうと思っていますが、新作の完成はいつになるのやら。RECORDはとりあえず11月分は完成しました。陶彫は夜制作したり、できなかったりで進んでいるとは言えません。明日から師走。毎年のことながら、多忙な1ヶ月になりそうです。      Yutaka Aihara.com

土台の穴開け作業

新作「構築〜起源〜」の土台作りに取り組んでいます。今月最後の週末ですが、柱の修整彫りはついに出来ず、もっぱら土台に小さな正方形の穴を開ける作業が中心です。厚板に格子を描いた下図をもとに、ドリルとジグゾーでそのひとつひとつの正方形をカットしていきます。労働の集積というべきか、木屑や埃にまみれ、朝から夕方まで同じ工程の繰り返しです。この作品は完成が目に見えていますが、この繰り返される労働をこのまま永遠に続けていくことで作品にできないものかと、ふと考えました。ずっと同じような作業を繰り返す中で、ある時期の作業の一部を切り取って発表する方法もあるのではないか、創作は人間の業に近いものだから、完成しない作品を延々と作り続けていくのも、表現方法としてはいいのではないかと思いました。そんなことばかり思いをめぐらせているうちに今日が終わりました。明日も作業続行です。                           Yutaka Aihara.com

ブログを書く習慣

HPを立ち上げてから3年、このブログも毎日書いているので、ほとんど習慣となっています。日によっては創作活動とは縁のない一日があって、別の仕事に追われることは少なくありません。でも自宅に帰ってブログに向き合うと、創作のことや最近見た展覧会、現在読んでいる本に関すること等、自分自身を取り戻す時間が作れます。HPは誰でも見られるわけで、その中にあるNOTE(ブログ)ですから、人に読まれることは承知の上で、自分の作業工程の確認をしてみたり、思考をめぐらせたりして、これはほとんど自分のために書いているような具合になっています。いわば自分のメモです。せいぜいちょっと意識した公開日記くらいな感じです。こんな感じならずっと継続できると思っています。自分自身を取り戻す時間、これはかなり貴重な時間と言えます。                         Yutaka Aihara.com

一日一点の陶彫制作

一日一枚の平面作品によるRECORD。ポストカードのサイズで毎日取り組んで、もうかれこれ2年が経とうとしています。これはサイズがよかったと思っています。職場の机上、自宅のテーブル、街のカフェ等で気軽に取り出せて、頭に浮かんだイメージを描きとめるのにとてもいいのです。さて、現在試作中のRECORDの立体版ですが、一抹の不安を覚えつつ、やり方次第ではこれも可能かなと思っています。ただし平面のRECORDほど都合のよいものではありません。まず、陶彫という技法です。今は彫りこみによる加飾を毎晩やっていますが、場所はどこでもというわけにはいかず、アトリエでなければ出来ません。轆轤をはじめ様々な用具が必要だからです。しかも一日では製作工程の全てをまかなうことはできません。これを一日一点やっていくとなるとどうなるか、今の仕事をやりながら制作が滞りなくできるのか、でも可能性を感じられるならやってみようか、いろいろ思いをめぐらせていますが、近いうちにはスタートする予定です。        Yutaka Aihara.com

「この世はぼくを捉えようもない」

昨日に引き続き、クレーの詩集から感じたことをブログにまとめます。「この世はぼくを捉えようがない。死者たちや、生まれてもいない者たちのところでちょうどよく暮らしているのだから。創造の中心にふつうよりちょっと近く。でもまだ十分に近くはない。」このクレーのコトバはかなり印象的です。生や死を超えたところにある居心地のよい(と勝手に感じているのですが…)世界に住んで、何かを発信しているような感覚をもちます。非日常の中に自分を持ち込まなければ、創造行為は出来ません。世間で言う「浮いた存在」ですが、世間を洞察する目だけはしっかり持って、モノに対する考え方や感じ方を提示(表現)できなければ、単なる浮いた存在で終わってしまうのかもしれません。自己満足を周囲が認めてくれれば、それは芸術として成り立ちます。ましてや造形思考に共感してくれれば、芸術家として成功したと言っても過言ではありません。クレーのコトバにはそんな刺激を含んでいると思っています。                        Yutaka Aihara.com

