アイヌ文様の新鮮さ

NHK教育テレビ「美の壺」でアイヌ文様を扱っていました。自分もかつて北海道に行った折にアイヌの村に立ち寄って、木彫の日用品や服に施されたアイヌ文様を見てきました。まさに番組で紹介された通り、奔放なデザインで緻密な細工という感じを受けました。渦巻き文様は自分の大好きなカタチで、自作の陶彫の加飾やRECORDのテーマにも再三使っています。アイヌ文様はこうした渦巻きや植物の棘を抽象化した様々なパターンによる文様があって、その大胆さはハッとするほど新鮮な感動を与えてくれます。制作に行き詰った時は、民俗的で土着性の強いデザインが、自分の迷いを打開してくれることがしばしばあります。アイヌ文様は魔よけとしての意味があると番組で聞きましたが、自分が20代の頃に旅したルーマニアのマラムレシュ地方にも同じような意味合いの文様があったと記憶しています。それは彫刻家ブランクーシによって抽象作品として受け継がれ、当時の彫刻界に新しい風を起こしました。アイヌ民族からも彫刻家が出ていますが、アイヌ文様が基盤にあって、そこに現代性を持ち込んでいるのではないかと推察しています。                               Yutaka Aihara.com

転寝で見た夢

今日は珍しく仕事が少なくて、うつらうつらと眠くなるような時間がありました。帰宅してからも転寝をして先ほど目が覚めたところです。転寝で見た夢で、記憶の中に仕舞いこまれた風景や日常が立ち現れて、自分の無意識で勝手なアレンジを伴って消えていきました。自分の場合、夢はすぐに忘れてしまうので、夢の跡を辿るのは難しい作業ですが、とりとめのない日常が別の日常にコラージュされて、懐かしいような重苦しいような気分になりました。夢の中でも自分は自由な人間とはならず、現実がそのまま投影されているような、今生きている状況の延長線上にあって何か少しばかり欠損している生活を送っていました。満たされないものがあると感じる日常、それだからこそ現実の社会でもより良く生きようとしているのだと改めて感じたひと時でした。                             Yutaka Aihara.com

閉塞感の中のRECORD

職場の仕事机の傍らに描きかけのRECORDを持ち込んでいます。パソコンや書類に占領されている机ですが、ちょっと時間と空間があればRECORDを作っています。RECORDとは一日1点作り続けている平面作品でポストカードくらいの大きさです。仕事机で行う制作は閉塞感があり、そのためか細かな作業に向いていると思います。やらなければならない仕事がある場合はなおさらで、現実逃避のちょい休憩と思っています。時間的にも空間的にも制約を受ける中で作るRECORDは秘めたる小宇宙を形成し、迷宮に遊ぶような世界になります。パズルのような抽象絵画を作るのも、こんな閉塞感がなければ出来ないと感じます。作品は取り巻く環境によって多大な影響を受けるものです。こんなRECORDが作れるのも公務あってのことかもしれません。                         Yutaka Aihara.com

花粉症の季節

「梅は咲いたか桜はまだかいな」という季節になると、鼻がムズムズしてきます。自分は軽い花粉症でマスクをするほどではありませんが、時々不快感があります。週末に杉材を彫っているせいではないかと思いましたが、実はこの時に症状は出ません。陶彫をやっているせいで土埃かなと思いましたが、この時も症状は出ません。医者に診てもらったわけではないので、何が原因かわからないまま、ずっとこの季節を過ごしてきました。制作に対する集中力に花粉症が何か影響を及ぼすのであれば、その時は医者に行こうと決めています。最近集中力が足らないと思っていますが、これはどうやら花粉症ではなくメンタルなところで今ひとつ気持ちが入っていないせいでしょう。Yutaka Aihara.com

