「《逸楽の家》」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「3 《逸楽の家》」をまとめます。「1901年9月16日、ゴーギャンはマルケーサス諸島のヒヴァ・オア島の南岸に位置するアトゥオナに到着する。11日後、ゴーギャンは司教から二区間の土地を譲り受け、『逸楽の家』と名付けた終の棲家を建て始めた。この家は、彼が建築と装飾を一つの全体として構想する『総合芸術』の試みであった点できわめて興味深い。」ゴーギャンはそれまで培った芸術的世界観を、自らが生活をする建造物の中で達成しようとしたようです。私もその構想に共感を覚えます。今も私はさまざまな芸術家が暮らした家を見るのが好きで、美術館に所蔵されている作品とは違った趣向があって興味が湧くのです。「『逸楽の家』の住居装飾の全体構想において、愛と誘惑のテーマは、文明と偽善に対する痛烈な批判と結びついて完成されるのである。『逸楽の家』は、闘争の人生を送ったゴーギャンの最後の安住の場所であった。そこには人間の運命と愛、そして芸術というゴーギャンが生涯考察し続けたテーマに関するゴーギャンの思想の究極的な表現があった。」1903年5月8日、ゴーギャンは踝の怪我が悪化し、モルヒネの大量服用がもとで心臓発作を起こしたようであり、息を引き取りました。ゴーギャンの芸術を理解継承した人はヴィクトル・セガレンでした。「ゴーギャンの死の三ヵ月後にマルケーサス諸島ヒヴァ・オア島を訪れ、『逸楽の家』に入り、いまだ生き生きとした思い出に浸る現地の人々、とりわけティオカやキー・ドンから芸術家の話を聞いたヴィクトル・セガレンこそ、反文明、民族の伝統の尊重の立場からポリネシアの過去を蘇らせようとしたゴーギャンの精神の真の継承者であった。」またこんな文章もありました。「西洋の政治と宗教が衰退に追いやったタヒチのかつての黄金時代を再創造することにおいて、ゴーギャンはセガレンの偉大な先導者であった。セガレンはゴーギャンが民族の信仰の最後の擁護者であることに賛同していた。彼は『逸楽の家』に入り、《逸楽の家》の木彫パネルを目の前にして、ゴーギャン自身が生み出した万神殿の輝きを感じたに相違ない。~略~芸術家としての選民思想と闘争の精神は、『野蛮人』として生きる理想と密接に結びついて芸術家ゴーギャンを形成していた。西洋文明の非西洋文明に対する侵略には怒りを露わにしながら、セガレン自身はゴーギャンのように『野蛮人』の生活を送ることなど考えもしなかったであろうが、にもかかわらず、彼はゴーギャンが打ち立てた新しい民族学的芸術理論の後継者であり、ゴーギャンなくしては作家セガレンは生まれなかったということは確かであると思われる。」

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