「自己の探究2」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第4章 陶製彫刻と木彫浮彫(1889年と1890年)」の「3 自己の探究2」をまとめます。これには「原初的『自我』と哲学的グロテスク」という副題がついていて、ゴーギャンの制作した《グロテスクな頭部、ゴーギャンの肖像》の背景となるものを考察しています。「ゴーギャンの二つの拮抗する本性、インディオ的な自我と感じ易い自我とが彼を悩まし続けていることが理解されるのである。それは『文明化された自我』と『野蛮な自我』にほかならず、後者は彼が回復したいと願う『原初的な自我』でもあり、『先祖に回帰する自我』でもあった。」そうした中でグロテスク美学が登場していますが、フランスの詩人ボードレールによって、笑いを絡めた論考が展開されています。これよりボードレールの著作「笑いの本質について、および一般に造形芸術における滑稽について」からの引用になります。「笑いは悪魔的である。ゆえにこれは深く人間的である。これは人間にあって、自らの優越性の観念の帰結である。そして事実、笑いは本質的に人間的なものであるから、本質的に矛盾したものだ、すなわち、笑いは無限な偉大さの徴であると同時に無限な悲惨の徴であって、人間が頭で知っている〈絶対存在者〉との関連においてみれば無限の悲惨、動物たちとの関連においてみれば無限の偉大さということになる。この二つの無限の絶え間ない衝突からこそ、笑いが発生する。」とボードレールは述べていて、さらに「奇想天外な創造物、常識の規範からはその理由も正当化も引き出せないような存在たちが、しばしば、われわれの裡に、気違いじみた、度はずれの可笑しさを巻き起こし、これは、腹も裂け気絶せんばかりのとめどもない笑いとなって表出される。」と論じた後、「滑稽」と「グロテスク」の区別を示していました。「滑稽は芸術的見地から見れば、一個の模倣である。グロテスクは、一個の創造である。」本書はゴーギャンの作品に話題を戻し、炻器「海の怪物と水浴女」や「少年の二つの頭部のある壺」についてボードレールの論考を踏まえて考察をしていました。

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