大阪のニューハーフたち

毎年この時期に大阪に出かけているので、職場の仲間と連れ立って夜のコースを楽しんでいます。梅田にあるニューハーフ・バーに行って、トークやステージショーを満喫しているのです。「JACK&BETTY」という店は健全な料金でやっていて常連客も多いようです。一歩踏み込むと倒錯した世界が待ち受けるのが非日常的でいいし、むしろ普通のナイトクラブより気楽な気持ちで入れる店だと思います。ニューハーフたちはとても奇麗です。大変な費用をかけて身体を作り上げているので、一見する価値はあるかなと思います。ママさんのステージ・トークは毒舌のきいたユーモアがあって、思わず笑ってしまいます。開業25周年だそうですが、いつまでも梅田で営業していて欲しい店です。                       Yutaka Aihara.com

「アヴァンギャルド・チャイナ」展

大阪国立国際美術館で現在開催している「アヴァンギャルド・チャイナ」展を見てきました。前に東京で開催していたのですが、見損なっていました。今回は巡回中の大阪の美術館で見られる絶好の機会になりました。中国は文化大革命以降、欧米の現代美術の動向を受け入れ、短期間の間に様々な試みをやってきたのが今回の展示内容でよくわかりました。自分の心に残った作品はスン・ユアンとポン・ユウの共作による「老人ホーム」です。これは13組の電動車椅子に乗った人物大の樹脂製人形が展示会場を動き回るもので、人形はいずれもリアルな多国籍の老人たちです。車椅子の動き回る音だけが沈黙の会場に響きわたり、異様な空間を作っていました。解説には「死体派」という異名をもつとありました。「シニカル・リアリズム」と称される人物の冷ややかな顔を描いたファン・リジュンの絵画も印象的でした。今後の中国現代美術の動向に注目していきたいと思いました。        Yutaka Aihara.com

大阪・劇団四季「オペラ座の怪人」

職場の仲間と大阪に研修に行くことになり、梅田の大阪四季劇場で上演中の「オペラ座の怪人」を観ました。前に下野昇叔父が出演した「CATS」を観たことがあり、劇団四季の舞台は久しぶりでした。開演早々豪華な装置や衣裳に目が奪われ、オペラの発声によって進行するミュージカルにしばらく時間を忘れてしまいました。劇団四季は日本で成功している有名な劇団で、観客の楽しませ方を心得た舞台は、観ていて安心感がありました。キャストもダブルキャストどころではない大勢のキャストを抱えていて、長丁場を乗り切るための工夫や手段を感じました。

起伏の多い地形

自宅から職場まで通う道すがら思うことは、この横浜郊外の地形のことです。起伏に富んだ地形で丘陵が多く、また山が開発された名残りとして切り立った崖もあります。相模原の方に行くと地形は平坦になっていくように思いますが、ここ横浜は小さな丘がたくさん点在しています。風景としては快い景観を作っていて美しく感じますが、坂が多い街に住む生活者としては、駅から徒歩で行くには結構大変な思いをしています。立体作品を作っていると、空間に対する認識に神経を使うようになり、それが作品ばかりではなく、こうした地形にも興味が及んできます。坂の上から眺めると丘陵が連なった景色が眼前に広がり、丘陵のうねる角度や川の蛇行に楽しさを見つけて、いつまでもそこに佇んでいたくなるのです。            Yutaka Aihara.com

横浜の「絹谷幸二展」

地元横浜のデパートで「絹谷幸二展」が開催されているので見てきました。独特な色彩はますます冴えわたり、補色同士のぶつかり、構成のメリハリが圧倒的な力で迫ってきました。絹谷絵画は、日本人好みの肌理が細かく渋く地味な絵画という概念をひっくり返した世界で、明るい太陽に照らされたカーニバルのような絢爛たる絵画です。最近の「祭り」のシリーズにも奔放な色彩が施され、絹谷絵画らしさが面目躍如としていました。自分もこのくらい強烈な色彩が使えたらいいなと思いつつ、会場をぐるりと回りました。見終わった印象は、たくさんの色彩を使っていながら、不思議と不自然さは感じられず、むしろしっとりとした感じが残りました。色彩が作者によって巧くコントロールされ、心地よい色面構成を作っていたせいかもしれません。

