職場で三吉演芸場観劇

昨日は警察署で武道初めを見て、今日はまったく雰囲気を変えて三吉演芸場に行ってきました。これは職場で新年会として自分が企画したものです。横浜に住んでそこで働いている身としては、常々地元の演芸場を応援したいと思っているのです。今日は橘菊太郎劇団の座長不在日で、恋瀬川情炎というゲスト座長がやってきました。この人の追っかけが指定席を占め、私たちは後ろの方の自由席をとりました。案の定大入り満員でした。お客さんから戴いた万札を胸につけて歌い踊る役者は、まさに客あっての商売で、サービス精神に溢れ、色気や情感いっぱいの空気をまき散らせていました。自分はこうした商業演劇が結構好きな方です。作り物の世界は芸能も芸術も変わらないと思っているほどです。理屈なしに楽しめる濃密な時間を過ごし、ちょっぴり心が元気になったような気がしました。              Yutaka Aihara.com

警察署の武道初め

このところブログに作品のことばかり書いてきたので、今日は話題を変えます。警察署が行う武道初めに職場を代表して行って来ました。若手の警察官たちが日頃鍛えている腕前を、柔道や剣道を通して披露するのが武道初めです。紅白に分かれた選手が柔道や剣道で勝ち抜いていくもので、勇ましい掛け声や体当たりの試合で、こちらまで熱くなってしまいます。地域を守るために逞しい心身を作っておくのが警察官の使命です。今日の様子を見ていると、日本の秩序はまだ大丈夫という気がしてきます。しばし時間を忘れて清々しい雰囲気を味わってきました。

新作の梱包作業

よくぞここまで辿り着いたと思うほど今回は制作に手間取りました。梱包作業は116本の柱と9枚の土台を別々に梱包するので、全部で125個の部品に分けて行います。とくに土台は自分ひとりで梱包するのに無理があり、今日ばかりは家内に手伝ってもらいました。部品が多いので箱詰めでは時間が足りず、ビニールシートにエアキャップを貼って、それにひとつずつ部品を包む作業になりました。梱包はとても大切な作業のひとつです。というのも自分がやっている集合彫刻は搬入設置に時間がかかるため、簡単に作品を見せられないところがあるのです。展覧会の後は、作品を梱包して倉庫に収めてしまうので、保存状態をできるだけよくしておきたいと願っています。梱包に気を使う理由はそこにあります。来週の搬入の後は7月の銀座の個展まで保存です。

新作の最終チェック

やっと新作「構築〜起源〜」がほぼ完成しました。116本の杉材の柱の裏に押印して番号をつけた和紙を貼り、その番号と照らし合わせて土台の裏にも同じ押印の和紙を貼りました。これで搬入の際に、土台のどの穴にどの柱が納まるのかわかるようにしてあるのです。搬入は自分ひとりでは出来ず、運送業者や美大生が手伝いにきてくれます。彼らに組み立て方を示すことによって、自分の指図なしで作品が出来上がっていくのです。今回の作品はテーブル彫刻ではないので、板材を支柱で浮かせることはありません。その分搬入作業は楽ではないかと思うのですが、どんなもんでしょう。今日はすべての柱の番号の確認と、土台の油絵の具に塗り残しがないかどうかのチェックを行いました。明日は梱包作業です。

RECORDの落款

今月は2つのシリーズを同時に作っているので、RECORDばかりやっているような毎日です。RECORDとは、一日一枚作るポストカード大の平面作品を言います。毎年2月始まりなので、これを1月始まりにしたくて今月は新シリーズを同時に作り始めているのです。そこでRECORDにも彫刻作品と同じように落款をつけることにしています。新シリーズの印をまだ作っていないので、早急に作ろうと思います。毎日押印して日付を記して完成させるものなので、印ができていないと何か作品が締まりません。新シリーズは今までよりデザイン性が強いので、印も洒落たデザインにしようかと思います。印による小さな世界に遊びたいと考えています。       Yutaka Aihara.com