クレーのコトバより

自宅のリビングにいつも「クレーの詩集」が置いてあります。食事の前にちらりと見て、その短い言葉のもつ魔力に触れています。詩集はかなり若い頃に書かれたもので、まさに青春時代のパウル・クレーのちょっとシニカルな面を感じ取ることができます。恋愛の詩も多く、クレーが異性に対して抱いていた様々な感情が読み取れて面白いと思います。造形美術に関する詩もあります。断片的なコトバとして感じ取った方がいいかもしれません。コトバと視覚が有機的に結びついて、クレーの心象を吐露しているように思います。もっとコトバと身近な付き合い方をしたい自分には羨ましい限りですが、クレーのような若々しい頃の何ともやるせない感情を、その時期にコトバに出来なかった自分は、今の少し鈍った状態をどんな風にコトバにしたらいいのかわかりません。でも詩から受けるイメージは大好きなのです。  Yutaka Aihara.com

「構築〜起源〜」土台作り

作業に必要な厚板を9枚購入してあり、今日から土台作りの作業に入ります。板の厚さは2cm4mmで、土台は9畳分の大きさになる予定です。今までで一番広い面積になる作品です。全部広げると作業場はめいいっぱいになるところですが、今日は1枚だけ穴の位置を決め、カットを始めてみました。板に厚さがあるとジグゾーが安定してカットが容易になります。忽ち作業場は木の粉にまみれてしまいましたが、穴に柱を立てていくと作品全体の構成が少し見えて、木屑や粉が散在する環境の中で、ようやく作品らしくなってきた感じがします。今までずっと柱を彫ってきたにも関わらず、今日から立体造形が始まった気がしてしまいます。これから雛型を参考にしながら、全体を見据えて、柱を立てる位置を決めていかなければなりません。三連休の目標としたところはやや達成できなかったのですが、また来週末に持ち越して継続したいと考えています。

木彫荒彫りの終了

新作「構築〜起源〜」の部分を形成する杉材の柱がすべて彫り終わりました。といっても荒彫りですが、とりあえず100本以上の長短の柱のカタチが決まりました。これから仕上げの彫りに入り、半分から下はバーナーで炙って炭化させます。ちょっとホッとしています。仕上げは彫り跡を残しながら、丁寧な作業になります。土台に使う厚板はまだ手付かずで、雛型を見ながら、そろそろ厚板に穴を開けていきたいと思います。今月中に穴の位置を決め、柱の仕上げができればいいのですが、これはあくまで目標です。この時点ではまだ作品の全体像が見えてきません。雛型だけが頼りなのです。こうした作業は技能的な処理ばかりで、精神的には楽な工程です。当分こうした作業が続きますが、明日は土台の穴を開ける段取りと柱の仕上げ彫りの試作に入れればよしと考えています。

研修終わって制作続行

昨夜から今朝にかけて、他の職場の人たちと宿泊研修に出かけていました。公務としてはとてもいい研修で、気軽に仕事に関するヴィジョンを職場をこえて話すことのできる場になっていました。今日から三連休で、自分は宿泊研修から帰って、すぐ作業場に出かけて制作に入りました。発想の転換というか気分のコントロールは我ながらよく出来て、ウイークデイの仕事を忘れ、あっという間に創作に埋没することが出来ます。木彫は佳境に入り、もうすぐ荒彫りが終わりそうです。この三連休も目標を掲げて頑張らねばなりません。Yutaka Aihara.com

ウイークデイの制作時間

週末はすべて作品制作に時間を費やしています。自分としてはウイークデイにも制作ができないものか、あれこれ試していますが、なかなか作業が進まず、週末の時間に補填することが多くなっています。前にブログに書きましたが、早朝職場に出勤して、仕事が始まる前にRECORDを描いていたり、夜自宅に帰って就寝前に陶彫をやっていたりしています。このところ日の出の時刻が遅くなり、自分が起きる時、外は真っ暗です。自分は職場には誰より早く到着しますが、カーテンをあけて暖房をつけて警備会社に連絡をしてから制作に入ります。あれこれ考えているうち他の職員が出勤してきて公務に入り、結局制作は何も出来なかったという日もあります。夜も疲れて制作が出来ないこともあります。それでも何とか続けたいと願う毎日です。Yutaka Aihara.com

図解 古代ローマ

表題はステイーヴン・ビーステイのイラストによる絵本です。学術的な絵本と言っていいかもしれません。古代ローマの様子、たとえば商店街や神殿、コロッセウム、波止場、大浴場といった建物とそこに集う人々が克明に描かれています。見ているだけで楽しくなる絵本です。都市に興味のある自分はこうした鳥瞰図が大好きです。いつまで見てても飽きないのです。そのうち自分の中で想像力が芽生え、絵の中に入り込んでしまうのです。昨日までブログに書いていた18世紀イタリアの版画家ピラネージにも通じるものがあります。実際に遺跡を訪ね歩くと、イメージが湧いてきて、何かを創りたい衝動に駆られますが、この絵本やピラネージの版画からもそうしたインスピレーションをいただくことができるのです。