下野昇リサイタルに寄せて

声楽家下野昇は家内の叔父です。ちょうど家内と付き合いだした大学4年生の頃、初めて東京文化会館でのリサイタルに連れて行かれ、声量の凄さに驚いたことを覚えています。その頃、叔父は小沢征爾指揮によるオペラに出演もしていて雲の上の存在でした。家内と一緒になってから幾度となくリサイタルに招かれ、その度に豊かな表現力に声援を送ってきました。今年73歳の叔父は横浜市青葉台のホールでリサイタルを行い、昔と変わらぬ声量に驚かされ、またその声量に支えられた歌心に鳥肌が立ちました。自分の創作活動も叔父のようにずっと豊かな表現力を持っていたいとつくづく思いました。ピアノ伴奏した河原忠之氏の技量も特筆すべきものがありました。決して歌より表に出ない伴奏でありながら、その音の表情は雄弁そのもので伴奏に聴き惚れてしまいました。ギャラリーで発表する自分の作品にも言えることですが、こうした場所に客を呼ぶ以上は、来てよかったと思えるものを提供すべきと感じました。                       Yutaka Aihara.com

RECORDシーズン2アップ

昨年の2月からRECORDの2年目のシーズンが始まって、今年の1月に完了しました。とりあえず2月分と3月分をホームページにアップしましたのでご覧ください。2月は三角形を、3月は正方形をそれぞれ基本にした構成的な作品を作りました。ずっとポストカード大の平面作品を作り続けていますが、3月は奄美大島に行った記念に、そこで購入した大島紬の生地を使ったRECORDにしています。RECORD(記録)というタイトル通りに旅先で仕入れた素材を使って、思い出を封じ込めるようにしています。なお、ホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。よろしくお願いいたします。Yutaka Aihara.com

とりあえず格子文様

先月や今月のRECORDで格子文様をやっているためか、立体作品にも格子文様が登場してしまいます。イメージが格子に囚われていると言っても過言ではありません。格子は美しいと感じたことが頭の中で繰り返され、何か作ろうとしても、とりあえず格子を描いてみるという按配です。今制作している陶彫の土台部分は週末にあれこれエスキースを繰り返して、結局は格子文様が波打っているレリーフに落ち着きました。とりあえず格子文様をエスキースの途中からやってみた結果、やっぱりこれでいこうということにしたのです。格子文様を使えば、きっといいものが出来ると信じていて、イメージを捉えやすいのです。初めに考えていたレリーフは一体なんだったのか、日曜日の午前中いっぱい使った時間は無駄だったのか、でもエスキースで試したカタチのあれこれを、自分としては徒労に終わったとは思わず、格子文様の美しさを時間をかけて再確認したと思うことにしました。      Yutaka Aihara.com

バイオリズムと作業

いつぞやブログに書いた記憶がありますが、今日は一日のバイオリズムを考えながら過ごしました。丸一日自分のために時間が使える日は貴重な一日で、とことん作業をやっていたいのですが、気分や集中力に限界があって、思ったようには出来ません。創作行為はとくに感情に左右されるところがあって、気持ちが入るまでに時間がかかります。午前9時から作業を始めて、集中力が増すのが11時くらい。昼食後は午後1時から始めて、3時くらいにもう一度ヤマ場が来ると感じました。夏に制作を集中してやっている時も同じような具合だったと思います。また、彫刻だけではなく、別の作業を始めると集中力が再燃します。木を彫ったり土を練ったりする行為と、平面に絵の具で描く行為は別の世界で、新たなバイオリズムがあるように思えます。作業を変えながら複数の技法を同時にやっていくのがいいのではないかと思いました。                           Yutaka Aihara.com

陶彫新作の土台作り

陶彫は数点の窯出しが終わって、まずまずの仕上がりです。これからこの陶彫を組み合せた部分が置かれる土台を作ります。土台と言っても全体の8割を占める作品の一部で、かなり重要なところです。土台は厚板にレリーフを彫り、砂マチエールを施して油絵の具を染み込ませる方法でやります。これは旧作に用いた慣れた技法です。ただ厚板に鑿でレリーフを彫り込んでいくのは初めてです。陶彫の加飾が土台に文様として続いていくように彫っていこうと思います。作業工程としては1ヶ月を考えています。とは言っても普段は公務があるため週末しか出来ません。さらに土日にかかる出張があって日程的には厳しいものがあります。ただ、いつも時間に追われて制作しているため、こうした日程的な厳しさは慣れてしまっていて、何とかなると信じています。明日も土台作りを行います。
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アフリカンデザイン