素材の変容

素材がもつ力を引き出すことは彫刻にとって重要なことです。石や木はもともと自然界にありのまま存在しているので、それらに手を加えることで豊かな表現を示せるならば、彫刻としては大成功と言えます。逆に手を加えたことで素材が萎縮してしまうのであれば、彫刻などやめて、ありのままの状態で自然界においておく方がよいと考えます。土も自然界にありますが、石や木と違い可塑性のある素材なので、他の素材よりも便利に人に利用されてきました。とくに焼きものは火によって土が変容し石化してしまうのです。それによって液体を漏らさない器になったり、火を内部に入れた暖炉や照明になったりしています。今制作中の作品は木を焦がし、木が変容して別の表情を見せることを意図して作っています。生木と炭化した木のコントラストが気に入って116本の柱をバーナーで炙り、それらの柱が林立する風景を演出しようとしているのです。素材の変容も素材の持つ力であると認識しています。                               Yutaka Aihara.com

彫刻制作の意味するところ

毎日制作をしていて、ふと思うことがあります。作品制作はまず自分が作りたいイメージがあって、それをカタチにしたいと欲して制作をしているわけです。幸い個展やらグループ展で鑑賞者の目に触れる機会が持てていることで批評をいただいたり、認めていただたりしているのですが、こうした作品はどんな意味を持つのか、わからなくなることがあります。認められれば作品は「文化」として時代を形成するものとなり、認められなければ巨大なゴミになると考えます。基本的に作品は自分が作りたいものを作る自己満足の産物ですが、他者の存在がなければ何もないナンセンスなものと化してしまうのかと思うのです。別に人に見られるために作っていないと言ったところで、人に見られなければ認められることもないし、今自分がやっている彫刻という名の「労働の蓄積」はいったい何なのかわかりません。「いつかきっと認められると信じて…」と若い頃に仲間と飲んで喋ったことがいつまでも頭から離れず、今もそれを信じて制作に励む自分がいます。作品を巨大なゴミにしたくないと思いつつ、自己満足を認めてほしいという勝手な我儘がアートの実体なのだと考えています。                  Yutaka Aihara.com

書棚をながめると…

どうも公務や新作彫刻の追い上げやらで読書の時間が取れません。自家用車通勤も読書が出来ない原因です。自宅の書棚をながめると、読みかけの本がいろいろ目につきます。陶芸家八木一夫の随想集やら現代彫刻の評論集など、ずっとそのままになっていて、新作の搬入が終わったら、ぜひ続きを読みたいものです。自分には気に入った書籍を購入すると妙に安心してしまう癖があって、かなり後になって読み始めるのです。しかも一冊ずつではなく複数の本を同時に読んでいくので、似通った種類の本であると混乱してしまうこともしばしばあります。やはり美術に関する本が圧倒的に多いのですが、たまには小説も読んでみようかと思っています。まだ映像よりも読書を身近に感じることができるので、昨今の活字離れの世相の傾向は、自分にとってほとんど関係がないと自負しております。             Yutaka Aihara.com

集中力と持久力

ひとつの仕事を全うするために集中し、それが長く持続できたらいいのにと思うことが度々あります。そうした集中力と持久力が噛み合って一日が過ごせたことは滅多にありませんが、今日はそれに近いパワフルな一日でした。新作「構築〜起源〜」の制作が佳境に入り、気持ちが身体に打ち克っているところを、さらに休日だというのに職場での賀詞交換会に出なければならず、制作時間が限られていたこともパワーが出せた原因だと思います。時間があっても仕事は進まず、緊張感のない一日を過ごすことが多いのですが、この三連休はしっかり制作をしたという実感があります。時間が限られていた方が自分を追い詰めて仕事ができるということかもしれません。明日から公務が待っていますが、勤務時間終了後にまた制作再開です。      Yutaka Aihara.com

