「状況-ファン・ゴッホとの関わり」について

フランス人の芸術家ゴーギャンの生涯の中で、劇的とも言える一幕があり、そのドラマティックな事件がゴーギャンを美術史とは関係なく、世界的に有名にしたと言ってもよいと思っています。それはオランダ人の画家フィンセント・ファン・ゴッホとのアルルでの共同生活で、2人の芸術家のさまざまな葛藤の中で、ファン・ゴッホが自らの耳を切り落とした事件でした。彼の精神異常を予感させた事件は、少なからずゴーギャンにも影響を与えたことが「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)からも読み取れます。今日から本書の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第4章 陶製彫刻と木彫浮彫(1889年と1890年)」に入り、今回は「1 状況」をまとめます。「状況」には副題がなかったので、私が補いました。「1888年10月23日に始まったアルルでのファン・ゴッホとの共同生活は、12月23日、彼の耳切事件で幕を閉じ、ゴーギャンは3日後にパリに戻った。この劇的事件はファン・ゴッホに甚大な影響を残すことになったが、ゴーギャンにとっても激しい衝撃を与えるものであったに相違なく、パリ到着の2日後の28日、動揺の中、囚人プラドのギロチンの処刑を見物に出かけている。この時期の最初の作品は、耳がなく、あたかも切断したかのように血が流れ落ちる自らの頭部を象った壺である。1889年初頭の陶器作品はこの作品とともに始まり、その悲劇性と象徴主義はこの年の陶器と木彫に共通する特質となる。」こうした中で1889年晩夏、ゴーギャンは「オリーヴ園のキリスト」を描いているが、これはイエスに見立てた自画像で、孤独な芸術家=殉教者像の究極的な表象を生み出したようです。躊躇いながらこれをファン・ゴッホに手紙で知らせると、ファン・ゴッホはかなり憤慨していたことが、次の文章で分かります。「『あの絵には何一つ観察されたものがない。もちろん僕にとって聖書の話をそのまま描くなんてことは論外だ。僕はベルナールとゴーギャンに、思考を表すことがぼくたちの使命であって、夢を描くことは使命ではない。だから彼らが夢に流されていることを絵の中に見て驚いている、と書いて送った』と、弟テオに激しい怒りをぶつけている。」この頃のゴーギャンは失意のどん底にいたようです。そうしたことでゴーギャン自身が自らの探究を始めて、やがて「熱帯のアトリエ」へと導かれていくことになります。

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