新聞記事にアフリカの色彩やカタチを取り入れたファッションが掲載されていると思わず目がいきます。アースカラーや原色に近い色彩に魅かれ、また単純化されたカタチが大好きで、ドロ臭い情感がモダンにアレンジされていると、それだけでグッズが欲しくなってしまいます。自分は仮面も集めていて、アジアの仮面に混ざってアフリカの黒い仮面を壁に掛けています。ドロ染めの布も持っています。一度アフリカの風土を味わいたいと思っていて、かつてヨーロッパに暮らしていた時に、どうしてアフリカに行かなかったのだろうと悔やまれます。ピカソやモデイリアーニが影響されたアフリカンデザインは、今も自分を刺激していて、制作に迷った時はアフリカンデザインの本を見て心を新たにしています。

RECORDの新シーズン

今年の1月からシーズン3になるRECORDを始めています。RECORDとは、ポストカード大の平面に毎日1枚ずつ作品を作っていく仕事を言います。RECORDも3年目ともなれば習慣化しているはずですが、創作的な仕事のためか時には厳しい時間を過ごしています。イメージ通りの作品が出来た時の喜びはひとしおですが、毎日がそういうわけにはいかず滞る時も結構あります。シーズン3はパターン化した文様の中にカタチが変容していくようにしています。先月も今月も格子文様を使っています。2月になってから格子の縦横の割合を変えています。これは5日を区切りに変化する連作にしています。昨年やっていたシーズン2の幾何形体を使った連作の名残があって、5日でひとまとめにしていくのが自分にとって具合がいいのです。

ドナルド・ジャッドの箱

現代彫刻は空間についての概念を学ぶものだということを大学を卒業した後になって知りました。これはもう哲学と言っていいもので、空間の捉えを思索し、個展の場で画廊の空間にそのコンセプトを表出させるものです。そうした考え方に立たなければ、米人彫刻家のドナルド・ジャッドを初めとする同世代の彫刻家の仕事は理解できません。自分はドナルド・ジャッドの作品があったにも関わらず、美術館で立ち止まることもなく通り過ぎてしまったのが、初めてジャッドの箱型の立体に遭遇した時だったと思います。何の変哲もない金属製の箱、というのが第一印象で気も留めずに歩き去ったように思います。ジャッドはヨーロッパ的な量や動勢や構成的な彫刻の要素を否定し、単なる物体としての彫刻を初めて世に出した人で、今までの彫刻の概念に囚われない様々な表現が登場する契機を作った人でもあります。自分もそう考えれば納得できますが、そこにある物体の何が革新性をもたらすものなのかわからない時があります。では、ジャッド以後の現在はどうなのか、自分の気づかないところや考えが及ばないところに新しい価値感が眠っているのかもしれません。                         Yutaka Aihara.com

彫刻という不可解なモノ

自分はどうして彫刻を作るのか、ブログにも度々書いていることですが、やはり自問自答を繰り返しながら、この不可解なモノに拘り続けているのです。彫刻で生計を立てられることはなく、むしろ膨大な時間とそれに費やす労働の蓄積で出来上がっていく彫刻とはいったい何なのか。展示した後の保管に労力を使い、また搬入搬出にも人手を必要とする彫刻。こんなやっかいなモノでありながら、関心のない人からは一瞥されることもない世界です。自己満足というべきか、飽くことなく追求したくなる造形哲学は麻薬のように自分に浸透してくるので、作ることで心を満たして我を忘れてしまうのです。また現代には物体から物性にいたる彫刻と呼んでいいのかどうかわからないモノまで存在し、それを評論家が解明して、さらに現代(現在)を模索するモノが発展的に登場して、自分を刺激し続けるのです。こんな彫刻に付き合って30年が経とうとしています。彫刻という不可解なモノに理由も理屈もなく、ずっと自分は魅了されています。              Yutaka Aihara.com