「象徴主義」を窓口にして…

連休の作業中に、知り合いの美大生がやってきて「象徴主義」について調べていきました。「象徴主義」はG・モローに代表される19世紀末に登場した神秘的な主題を扱った一連の作品を指しますが、広い意味の象徴は古代から現代に至る全てのアートに当てはまるものではないかと思います。自分の作る彫刻にしてもイメージから発想したカタチに象徴としての意味を与えているわけですから、これも「象徴主義」の流れを汲むものと言えるのではないかと思えるのです。自分は様式を辿る美術史がある一方、美術哲学史があると考えます。人が作るモノに対して思考面から考え直すと平面的で一本化されたモノ作り史が有機的に結びついて、古代から現代までを角度を変えてみることが出来ると思います。「象徴主義」や「表現主義」や「構成主義」等を視点を変えてみたらどうだろうか、そんなことを考えながら今日も新作の単調な作業を続けた一日でした。                 Yutaka Aihara.com

三連休でやるべきこと

このブログはほとんど自分のメモとして書いているような内向きの文章になっています。三連休が始まり、まずやるべきことは「構築〜起源〜」の柱の修整彫りです。どこまで終わることができるのか。116本のうち64本は仕上げを終わっています。まだほぼ半分です。残りの柱は短いものばかりですが、修整が手間取れば時間はかかります。とりあえず今日12本。明日それをバーナーで炙って、さらに何本か追加の修整彫りを行う予定です。作業中の休憩時間なし。昼食も簡単に済ませて作業再開。これを強制労働と感じていないからこそできる仕事です。生きる張り合いか、完成への心の昂ぶりか、自分でもよくわかりませんが、集中力が持続しているのが不思議です。鑿の切れ味が悪くなっているのを気にしながら明日も修整彫りをやっていきます。                               Yutaka Aihara.com

完成への心の昂り

搬入までに完成するのかどうか、きわどいところです。それがあるせいか朝起きると手足に汗をかいています。自律神経失調症です。今までの作品でも搬入まで日数がなく厳しい時もあったのですが、今回のような症状は初めてです。就寝時も自律神経がおかしくなりそうなものですが、公務と制作の疲労に襲われ、神経がイラつく前に倒れるように寝てしまいます。朝はあっという間にやってくるので睡眠はしっかり取れていると自覚しています。妙なストレスはないなずなので、精神的には健康そのものではないかと思います。これはもう作品の完成に向けての心の昂りに他ならないのではないか。だいたいこの時期はいつもそうですが、作品のことしか頭にないのです。考えればこれが楽しくて創作をしているようなものです。どの年齢になってもハラハラドキドキがあるというのはいいことかもしれません。      Yutaka Aihara.com

緩急ある一日の生活

一日の過ごし方に緩急があって、公務に追われ制作に没頭する時間は密度の濃い時間を過ごしています。自宅に帰ってくると、気持ちが緩んでぼんやりとしてしまいます。このぼんやりとした時間が何ともいいのです。こう感じるのも仕事や家庭を持って、日々しっかり生活しているという自覚があってのことです。生活に対しては窮屈な思いはしていません。創作活動が出来るのも気持ちに余裕があるためだと思っています。心に何か渇きがあって、それを埋めるために緊張感のある創造行為があると考えますが、これは基本的には心の余裕があるためと受け取っていいものだと思います。そうした中で緩んだ時間を何もせずに過ごすのは気持ちをリセットする上で必要なことかもしれません。と言いつつアトリエに放置されている陶彫が気になっているのです。粘土の乾燥を待って最後の仕上げをしようと思っているのですが、緩んだ時間に気持ちを持ち直してアトリエに向うのは少々つらいものです。Yutaka Aihara.com

勤務時間後の炙り作業

公務が始まったので、新作「構築〜起源〜」の制作は勤務時間が終わってからです。今日は修整彫りが終わっている柱を少しずつバーナーで炙っていく作業をやりました。外はもう暗くなって寒さが身に沁みる時間帯でしたが、時間的に余裕のない自分にとっては仕方のないことです。木を焦がす作業は到底室内ではできません。バーナーで炙っては金ダワシで擦り、また少しずつ炙る、この繰り返しです。塗料の黒ではない自然な黒を獲得するためにやっているのです。最後に煤を掃って定着液を塗って終了。とりあえず今日は8本。地道な作業ですが、これが作品の決め手になるので手を抜くわけにはいきません。明日も会議の後にこの作業をやろうと決めています。何回かブログにも書きましたが、彫刻は労働の蓄積だなとつくづく思います。   Yutaka Aihara.com