久しぶりの窯入れ

陶彫が始まり、少しずつパーツが出来上がっています。自分の陶彫による作品はパーツをたくさん作って、それを組み立てて大きな作品にまとめていくのです。まずパーツ作りは土練り、たたら(または紐)、成形、加飾、乾燥、表面処理(化粧がけ等)をします。今日はそこまで出来上がっているパーツがいくつかあったので、仕事の後に久しぶりに窯入れをしました。陶彫は陶芸(器)と違い、かなり無理なカタチをしているので、窯の中で変形したり、割れたりすることがあります。釉薬はかけずに焼き締めに拘っているので、釉薬が流れたり、微妙な景色を作ることはありません。カタチ通りにきちんと焼けてくれたらOKなのです。さて、窯出しが楽しみです。何回もやっている焼成ですが、そのたび不安と胸躍る興奮が交互にやってきます。それが陶彫の醍醐味でしょう。                    Yutaka Aihara.com

時間と場所の共有

創作活動は孤独な作業を伴い、時に思索にふけることがあります。自分ひとりで空間を占有したい場合もありますが、慣れがなせる業かどうかわかりませんが自分は誰かが隣で作業していても気になりません。いや、自分の気持ちが許せる人となら大丈夫と言い換えた方がいいかもしれません。今日は若い世代の2人が自分と同じ作業場で仕事をしていました。一人は美大でデザインを学び、もうひとりは美大受験生です。彼らは私の個展の手伝いをしてくれることもありますが、普段は自分の課題をやっています。2人ともなかなか広い場所が見つからないので、この作業場を共有しているのです。時間と場所の共有のメリットはお互いの緊張度が促進されることです。隣で若い子達が夢中になって作業している姿を見ると、私も心身に鞭を打って頑張ってしまいます。こんな雰囲気をずっと続けたいと思うこの頃です。    Yutaka Aihara.com

木彫から陶彫へ

今週末から木彫ではなく陶彫をやっています。木槌や鑿を棚に仕舞いこみ、陶芸道具を作業台に並べています。仕事の質はまるで異なりますが、自分にとって木彫と陶彫は両輪として考えたい素材なのです。京都の陶芸家河井寛次郎も木彫によるオブジェのようなお面を制作していますが、どちらも日本の風土にあった素材で、双方に魅力を感じてしまいます。今日から陶彫へ作業が移行して、土いじりが始まりました。新作は、壁の上に住居のような陶彫作品が連なる集合彫刻をイメージしていて、壁の部分は砂マチエールでやろうと決めています。照明を仕込む予定です。かつて作った「街灯」の発展した形態です。2ヶ月ほどの制作期間でやろうと思っています。木彫から陶彫へ、双方が自分の中で影響しあっていけたらいいのですが…。

図形から生み出すコトバ

昨年2月・3月分のRECORDを見て、何かコトバを生み出そうとしているのですが、かなりの難産と言わざるを得ません。幾何形体や図形をもとに一日1点ずつ描いてきたRECORDはコトバを介在せずにイメージしています。むしろコトバをつけるなら、作品に振り回されないで生み出した方がいいかもしれないと思っています。ホームページにアップする用意はしてあるものの何もしないで1ヶ月が過ぎようとしています。抽象作品に作家がタイトルとして番号をつけたり、「無題」とするのがよくわかります。説明的なタイトルは不要ということです。「無題」というのは、むしろ作品をそのまま見て欲しい、そのまま感じて欲しいというメッセージです。RECORDはそこまでの鋭利な思考的シンプルさはありません。にじみ出た情感もあります。コトバを生み出す上で、説明的ではない何かが心から湧き出てくればいいのですが…。                         Yutaka Aihara.com

雛型で遊ぶ

横浜のグループ展に出品した「構築〜起源〜」には、その雛型も合わせて展示してありました。見に来た人は小さな雛型にも関心が高く、本体と見比べて楽しんでいたようでした。雛型は作者自身も楽しんで作っていて、遊びの要素がいっぱい含まれています。こんなものを作ってみたらどうだろうと気軽に作れるし、頭の中のイメージが具体化できるし、実作に入る前にスケールを決めることができるので、雛型は大いに重宝しているのです。ただし雛型をそのまま大きくすることはありません。雛型で試したことを、さらに発展させた実作にしたいと思うからです。これから作る陶彫作品も雛型を作るつもりです。陶芸部分は実際の土を焼いて雛型にするつもりです。いくつかの連作として計画している陶彫なので、雛型では連作も作ってみたいと考えています。気楽に遊びながら雛型作りをやっていきます。

恩師からの手紙

横浜で文筆業をしている笠原実先生から、先日のグループ展に出品した「構築〜起源〜」の感想を手紙でいただきました。「構築〜起源〜を拝見させていただきました。いよいよ地上への始動がはじまりました。〜略〜 色彩の関係かもしれませんが、全体に豊潤で暖かく、作者の精神的な安定度の高まりを知らされました。〜略〜」という文面で大変嬉しく思いました。自分の作品をいつも前向きに捉えてくださっていて、笠原先生の感想には元気をいただいております。「豊潤」や「暖かさ」は自分の予知しないことで、作品がこんな情感を醸し出していることに改めて驚いています。確かに自分の作品は外に現れたカタチは抽象形態ではあるものの、イメージの底流には具象的なものがあって、それがこういう情感として出てくるのかもしれません。具象作品のような説明的な要素を持ち合わせない具象傾向の作品というのが、自分の作品には相応しいのかもしれないと感じるこの頃です。 Yutaka Aihara.com

グループ展の搬出

自分が作ったものにも関わらず自分ひとりでは搬入も搬出も出来ないというのが、「発掘」シリーズや「構築」シリーズの立体造形です。今日はグループ展の搬出日で、今回も知り合いの業者に梱包や運送をお願いしました。人の手を借りて、やっと作品の撤収が出来るのです。手伝いに来た家内も業者の手際よさに感謝していました。作品の部品を積んだトラックが倉庫に横付けされ、次々に部品が収納されていきました。次にこの作品が組み立てられるのは図録撮影の時と7月の銀座の個展の搬入日です。あと少なくても2回は梱包を解く機会があります。「ずい分展示に慣れたよね。」と家内と夕食をしながら話しましたが、いつも知り合いの業者やボランテイアの美大生に支えられて作品の発表が出来ることがとても幸せに思えてきます。こういう関係は大切にしたいとつくづく思ったひと時でした。           Yutaka Aihara.com

一日2点のRECORD進まず…

グループ展を開催している関係で、彫刻にばかり気をとられ、RECORDが進んでいません。凸形に面白みを感じなくなっているのか、それとも今まで幾何形体でやってきたことに限界を感じているのかよくわかりませんが、旧作をコピーしているような錯覚に陥ります。これはまずいなと思いつつ、凸形をじっくり見直してみることにしました。新シーズンに同時に入っているのもRECRDが進まない原因かもしれません。一日1点のみ集中してやってきたのが、2点になるとうまくいかなくなるのです。ともかく現シーズンの凸形に集中してやっていこうと心を決めました。自分は今まで一日のリズムが狂うことはありませんでしたが、ちょっと具合が悪くなっています。一日ひとつの発想が自分にとってちょうどいいのかもしれません。    Yutaka Aihara.com

子どもの反応 大人の反応

横浜市民ギャラリーでのグループ展のメリットは観客動員数の多さにあります。それは上の階で開催している児童生徒作品展に親子連れでたくさんの来場者があり、そのついでに私たちのグループ展を見ていただけるからです。とくに小さな子どもの反応は大変参考になります。「すごい」と言って走ってくる子どもを見ると、自分の作品が理屈抜きで楽しい証となり、ちょっと嬉しいような気分になります。子どもの反応は屈託がなく素直なので、こちらもそれを素直に受け取るようにしています。知人友人は自分に遠慮がちに感想を言われるので、作品批評をどう受け取るべきか思いを巡らせる必要があります。自分が受付に座っていると、見ず知らずの方は私の作品を「つくし」だの「チェス」だのと感想を述べていましたが、「これは何?」と言われると「さあ?」と自分も知らばくれて応えていました。「ご覧になられる方がお好きなように判断してください。」とも言いました。自分の作品は、先進的な現代彫刻ではないにしても、一般の人たちにどう受け取られているのかという生の声を聞く機会にはなりました。             Yutaka Aihara.com