杉の柱の修整彫り

新作「構築〜起源〜」の土台から立ち上がる杉材の柱116本の修整彫りを始めています。どの程度彫り跡を残すか考えながら作業をしています。搬入までの時間を考えると焦る気持ちはありますが、荒彫りとは異なり、彫り跡の様子を見ながらの作業は骨が折れます。今回の作品は修整彫りに加えて、柱の下半分をバーナーで炙って炭化させるので、その配分を考えながらやっています。本当に搬入まで間に合うのかどうか、いよいよ不安になってきました。ぼちぼち公務が始まり、制作ばかりやっていられないので、搬入日から遡って制作日程を割り出し、計画を立ててやっていかなくてはなりません。梱包に丸一日かかることを考えると厳しい限りです。明日も公務の合間に出来ることはやっていきたいと思います。              Yutaka Aihara.com

映像による「桂離宮」

昨夜のNHKスペシャルで「桂離宮」が放映されました。2年前に訪れた桂離宮の記憶が甦り、いい気持ちになりました。桂離宮はそこかしこに美の工夫が凝らされて、その自然を模した細やかな情景に思わずため息が出てしまいます。自分が気に入っているのは飛び石の配置です。テレビの映像を通しても美しさは伝わりましたが、実際に石を踏みしめて歩いてみると、カタチや色彩で配置を決めたであろう作庭家の力量を感じてしまいます。池を隠す木々の演出もなかなか素敵です。すべてが空間演出の中に自然物が存在して、巨大な環境彫刻の中を彷徨っている錯覚に陥ります。自分も複数の彫刻を配置し空間を演出する「場」を作りたいと考えています。桂離宮に見られる場の捉え方は大変勉強になると思っています。            Yutaka Aihara.com

RECORDは「凸形」、さらに…

ポストカード大の平面に一日1枚の作品を作るRECORD。この1月でセカンド・シーズンが終わろうとしています。2年前の2月から始めたRECORDですが、以前から2月という中途半端な開始時期に居心地の悪さを感じています。そこで今月はセカンド・シーズンの最後の1ヶ月と新たに始めるサード・シーズンを併行して一日2枚のペースで頑張ってみようと思います。セカンド・シーズンの最後を飾るテーマは「凸形」です。12月の「凹形」の関連としてやっていく予定です。さらに前述した通り、今月から新たに始めるサード・シーズンはリピテーションの変化を追求したいと考えました。繰り返される図形に変化をつけて文様化し、空間力と構成力の獲得を目指したいと思います。今月は新旧のRECORDを併行して制作するので苦しい1ヶ月になりますが、何とか頑張って全うしたいと思います。    Yutaka Aihara.com

仕事始めは油絵の具と共に…

今日から制作再開です。昨年暮れに砂のマチエールを硬化剤で固めたところまでやっていたので、そこに油絵の具を染み込ませる仕事から取り掛かることにしました。家内と知り合いの美大生に助っ人を頼み、3人で一気に塗っていきました。油性のアイボリーブラックを油で溶かし、砂の上に刷毛で押さえ込むように塗るのです。固めた砂に絵の具が染み込んで、何ともいえない雰囲気になっていきます。新作「構築〜起源〜」は立ち上がる柱の下方をバーナーで炙って炭化させているので、その土台となる砂マチエールは黒にしようと決めていました。木々が蘇生していく状況を表現できたら意図するところは見に来ていただける方々に伝わるのではないかと思うのです。それぞれに文様のようなカタチを刻んで自分の世界観を表しました。これはなかなかコトバで表すのが難しいのですが、自分の深層心理の中に潜む得体の知れない何かが、新作を発想するたびに立ち現れてくるのです。とにかく今日から3週間後の搬入日に向って作業開始です。             Yutaka Aihara.com

ウィーンを思い出すひと時

昨晩、ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートの中継をNHKが放映していました。ウィーン楽友協会ホールは自分にとって思い出の場所です。もうかれこれ20年以上も前になりますが、1980年から85年までの5年間ウィーンで暮らしていた記憶が甦るのです。当時自分は国立美術アカデミーに通っていた学生で、滅多に日本から仕送りが来なかったので、爪に火をともす生活を送っていました。日本の旅行会社から依頼されて、このコンサートのチケットを取るアルバイトをしていたこともありました。思い出すのは自分の滞欧中に1度だけ故カラヤンが指揮をしたことがあり、このチケットを取るのに大変な思いをしたことです。自分も立見席で演奏を聴きました。その時のカラヤンの横顔を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。昨晩も趣向が凝らされた楽しい演奏で、久しぶりにウインナーワルツを堪能しました。そういえば大晦日はウィーン国立歌劇場でJ・シュトラウスのオペラ「こうもり」をこれもまた立見席で聴いていました。思い出せば思い出すほど今とはあまりにも違う生活環境に唖然としてしまいます。生活が苦しかったウィーン時代の方が文化的に充実した暮らしをしていたのだと改めて思う次第です。                             Yutaka Aihara.com

2009年を迎えて

2009年になりました。明けましておめでとうございます。3年ぶりに正月気分を取り戻しました。例年ブログに書いているように、今年の創作に関する抱負や目標を掲げてみたいと思います。今年も新作「構築〜起源〜」の制作続行、RECORDの次のシーズンに向けての制作続行があります。「構築〜起源〜」は今月末にある横浜市民ギャラリーでのグループ展に出品を予定していますが、間に合うかどうか微妙です。3月に群馬県高崎市で、博物館の協力を得て古代の遺品と並列展示する企画展があり、招待を受けています。これは事務局に既成の作品の資料を送ってあります。7月には例年行っている東京銀座のギャラリーせいほうでの個展があります。今年の個展は発掘シリーズと構築シリーズを並べて展示する予定です。個展に出品する発掘シリーズの新作は来月から準備に入ります。今年も多忙な年になることが予想されますが、日々充実した1年間にしたいと願っています。    Yutaka Aihara.com

2008年HP・ブログのまとめ

今日で2008年が終わります。今年を振り返ると、7月の個展の後に新作の制作に入りましたが、公務の研修が多くて例年より制作が捗らず、今も継続中です。平面作品のRECORDは2年目に入り、これも継続中です。陶彫作品はまだカタチにならず、来年早々に持ち越しです。と書いていくと、年の変わり目が制作の変わり目にはならず、夏の個展で一区切りつける按配だと思っています。ブログは毎日書きました。今年は今日で365回目の文章です。たいしたことは書いていないのですが、毎日つまらないことでも書いていくことで、自分が創作行為に少しでも関わっている自覚が生まれるのです。ブログは人に見せるというより、自分のメモとして残しておきたいと考えて書いていました。これも来年に継続です。ともかく来年に持ち越すことばかりの1年間でしたが、来年も無理をせず、焦らず休まずやっていこうと思います。ブログを読んでいただいている方々に、稚拙な文章でお恥ずかしい限りですが、また来年もよろしくお願いいたします。        Yutaka Aihara.com

手作りの年賀状

ここ2年の間に父と義母が相次いで他界したので、しばらく年賀状は作りませんでした。来年は何とか年賀状が出せそうなので、今日年賀状のデザインを考えて、久しぶりに年賀状を作りました。最近は写真をパソコンに取り込んで印刷した年賀状が増えてきていますが、自分は手作りに拘っています。写真の年賀状はなんだか個展の案内状のようで、プライベートな感じがしないのです。宛先はパソコンにある個展用名簿から印刷してしまいますが、少なくても図柄はこつこつ手で刷り上げています。白状すればアートを専門職とする見栄もあります。昼間は砂マチエールの作業に追われているのに、年賀状には手間暇惜しまずにやっています。年賀状は1年1回の挨拶として、なかなか良いものではないかと思っています。             Yutaka Aihara.com