知人友人遠方より来たりて…

展覧会出品者としての楽しみは、ご無沙汰している知人友人に会えることです。しかも遥々遠方より来ていただいて大変有難く思います。そういう方々の鑑賞眼を満足させるために、緊張感のある良質な作品を展示したいと常々思っていて、それが制作の原動力になっているのだと考えます。いい加減でどうでもよい作品なら、わざわざ来ていただくのは失礼だと自分は感じていて、展示する以上は自分の個人的な言い訳や理由など通用しないと思っています。何とか今回もギリギリまでやった作品を展示しているので、自分としては批評や鑑賞に耐えうると自負しています。一日市民ギャラリーにいるといろいろな方が来られて貴重なご意見をいただく機会があり、今後もそれらご意見ご感想を糧にしたいと思いました。               Yutaka Aihara.com

陶彫による新作始動

まだグループ展開催中ですが、「構築〜起源〜」が自分の手を離れてしまったので、気持ちは陶彫による新作に移りました。ひとつ終わると次を考えてしまうのが永年の癖になっていて、それが仕事を継続させていく原動力になっていると思っています。実は陶彫はもう作り始めていて、イメージは出来上がっています。これも自分の制作工程の特徴で、ひとつの作品が完成する前に次作をスタートさせてしまいます。その方が気持ちの切り替えが素早く出来るのです。ずっと自宅の小部屋で作っていた陶彫部品を作業場に持ち込んで部品同士を構成することから始めていこうと思います。土台はいつものように厚板を使って砂マチエールをつけていく予定ですが、今回は土台に高さがあります。幅が少なくちょうど床に直方体を立てて置いたようになります。天板に陶彫集合体を置く彫刻です。陶彫内部に照明を仕込む予定もあります。これは7月の個展を目指して作っていこうと考えています。    Yutaka Aihara.com

横浜市民ギャラリー搬入日

昼ごろ、業者が作品を取りに来て、そのまま横浜の関内にある市民ギャラリーに向いました。116本の杉材の柱、9枚の土台は搬入口から運び込むのに時間がかかり、さらに梱包をとく作業にも時間がかかりました。入り口近くに設置。作業場では大きく見えていた作品が意外に小さく見え、かなりの時間を使った労働の蓄積もこんなものかと思うほど、こじんまりとした印象をもちました。でも例年のような物足りなさは今回は感じられず、密度といい、空間配置といい、まずまずかなと思いました。ただ土台の広がりがあまりなかったことがやや不満です。もう少し量を作るべきだったと思いました。今週末は市民ギャラリーにずっといるので、何かまだ不満なところが見えてくるでしょう。案内状を出せなかった人のためにグループ展のインフォメーションを記しておきます。名称は「サクレ展」、場所は横浜市教育文化センター1F、明日23日(金)〜27日(火)10:00〜18:00(ただし最終日は〜16:00。ご高覧いただければ幸いです。

搬入前日の戯れ言

明日「構築〜起源〜」の搬入と設置があります。市民ギャラリーで組み立て作業をしますが、この時初めて完成された作品を全体として眺めることができるのです。自分の制作工程では部分を作り続けて全体を見る機会はほとんどなく、全体を捉える時はまだ砂マチエールや柱の修整彫り・炙りをやっていない時なのです。この時ようやく全体を考えながら最後の表面加工を施すのです。もう2ヶ月も前のことです。部品の梱包に時間がかかることがあり、試しにどこかで全体を組み立てることを今までしたことがありません。明日がすべてです。新作の長所も短所もすべて明白になる一日です。きっと例年のように反省することがあるだろうと思いますが、今日くらいはプラス思考で、頭の中で行うシュミレーションに酔っていたいのです。欠点が見えないうちが花です。                         Yutaka Aihara.com