携帯電話の買い替え

自分は電話とメールくらいしか使わない携帯電話ですが、家内は映像や音楽のダウンロード、ゲーム等携帯電話の機能をフルに活用しています。初めは携帯電話なんて嫌いと言っていたのに、一度持ち出したら手放せなくなっているようです。10年くらい前に一緒に購入した携帯電話ですが、何回か買い換えています。今回は、というより今回も家内の携帯電話が壊れて、今日買い換えてきました。私は買っても放りっぱなし、家内はさっそくいじりまくって発信音や待ち受け画面を自分なりに変えています。便利な通信機器ですが、これが普及していなかった時代は、その時代なりの楽しみがあったはずと考えると、これが本当にいいものかどうかわかりません。昼間作業場でやっていた砂のマチエールを貼る作業は手で行う素朴な仕事ですが、こういうリアルな世界が傍らにないと自分は落ち着かない性格で、遠方から画像や文字が通信されてきたりする世界は、やはり馴染めないのかもしれません。Yutaka Aihara.com

凝縮した時間を生きる

砂のマチエールに関わって今日も一日が終わろうとしています。作業場に朝入ると、あっという間に夕方がやってきます。まさに凝縮した時間を生きている感じです。何も考えずに手先だけを見つめて7時間、それが一瞬とも思える7時間です。創作活動に憑かれると一生が短いと感じるのは自分だけでしょうか。ああしたい、こうしたいが増えてきて、技能が追いつかなくなる感じです。たったひとつのことしかやっていないのに、次から次へイメージが溢れてくるのは創造行為の特徴です。中途半端なところでは幕引きが出来なくなってしまうのです。今日は腕や肩、腰の疲れだけではなく、目の疲れもひどくなってきたので、身体的な理由で作業の幕引きをしましたが、明日も継続です。                            Yutaka Aihara.com

08年末の砂のマチエール

今年も例年の通り、新作の平面部分に砂を硬化剤で貼り付ける作業がやってきました。いつも暮れの押し迫った頃にこの作業をしています。昨年も一昨年もテーブル彫刻のテーブル部分に当たる厚板に砂を貼っていました。今年は床から杉の柱が立ち上がる大地の部分に砂を貼ります。大地は厚板9畳分あって穴が開いています。砂マチエールをつけるところは例年になく広い範囲で、今年中に終わるかどうかわかりませんが、正月休みで砂が固まるので、今年中に何とか終わらせたいと、今日から頑張り始めました。横浜市の公務員としては休庁期間に入りました。でも制作は今日からフル回転です。日々目標を掲げてやっていくことにします。腕や腰に疲労が出ていますが、気持ちで持たせる毎日です。                     Yutaka Aihara.com

奄美大島のタンカン

家内の叔父が奄美大島から送られてきたタンカンを届けてくれました。今年春に訪れた奄美大島。家内の血縁をひく嘉徳の村より送られてきたものだそうで、本土では貴重な柑橘類になります。表面はでこぼこしていて、ちょっとデコポンに似た果物ですが、独特な美味しさがあって大好きです。何といっても香りがいいのです。南国の感じが溢れていて、こちらで売られているみかん等の柑橘類とは異質な感じがします。今日は仕事納めで、明日から休庁期間に入ります。休庁期間は例年彫刻の作業が捗る期間でもあります。大好きなタンカンを食べて勢いをつけて、明日からめいいっぱいの作業に臨みたいと思います。                          Yutaka Aihara.com

「セザンヌ主義」展

地元の横浜美術館による企画展「セザンヌ主義」に行ってきました。クリスマスのみなとみらい地区はさぞや混んでいるだろうと思って覚悟して出かけましたが、あにはからんや不況の影響なのか、思ったほどの混雑はなく、当美術館の企画展もゆったりと観ることができました。「父と呼ばれる画家への礼賛」と副題にある通り、内外の画家による多様な表現が展示されていましたが、セザンヌから受けた影響がいろいろなところに垣間見られて、面白い企画になっていました。近代から現代に繋がる造形芸術の流れはセザンヌから始まったと言っても過言ではないでしょう。見慣れたはずのセザンヌの絵画が妙に美しく感じられて、絵画は自然の再現や模倣ではなく、自然から受けた感動そのもので自然を描くものという基本的なことを再確認しました。                                Yutaka Aihara.com

現代彫刻の評論集より

今愛読しているのは酒井忠康著「魂の樹」。副題に「現代彫刻の世界」とあります。書店でまず訪れるのは美術分野の棚で、並んだ書籍の中から現代彫刻という文字を見つけると、さっと手に取って即刻購入したくなるのが自分の癖です。この本もページをめくった瞬間に若林奮、保田春彦等の彫刻作品の写真が眼に飛び込んできて、そのままレジへ持って行きました。大学時代に校内でよく見かけた若林先生や保田先生の作品にどんな論評がつけられているのか気になったのです。さっそく若林先生に関する彫刻都市論を読んだところで、あれ?これは若林作品だけを論じた「犬のなった彫刻家」に掲載されている文章と同じだ、ということになったのですが、それでも現代彫刻の世界を多角的に捉えていて、とても楽しんで読んでいます。とくにヨーロッパの作家に関する情報と論評に興味が沸きました。          Yutaka Aihara.com

彫り跡の処理

116本の杉の柱の修整彫りに入りました。新作「構築〜起源〜」の土台から立ち上がる柱は表現上重要なもので、この処理をどうするかで作品の印象が違ってきます。構築シリーズは3年目になりますが、工芸的な印象を避けるため、意図的に彫り跡を残して仕上げています。今回の作品の116本の柱は既に荒彫りが終わり、それだけでも表現の方向を伝えられるのですが、ところどころ修整彫りをして、彫りの勢いをなくさないようにしようと思っています。時間に追われるようにして夢中で彫った鑿跡には、多少粗雑なところが見られて、ささくれた箇所があります。そこを修整していくつもりです。じっくり見ながらやっていく仕事なので、思った以上に時間がかかり、今日は20数本出来ただけという結果になりました。休庁期間まで公務の合間をぬって、なんとか修整を続けたいと思っています。         Yutaka Aihara.com

職場のプレゼント交換

今日は職場の納め会でした。プレゼント交換を企画したので、それぞれ工夫を凝らしたプレゼントを用意しました。昔の職場で同じような企画があって、自分は父が丹精こめた植木を鉢植えにしてプレゼントにしていました。当時鉢植えの植木はすごい人気で、照れくさいような気分でいましたが、その父も他界し、植木のプレゼントは出来なくなりました。そこで考えたのが自分の大好物であるシュトレンです。シュトレンとは、ドイツ語圏でよくクリスマスの時期に食べられるドライフルーツ入りのパンです。最近は日本でも販売されているので、これが金額的にもちょうどいいプレゼントになると思いました。自分が用意したシュトレンは若い世代の女性にいき、自分はバンダナを戴きました。さっそく彫刻制作の作業の時に使わせてもらいます。Yutaka Aihara.com

新作の土台作りが佳境

今日「構築〜起源〜」の土台部分に当たる9畳大のテーブルが完成しました。年末の休庁期間にこの土台に砂を硬化剤で貼り付けて、油絵の具を染み込ませる作業を行う予定です。朝からたっぷりと作業をしたせいで、身体がくたくたです。精神的にはとても良い状態ですが、筋肉痛で今は放心状態です。毎年この時期は彫刻制作が佳境に入り、身体を酷使しています。土台に立つ116本の柱の方は、これから修整彫りに入ります。これもなかなか手間のかかる仕事です。ただ全体が少しずつ出来上がっていく実感があるので楽しい期間ではあります。自分が初めに思い描いたイメージと、実際に空間に置かれたモノとの確信と戸惑いが交互にやってきて、身体だけではなく心にも負担がかかります。制作はまさにこれからが本番です。       Yutaka Aihara.com